ものの弾みで出た無意識の行動(ちぇ)

「次の展示に他の展示もあるんだが。どうせなら、一緒に見に行くか?」目を直接見ることはできない。ぶっきらぼうな言い方だが、これが桜屋敷の精一杯だった。この提案に、新参者はなにも考えず頷く。「うん、良さそうだね」桜屋敷だけではなく、他の芸術家の作品も見れる──気分転換に持ってこいだ。「そ、うか」安堵で緩む口元を、開いた扇子で隠す。柔らかくなる目尻を、どうにか釣り上げようとした。「ならば、この日にこの時間に、待ち合わせることにするか」「いいね。薫、その仕事先の人との挨拶は?」「同時に済ませる」「じゃぁ、下手な格好はできないね」ハハッ、と苦笑いをする。普段から着物を身に付ける桜屋敷は分からない。首を傾げつつ、新参者と観に行く約束をした。
 当日。自分から誘い込んだ手前、桜屋敷は服に気合いを入れる。自身がプログラミングして作り出した最先端AIのカーラのアドバイスに従い、少しお高めの着物を着る。けれど自分の作品を展示する展示会の手前、新参者に合わせて落ち着いた感じに纏めた。──それでも、身に付けた着物の価値は、高価の留まるところを知らないが──。右手にカーラに接続したカーボン製の腕輪を身に付け、待ち合わせ場所に行く。すると、新参者の姿がない。(どこに行った?)まさか、約束をすっぽかした──? まさか、アイツに限ってそんなことはない。不安が焦燥感を昂らせる。『マスター、二時の方向にいます』カーラの助言は的確だ。その指示に従うと、見知らぬ男にナンパされている姿があった。桜屋敷は眉を顰める。ナンパをする男は、南城ではない。(あぁいう輩が他にもいるのか)呆れていると、耳に馴染んだ声が聞こえた。
「いや、人を待っているので。結構です」
 新参者の声だ。ギョッと目を丸くし、瞳孔を縮める。人目を憚らずドカドカと大股で歩き、声のした方へ向かった。グッと肩を引き寄せる。桜屋敷は男に牽制しながら、笑顔で物申した。
「申し訳ありません。彼女は私の連れでして」
 ついでに自分の胸へ抱き寄せて、関係を見せつける。
「なにか、御用でしょうか?」
 物腰が柔らかいというのに、目の奥が笑っていない。しかも巷で有名な『AI書道家桜屋敷薫』という手前、ナンパしてきた男も怖気づいた。「あっ、なんでもないです」尻尾を巻いて逃げ帰る。弱者の逃走に、桜屋敷は苛立った。「ったく、不愉快な」気分を害されたことに腹を立てたものの、新参者はそれどころではない。「あの、薫」態度も声色も、自分の知る新参者のものだ。「なんだ」伸びてきた新参者の手を握る。「いや、あのさぁ」桜屋敷の腕に閉じ込められたまま、恥ずかしそうにいった。
「その、ここまでする必要はないんじゃない?」
「あ?」
「えーっと」
 よく見れば、新参者の顔が赤い。恥ずかしさで目を右往左往していた。思わず肩と手を握り締める。ギュッと抱き締める力に羞恥心で身を竦めながら、新参者は告げた。
「その」
 勇気を振り絞る。
「こっ、恋人みたいに、密着することは、ないかな、って」
「あっ」
 新参者の告げた指摘に、桜屋敷は固まった。眼鏡が曇る。反射的に手を離す。まだ桜屋敷とそういう関係ではない新参者は、おずおずと離れた。素材と通気性の良い上着を、ギュッと握り締める。(あっ、そういうことか)自分が真っ先に見つけられなかった理由も、桜屋敷は察した。新参者がいつもと違う雰囲気だからだ。まるで、デートをするかのようにめかしこんでいる。しかも、着物の自分に合うように、だ。
「それをいったら、お前もだろう」
 無意識に反論する。「いや、それは、薫が急に抱き寄せたからで」「違う。服装のことだ」自分が気付いたことへ繋がらない話に、メスを入れる。切り拓かれ、桜屋敷の考えたことを差し込まれた。
「えっ?」
「その、普段と服装が違うだろう。どうした。そんな、俺の着物に合わすようなことをして」
「だって、薫が仕事先の人と会うからって」
「あぁ」
「だから、恥ずかしくないように身なりを整えただけだけど?」
「そ、うか」
 段々と声が小さくなる。仕舞いには扇子を取り出して、開いた扇で口元を隠してしまった。「似合って、いるぞ」ボソリと呟いた賞賛は、扇の壁で音を遮られる。「えっ、なんだって?」薫の耳と変わらず、新参者の顔も赤い。互いに互いの行動で胸を掻き乱されていた。
 長い髪と扇子で顔や耳の赤さを隠す桜屋敷は、続けていう。
「とっ、とにかく!」
 自然と声が張った。グイッといきなり胸を反らした桜屋敷を、新参者は不審そうに見る。それでもお互い、まだ顔が赤い。
「さっさと行くぞ。相手を待たせるわけにはいかん」
