年の初め

 飛行機のときと感触は違う。肌に触れる布と匂いは、自分の寝具そのものだ。泊まり込みで書庵で仕事をしたときに、よく使う。『飛行機』との単語で、空港から旅客機に乗っていたことを思い出す。あれもファーストクラスで、眠すぎて機内での軽食を断った。眠り、空港に着いたはずだ。そこで待ち望んだ姿と、余計なお邪魔虫がいたはずである。(ここは、いったい)記憶を手繰り寄せて推理すれば、自分の書庵のはずだ。しかしながら、自力で歩いた覚えはない。オリーブオイルと魚介、クリーミーなチーズの香りが鼻を擽る。桜屋敷は重い瞼を抉じ開けて、現在の状況を確認した。
 そのとき、ふと××の寝顔と鉢合った。自分と同じように横たわり、こちらは布団をかけていない。以前と、状況が真逆である。重く瞬きをする。ゆっくりと身体を起こし、利き手の手首にある確かな存在を見た。カーラである。カーラが声をかけるよりも先に、××が起きる。
「あ、ようやく起きた。おはよう、薫」
「どうしてここに。いや、今は何時だ?」
「もう一時を過ぎたところ。ぐっすり眠ってたよ?」
「そうか。くっ、初詣は」
「まだ行ってない。それに、行っても人で混んでるし。時期を改めた方がいいよ?」
「はぁ。ハッ! こういうことをしている場合じゃない!! カーラ! 正確な時間を!」
『一時二十八分です』
「くっ! 急いで準備をすれば間に合うか!?」
「あ、元旦の書道パフォーマンス?」
「そうだ!! 機材の搬入はアシスタントたちに任せたからいいとして、カーラ。頼む」
『オーケー、マスター。自動移行システムを開始します』
「バイクで飛ばせば、俺自体は間に合うはずだ!」
「とりあえず書道袴とかに着替えなくても大丈夫なの? ほら、書道のパフォーマンスって」
「それを今から着替える! くそ、時間がない!! 最悪外側だけ着替えるか」
「じゃぁ、私は出ていくね」
「あぁ」
 着替える手前、異性は出ていった方がいいだろう。そう思い、××は和室から出る。桜屋敷はスリープモードのカーラを手首に携えたまま、急いで着替え始めた。コートは××が寝かせる際に脱がしてくれたんだろう。押し入れの奥に仕舞ったハンガーに掛けられている。念のために予備で置いておいた書道袴姿に着替え、全身を隠すために東京で着たコートを羽織る。防寒の気が強すぎるが、仕方ない。目脂を指で外しながら、頭の中で必要なことを思い出した。今回、沖縄の国際通りで行う書道パフォーマンスの字体と内容は、既に考えてある。急いでカーラのバイクの元へ向かおうとするが、ない。「カーラ!?」桜屋敷は慌てて愛機の名前を呼ぶが、応じる声はない。ただシンとした廊下に桜屋敷の声が響くのみである。
 ひょこっと××が顔を出し、遅れて南城が様子を見る。
「どうしたの? さっき、薫がカーラを移行させたじゃん」
「かっ、カーラが!! カーラがいない!」
「はぁ? なにいってるか、さっぱりわかんねぇぞ。薫」
「もしかして、バイクのこと?」
「そうに決まっているだろうが!! ド阿呆!」
「いや、私虎次郎じゃないから。そんなド阿呆っていわれても。傷付くというか」
「っつーか、俺だって傷付くぞ」
「フンッ、低能ゴリラが」
「なんだって!?」
「ともかく、ここは薫の家じゃないからカーラのバイク型はいないんじゃないかな? 書庵だし」
 そこまで××が一息で言い切って、桜屋敷はショックを受ける。そう、桜屋敷書庵には最先端AIカーラを搭載するスポーツバイクは置いていない。あるとすれば仕事に使う道具の類だけだ。しかも車庫はない。当然、急ぐ足もなかった。「しまった」桜屋敷や頭を押さえ、打開策を編み出す。「なんか、嫌な予感しかしないんだが?」「当たるかもよ?」南城が青褪め、××が裏打ちをする。桜屋敷が確定を出した。
「おい。阿呆ゴリラ。バイクを貸せ」
「やっぱりな!! だったら最初から自分のバイクを用意していやがれ! 満タンで返せよな」
「場合にもよる」
「空になりかけていた場合は、半分で返すとか」
「そういうところだ。ガス欠になった場合は、覚えておけよ。低能ゴリラッ!」
「生憎、そこまで馬鹿見てねぇんだよ! 腐れ陰険眼鏡!!」
「なんだと!? 低能阿呆タラシゴリラ!」
「うるせぇ! 陰険陰湿狸クソ眼鏡!!」
