浜辺のビーチ(じょ)

(不味ったな)
 虎次郎は悪手を踏んだことに気付いた。自分は水陸両用の服装をしていからまだしも、帰還者は違う。薄手のワンピースと羽織り代わりのシャツ、サンダルと通気性もさることながら、目を奪われる。日傘もあって、紫外線対策もバッチリだ。問題はそこではない。互いに伝達不足だ。帰還者が虎次郎の店にくるなり暑さに対し項垂れたものだから、「じゃあ海行くか?」と提案をする。それに帰還者は乗り気になって「あれもしたい」「これもしたい」と希望を次々と口に出す。それに(可愛いな)と虎次郎は思いつつ「じゃぁ、そうしようぜ」と同意を見せた。嬉しそうに話すものだから、自然とリストに絞られていく。頷きながら、約束の日までそれぞれ準備をする。結果、こうなった。
 シャツを完全に開けた状態で、サングラスを頭に載せた虎次郎は、ポカンとする。帰還者が避暑地を楽しむスタイルだとしたら、虎次郎はビーチで楽しむスタンスだ。それぞれ違う。しかも、周りも水着だ。帰還者は場違いを感じて、キューっと目を瞑る。恥ずかしさでワンピースの裾を前で掴んだ。ワッシャー加工ではない皺が、ワンピースに生まれる。
「かっ、帰る!」
「わー!! 待て待て、ちょっと待てって!?」
 慌てて虎次郎は止めた。恥ずかしさを感じさせたまま帰させるのは、流石に不味い。最悪二度と、誘いに応じてくれなくなる。涙目の帰還者がグッと虎次郎を見上げる。そのむくれた顔に、急いで握った腕を離した。パッと両手を肩の上まで挙げる。
「その、悪かった。水着、持ってくるようにいえば良かったな」
「いいよ。まだ、沖縄のこと詳しくないし。一人で勘違いした自分が馬鹿だった」
(しまった、余計に面倒臭いことになっちまった)
 思わず苦い顔になる。今までナンパに応じた女性は──というか現地で声をかけることが多い。わざわざ事前に打ち合わせして会うこともなければ、向こうが勝手に応じて一緒にしてくれることも多い。断じて生半可な気持ちで応じているわけではないが、この手のことには不慣れだった。「悪かったって」と虎次郎は謝る。
「別に水着を着てなくても大丈夫だと思うぜ? ほら、他にもいるだろ?」
「いるのはいるけど、水で濡れたらどうしようもない」
(あーっ、キスで封じてぇけどそうじゃねぇ)
 そもそもそれをするような仲でもない。そういう気持ちはあるが、今はそのタイミングでもない。いつものように口説けば、女性は気分が直る。「上手いこといっちゃって」と自分で機嫌を直すのだ。要は切り替えて今を楽しむ。しかし帰還者はそうではない。難しい顔をして、虎次郎は提案を投げかける。
「なら、場所を移すか?」
「えっ」
(おっ?)
「その、なるべく人気の少ないところがいいな。眺めもほしいけど、その、ね?」
「なら良いところがある。任せな」
 そういって、帰還者へ手を差し出す。手応えとしては充分だ。このビーチのことは知っている。近辺のビーチに関してもそうだ。場違いではないことに、帰還者はホッとする。虎次郎の手を取り、案内してもらった。浅瀬で海をパチャパチャできるのなら、それでいい。周囲の騒がしさや衝突に気を配る必要もない。人目を避けて、虎次郎は案内する。海水浴で賑わうビーチと異なり、人が一切いない。静かだ。「ここ、観光用とは違うの?」「まぁな」と虎次郎が質問に返す。「完全なプライベートビーチだ」と回答を続けた。
「誰の?」
 帰還者が興味を持つ。
「俺たちのだよ。まっ、地元民だけが知るビーチってヤツだ」
「ふぅん。ってことは、他の人も来たりするの?」
「あぁ。たまにデートする学生も来てたりするぜ」
「なにそれ」
「帰りに海で遊ぶんだよ。流石に遅くまでは遊ばねぇけど」
「怪談とか、怖い話があったり?」
「いーや、単純に潮の満ち引きだな。あと物騒でもある」
「そっか」
「お前も気を付けろよ」
「まぁ」
 とだけ生返事をする。このビーチに関すること以外は頭に入らないようだ。踝まで覆う長い丈を、両手で持ち上げる。前方は膝丈まで上がったが、後方は踝の上までだ。そっと虎次郎が近付き、尋ねる。「裾を持ちましょうか? お姫様」完全に今の帰還者の動作を見た言葉である。その口説きをジョークの一種と受け取り、帰還者は笑う。「いいよ。結びたいから、持ってくれると助かる」とだけ伝えた。それに虎次郎は従う。
 前と後ろの裾を引き寄せ、膝より上の辺りで強く結ぶ。ワッシャープリーツのワンピースに新たな皺が生まれたが、知ったこっちゃない。帰還者はサンダルを脱いで、日傘を放り出して海で遊ぶ。裸足の足に触る浅瀬の満ち引きを楽しんだ。それを見ながら、虎次郎は濡れない場所に帰還者の置いたものを置き直す。自分もサンダルを脱いで、帰還者と一緒に楽しんだ。
(なにか、お礼できることはないかな。ここまでしてくれたんだし)
 そう取引的なことを考える。このまま世話になりっ放しでは不味い。(なにか代わりになるものをしなければ)それか同等となるものを、と帰還者が顔を上げる。ふと、虎次郎と目が合った。顔が近い。
「えっと、あの。その?」
「ん? 悪い、悪い。なにか考え事をしていたように思って、な」
(先手を打たれた)
 話す暇もない。先に封じた虎次郎に、帰還者は苦い顔をした。それに虎次郎は笑う。ここまで世話を焼く本人にとっては、可愛らしいものでしかなかった。


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