不完全パッショーネ(じょ)

 意外と、あそこのハンバーガーが美味しかったよ。そう感想を伝えると「はっ?」と虎次郎が固まった。どこに驚く要素が? あぁ、料理人だから譲られないとか、そういうアレ。一人でうんうんと頷いてたら「それは」と虎次郎が切り出してくる。「ソイツと一緒に食べたから、ということか?」どういうことだ。一緒に食べる人とで食事の味が変わるという? 精神的な面で、脳の神経伝達物質の量や種類が代わり、食べる味が変わるというやつかな。そういうのはなかったけど。
「とにかく、思った以上に美味しかったよ。あそこのハンバーガー」
 そういうと、虎次郎が黙った。様子を見ると、腕を組んでいる。ガッチリと脇を締めて、掴んだ二の腕を指でトントンとしていた。両目を閉じている。いつもより、眉が吊り上がっているような感じがした。「怒ってる?」と聞いてみるけど「いや、怒ってはねぇけどよ」と否定の答えが返ってくる。(いや、怒ってるだろ)努めて表に出さないようにはしてるけど、内心の苛立ちが滲み出ていた。それにしても、いったいどこから? 料理人としてのプライド? 他店の料理が美味しいと、嫉妬心や対抗心を燃やしてしまうようなところから、色々。
(でも、ラーメン屋のときは特にそんな素振りもなかったし)
 料理の種類の問題? そう思ったら、虎次郎が厨房に戻る。無言でなにかを作り始めた。──客はいない──。店には私と虎次郎だけだ。夕方辺り、虎次郎がディナーの仕込みと試作品を作る時間帯にお邪魔している形となる。(ちゃんと、時間内に頼んでお金も払いたいけど)とにかく時間が合わない。ギリギリに入店しても、結局流されていつものようになる。要は、全て虎次郎の賄いだ。今食べているジェラードも、虎次郎が「余り物だから」との理由で出したものである。(だからって)わざわざ、ミントの葉を添えて? いや、料理人として最低限のプライドかもしれない。私の考えすぎかもしれない。だからって、毎回ご馳走になるのは、その。気が引けるというか。
 そう考えていると、カチャっとなにかが前に出てきた。サンドイッチだ。フランスパンみたいなのに、チーズとルッコラみたいなのと、生ハムが挟んである。
「なにこれ」
 サンドイッチなのはわかるが、出された意味がわからない。出した本人である虎次郎が、隣の席に座る。
「うちのハンバーガーだ。バーガーじゃないけどな」
「対抗馬なの? サンドイッチで?」
「A&Wにも、サンドイッチとホットドッグのメニューがあっただろ?」
 そういわれれば、そうである。「まぁ、そうだね」と相槌を打っておく。「ほら、食ってみてくれよ」ここまで催促するとは珍しい。女タラシもとい、レディーには丁寧に扱うジョーが。
「とりあえず代金は」
「金はいいっていってんだろ? そんなに払いたいなら、食べた感想を聞かせてくれ」
「食べた、ねぇ」
「そっちの方が、やる気が出る」
(ふーん)
 金銭的価値よりも、体験した側の意見や感想を重視する性質なのだろうか? それは大いにわかる。「じゃぁ、いただきます」とだけいって、皿を引き寄せる。一瞬だけ、虎次郎の顔がパァっと光った。すぐに、胸を撫で下ろすかのように肩の力を抜く。(そんな、大袈裟な)そう思いつつ、半信半疑で食べてみる。口に運んで、一口齧ってみた。(おっ?)フランスパンと違って、固くない。意外と口当たりが柔らかくて、噛みやすい。オリーブオイルの風味が微かにあり、塩分も程よい。デザートではなく、ディッシュとして最適なパンだ。トマトやスープ、肉類にも合うだろう。ピザみたいに、もちもちとしている。しかも『ピザ=イタリアン』の方式で、モッツァレラチーズにも良く合う。ルッコラ独特の、ピリッとした辛さも苦味もちょうどいい塩梅となっていた。トマトも、うん。箸休めにちょうどいい。これは、バジルかな? 香草として、全体の具材を引き立てている。チーズも、これは違うチーズだ。なんだろう? それにしても美味い。生ハムの肉の旨味と塩分が、さらに食欲を進める。
 半分くらいまで食べると、流石に感想をいわねばならない。ちょっと口を休めて、感想を整理する。隣で緊張した顔付きで待つ虎次郎に、いった。
「なんか、思った以上に美味しい」
「マジか!?」
「うん」
(というか、どこにそこまで驚く要素が?)