「うん、そうだね。こんなことをしている場合じゃなかった。とりあえず、薫の用事を済ませて展示を見ないと」
 グルグルと混乱する頭を押さえながら、新参者は行動を整理しようとする。〈これからやること〉をリスト化し、その傍らに先の桜屋敷の行動について頭を回す。それも照れと混乱とで脳が|許容過多《キャパオーバー》を起こした。頭の中が沸騰し、顔に集まる熱も高まる。汗と湯気が出た。「えっと、その」思考の立ち往生で上手く動かない新参者の手を、桜屋敷はさり気なく握った。
 ギュッと汗ばんだ手を握る。「えっ」手から伝わった刺激に、新参者の意識が向かった。
 パンッと扇子を勢いよく片手で閉じる音がして、そちらへ顔を上げる。すると、新参者と目を合わせない桜屋敷の赤面があった。眉も目尻も吊り上がって言葉もぶっきらぼうだが、明らかに照れている。顔が赤いまま、桜屋敷は新参者を急かした。
「もっ、物のついでだ! このまま、行くぞ」
「えっ、手を、繋いだまま?」
「そうだ」
「仕事上の、やり取りに入っても?」
「そのときは手を離す」
「あっ、うん」
(それもそうか)
 納得と同時に、どこか残念さもある。その寂寥を観なかった振りをして、新参者は展示場に向かった。
 ギュッと手を握る桜屋敷の力が強まる。桜屋敷の手も、新参者と同様に汗ばんでいた。無意識に扇子を取り出し、開いた扇で口元を隠す。顔を逸らすが、新参者の手を離そうとしない。新参者は俯くものの、どう切り出せばいいかわからなかった。(確か、一緒に展示物を見に行くだけだったはずなのに)なのに、どうして。と頭の中がグルグルと回る。新参者以上に、桜屋敷の動悸は激しかった。
 まるで初心な思春期みたいに手を握り締め、発汗と体温の上昇をする。それも、外部の人間の登場でサッと引いた。咄嗟に外面を取り繕う。桜屋敷は狸の皮を被った。
「ようこそお越しくださいました。桜屋敷先生。その方は、先生の恋人で」「えぇ。そうです。彼女と一緒に、展示会を楽しもうと思いまして」「それはいい! 是非、ごゆっくりお過ごしください」桜屋敷の取引先の人間が持ち上げる。新参者は笑みを浮かべるだけで答えたが、着実に外堀りを埋められていることに気付かなかった。
 仕事で取引する相手が去ると、桜屋敷の狸の皮が剥がれる。「さて」両手をそれぞれの袂に入れ、深く息を吐いた。
「どこから見て回る? 俺はどこからでも構わないぞ」
「あっ、じゃぁ。あそこで」
 事前に下調べをしている分、見たいものも順序も決まっている。普段の調子に戻ったことを見て、新参者も気を取り直した。
(なんだったんだろう。さっきの)
 疑問に思うことはあるが、今はとにかく展示された作品を眺める。「相変わらず、薫の作品は凄いね」「当たり前だろ」「そうだね。よく表れてると思う。他の作品も、いいし」「あぁ。それは俺もそう思う」「あと」鑑賞した作品について語り合う。桜屋敷が乙といえば、新参者は甲と返す。新参者が丙と返せば、桜屋敷が丁といった。互いに異なる意見をいい、知見を深める。知の探究と探り合いをしていると、チラッと新参者が桜屋敷を見た。上目遣いな分、ドキッとする。無意識に、開いた扇子で口元を隠した。
「なんか、スケートしたくならない?」
 小声でボソッと、提案してくる。そういわれると、此方もしたくて堪らない。ウズウズと逸《はや》る気持ちを抑え、桜屋敷はムッとする。
「仕事中だ」
「そっか、なら仕方ないね。桜屋敷先生も大変だ」
 コトンと肩に頭を預けて、腕を抱き締める。これに桜屋敷の肩がピクッと跳ねたが、無心で平静を装った。キュッと唇を真一文字に引き締める。(これは虫除け、これは虫除け、これは虫除けで頼んでいることだ。虫除け、虫除けだ)現に女性のファンが気遣って声をかけてこない。サインや一言を強請るファンから囲まれることもなかった。
 扇子を持つ腕の肘を握り締める。関係性の良好そうな恋人を演じたが、それだけである。展示会を去ると、二人で話しながら帰路に着いた。
 目についた美味しそうなパン屋に立ち寄って、つまむものを買う。「どこかで食べる?」「俺の書庵だとちょうどいい」「なら、そうしよかっか」他にも色々と話したいことはある。場所を移して、いつも通りの感じで二人は過ごした。
(それでも、いや、中々)
 先の新参者を抱き締めたことを思い出して、首を横に振る。あれもいいが、自分がまだ慣れない。もう少し、このままでいいかと思った。
 桜屋敷書庵の庭で、桜が散り始めた。


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