「とりあえず、早く行ったら?」
「遅れたらお前のせいだ! クソゴリラ!!」
「てめぇのせいだろ!! 腐れ眼鏡!」
 パシッと投げ渡された鍵を受け取り、南城と憎まれ口を叩き合いながら外へ出る。自力で桜屋敷書庵へ来ただけあって、書庵の塀のすぐ傍に南城のバイクが乗っている。それに跨って、猛スピードで現場へ向かった。
 急ぐ桜屋敷と反対に、××は南城に尋ねる。
「そういえば。薫って、あのタイプのバイクを乗れるの? スポーツバイクしか乗ったところを見たことないんだけど」
「あぁ。高校生のときに乗ってたバイクと一緒だからな。今でも乗れるんだよ」
「へぇ。車検とか大丈夫なの?」
「毎年結構かかるけど、買い替えるのも時間がかかるんだよなぁ」
「車があると大変だね」
「車種によっちゃ、さらに税金がかかる」
「贅沢品かぁ」
「生活必需品だってのにな」
 しかも錆び止めにも金がかかる。と告げる南城に「それもそっか」と××は頷く。沖縄は海に囲まれ台風も多い分、外に面する金属は錆びる傾向が強くなる。南城は調理に戻った。××も手伝いに戻る。
「薫、なにも食べず行っちゃったね」
「どうせ腹を空かして戻ってくるだろ。俺の店かここのどちらかだな」
「戻ってくるとしたら、ってこと?」
「あぁ。どちらにせよ、せっかく作ったものがな」
「じゃぁ、薫に連絡しておこう。こっちで待ってるよと」
「あー、今作ってる途中なんだがなぁ。手元を映すのだけは、ちょっと止めてくれるかな? 天使ちゃん」
「そういう気障ったらしいことしなくても。あ、余計にお腹が空くとか?」
「そういうことじゃ、ねぇんだよなぁ」
 はー、と南城が溜息を吐く。じゃれつくつもりで南城が旋毛へキスを落としてみたとしても、××には効かない。一歩踏み込んだ勇気は空振りに終わった。炒め物をする動画を再生し、確認を終えて××は送る。無事現場へ辿り着いた桜屋敷は、準備をしながら着信に気付いた。袂でスマートフォンがバイブレーションで振動したのである。それを取り出し、到着したメッセージを見る。中身を見て、即座に返した。調理に使ったものを洗っていた××が、返信に気付く。
「あ、返ってきた」
「早いな、仕事中じゃないのか?」
「うん。『ゴリラが邪魔だ』だって」
「あの腐れ眼鏡ッ!! 誰のおかげで美味い飯食ってると思ってるんだか。ったく」
「あー、うん、どうだろう」
「なにがだよ?」
「いっちゃうと、怒らない?」
「んっ! そ、それは場合によるかな? うん」
「そう無理にやらなくてもいいから。多分、虎次郎のおかげだと思っての上での発言だと思うよ?」
「それだと余計に性質悪いわ! くそっ、あー。なぁ、キスしてもいい?」
「そういうのがほしいなら、他の女の子にやって」
「釣れないな。今の君しか目に映らないというのに」
「虎次郎のそれって、発作?」
「今まで我慢していたといってくれ」
「そう」
 素っ気なく流す××に、はぁと南城は涙交じりで溜息を吐いた。沖縄の国際通りで、見事な一筆が書き記される。沸き立つ歓声に桜屋敷は笑顔で答え、司会者の質疑にも不備なく答える。外向けの『AI書道家桜屋敷薫』は、相変わらずの絶好調だ。
 書庵に戻り、南城の手ずから作ったイタリアン料理を食べる。
「うむ、まぁまぁだ。ゴリラにしては、上手く作った方といえる」
「お前な」
「お節をモデルにして作ったんだって。この和風明太子もそうで、オーダーして作ってもらった」
「君の頼みならいつだって引き受けるよ。プルチーナ」
「ほう。だから今回のカルボナーラには和風の味が利いていると。ゴリラは口を開くなッ!」
「お前こそ黙って食ってろ、卑怯眼鏡! クソッ! なんていう年の始まりだ」
「美味しい料理を食べられるだけ、まだ幸せじゃない」
「あぁ。俺は無事仕事を終えたからな。明日からは、束の間の休息だ」
「ゆっくり休んでね。無理は禁物だから」
「いわれるまでもない」
「クソッ! 不公平だ!! なぁ、俺にも少しくらい優しい言葉を」
「シャッ!」
「本当、ふざけるなよ!? お前!」
『マスターの機嫌が一気に降下しました』
「今年は大変だね」
 そう××が一言零した。


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