 想像以上の食いつきだ。出された料理よりも、そっちの方が驚く。とりあえず、説明を続ける。
「挟んでるパンの方も、フランスパンと違って噛みやすいし、思った以上に水分を必要としない。野菜とチーズのバランスも絶妙で、肉も良い感じのエッセンスを出している。あとは、そうだな。パンの塩分とオリーブ風味の香りも良い感じ」
 そう一気に伝えて、食事に戻った。うん、一個だけなのが残念だけど、食事で出す分なら二個でいいと思う。値段も六百から七百円台、もしくは八百円まで抑える価格として──。そう頭の中でぐだぐだと考えていたら、虎次郎が突然動いた。「はーっ」と勢いよく息を吐いて、カウンターに身体を預ける。突っ込むタイミング逃してたけど、そこ。薫の席なんだよなぁ。(薫が見たら怒りそう)カウンターに突っ伏す虎次郎を見て、理由を尋ねた。
「そんなに、緊張した?」
「そりゃぁ、当たり前だろ。口に合わないとばかり」
「それだったら、食べに来ないでしょ?」
「いつもメニュー見たあと、不服そうな顔をしてるだろ?」
「それは、虎次郎がお金を払わさせてくれないからで」
「好きな女だったら、手料理を振る舞いたいだろ」
(うーわー、またこんなこといっちゃって)
 そういうことを、他の女の子にもいったりするんだろうか? いうだろうな。なんだって、女の子を口説くことを趣味にするような男だし。そういって、他の女の子を口説くのに使ったんだろう。「はいはい」「本気にしてないだろ」「まぁね」そう受け流すと、虎次郎があからさまにムッとする。私に当たるな。恨むなら、己の普段の行いを反省してほしい。
「料理を出してくれた人に対する敬意を、払わさせてくれない虎次郎の方が問題あるよ」
 ずっと溜めていた不満を吐く。しまった、態度の方にも露骨に出てしまった。慌てて肘を下ろし、頬杖を止める。虎次郎の方はというと、キョトンとしている。さっきまでの不満そうな顔はどこへやら、ポカンとしていた。
「料理人への、敬意か」
 と要約を口に出している。「そうだよ」とだけ同意を送る。大体かいつまんでいうと、そうだ。虎次郎が素直に金銭的価値を受け取ってくれないのが悪い。すると虎次郎の口元が一瞬ですごく緩んで、バッと片手で覆い隠された。私からも顔を逸らす。両目も閉じた。最初のと同じ行動をしているけど、どこか違う。「その」と口を覆った状態で、虎次郎が話を続けた。
「それは、俺の料理が好き、ってことだよな?」
「まぁね。じゃなきゃ、こんなに通わないと思う」
「あっ、あぁ! だよな!?」
「うん」
(自明の理だろうに)
 なにがあって、そこまで確認を取るのだろう? すっかりサンドイッチは消えてしまった。全てお腹の中である。「これ、名前って?」と皿を見ながら尋ねるけど、返事が返ってこない。虎次郎の様子を見ると、一人でブツブツ考え込んでいた。手で口を覆ったままだし、両目も閉じたままである。「つまり」から私の名前を呼んで「俺が好きということ、いやいや」などと一人会議が口に出ている。
「ちょっと」
 と小突けば、虎次郎が驚くほど飛び上がった。ガタッと大きく椅子を引く。(えっ、なにかした? 私?)ただ、肘で小突いただけなのに。そんな大きく立ち上がられかけると、流石にショックを受けるんだけど。それを見たからか、虎次郎が「わっ、悪い」と謝って座り直した。相変わらず、薫の席である。
「ビックリしちまって、驚かせてしまって、悪かった」
「いや、こっちも驚かせてしまうようなことをして、ごめん。で、今食べたパンの名前ってわかる? えっと、サンドイッチの名前とか」
「あっ、あぁ! パンの方は『フォカッチャ』で、料理名は『パニーノ』だな」
「へぇ。近所のパン屋さんとかにも売ってないのかな」
「さぁ、難しいんじゃないのか? なにせ、パン生地が違う。そいつを作るには、ピザ用の小麦粉が必要になる」
「そんなに? ってことは」
 よく考えたら、虎次郎の店にもピザのメニューがある。順当に考えれば、自分の店でピザの生地を発酵しているというわけで。
「自分で、作ったっていうわけ?」
「ん? 余裕があったら、だな。パンの方も、地元のパン屋に頼んで卸してもらっているような感じだ」
「へぇ、経済回してるー」
「俺はイタリアンだが、ピザやパンに関しては職人の方が遥かに美味いってもんもあるからな。素直に頼んだ方が、両方ともwin-winだろ?」
「確かに。だから、他のお店の名刺とか置いたりしてるの?」
 こういうところに、とレジのある場所を指す。ちょうど、あの辺りに他店舗の営業時間や場所を示す名刺が入っていた。店の雰囲気に合うよう、ダークブラウンの籐のカゴにである。「あぁ」と虎次郎が相槌を打った。
「宣伝ってヤツだよ。たまに、お客さんから料理についての質問も受けるし、その流れで宣伝してる感じだ」
「へぇ、しっかりしてるー」
「誉め言葉として、受け取っておくぜ? その間延びした感じが、非常に気になるが」
「馬鹿にしてないよ。ただ、茶々を入れてるだけ」
「おい」
 わぁ、薫に対するジト目と同じくらいのジト目だ。その不満げな瞳に「本音だよ」と伝える。「どっちだよ」とまだ追及するので「尊敬している方の」とだけ答えておいた。これは本心だ。ちゃんと己だけでなく、地域や経済のことも考えて回してるのはえらい。しかも、ちゃんとサービスの邪魔にならないよう、客にとって目立つ位置に他店の宣伝もおいてある。店の雰囲気も考えて、客に与えるサービスの二点も考えて。異なる複数の視点から、双方ともに利益になることを選んでいる。これは中々できることではないだろう。だから、尊敬しているという点においては嘘じゃない。茶々を入れてることに関しても、嘘じゃないけど。
 空になった皿と入れ替えて、ジェラードを引き寄せる。まだちょっとだけ残っている。溶けているけど、食べれる部分はまだあった。スプーンを持って、残っている部分を掬う。虎次郎が身を引いて、座り直した。
「そ、うか。尊敬、ねぇ」
「そうそう。ちゃんと考えてなきゃ、できてないことだよな、って。儲かってるんでしょう? 一応」
「まぁな。大口のお得意さんも大勢いる」
「だから余計に、上手いこと立ち回ってるなぁって。あっ」
 と話してるうちに、最後の一口も食べてしまった。あとに残るのは、溶けたジェラードの液体である。無言で、スプーンで掬ってみる。中々入ってくれない。悪戦苦闘していると、横から虎次郎が口を出してきた。
「おかわり、いるか?」
「良い。太っちゃうし、流石に悪いから」
「気を遣わなくていいんだぜ? 逆にそこまで粘られると、料理人として居心地が悪い」
 スッと空のガラス容器を指差された。なんか、食い意地が張ってるとでも思われてるのかな。「ごめん」とだけ謝って、ガラスの容器を渡す。「じゃぁ、お願い」とだけ提案に乗った。
「そこまで居心地悪い?」
「あぁ。好きなヤツにできるのに手を出せないって状況は、中々キツイからな」
「ふぅん」
 料理人ってのも大変そうだ。


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