牛乳嫌い(ちぇ)

 桜屋敷薫は少し思う。もしや、あれでは決め手に欠けていたのではないかと。ならばどこかで取り返さなければならない。必ずだ。そう強く意志を固め、××に尋ねる。相手は相手で、冷蔵庫を開けて悩んでいた。
「おい。話があるんだが」
「あぁ、ちょうどいいところに。その、ちょっと切らしてて」
「ほう? なんだ」
「紅茶とか珈琲とか、お茶も出せないからさ。ホットミルクでも、いいかなって」
 ××が冷蔵庫から牛乳を取り出した途端、ピシッと桜屋敷が固まった。口元に寄せた扇子も、違う意味合いを持ち始める。「はっ?」固まる桜屋敷が言い返す言葉に「いや、だから牛乳だって」と相手は言い返す。単純に質の良いのを出せとの文句に捉えていた。
「今、出せるのがホットミルクしかなくて。勿論、蜂蜜やブランデーを入れたアレンジもできるよ? だから」
「待て。だからッ、どうしてホットミルクが出てくるんだ!?」
「え、嫌なの? 子どもっぽすぎるから?」
「そういう問題じゃない!! なにより、どうして冷蔵庫にそれなんかがあるんだッ!!」
「いや、一家に一本くらいはあるだろうし、飲まない?」
「飲まないッ!」
『カルシウムは木綿豆腐、ごま、いわし、厚揚げ、切干し大根、豆、緑黄色野菜などで補うことができます。また、ヨーグルトやチーズも有効です』
「そうだ! 別に、牛乳がなくて困ることはない!!」
「いや、牛乳がないとバターやチーズ、ヨーグルトだって作れないでしょう? ないと困るよ?」
「ぐっ! うぅ、山羊や羊のでも代用できるだろうが!!」
「できるのはできるけど、風味が違うから。あと量が少ない分、大量生産に向かない。産業を支えるには、大量に出すのが一番的確」
「ぐぅ、次から次へと屁理屈を!!」
「薫ほどじゃないかなぁ」
 と思いながら、××は牛乳をグラスに注ぐ。「おい」「俺は飲まんぞ」「絶対にだ!」と駄々を捏ねる桜屋敷を余所に、飲み干した。ふぅと息を吐いて、口元を水で洗う。
「美味しいのに」
「全人類がそうであるわけはないだろ! 阿呆が」
「はいはい。それにしても、もしかして牛乳プリンとかもダメな方?」
「あんなもの、食べれる方がどうかしている」
「私も、一層のこと普通のプリンとかの方が好みだけど」
 プリン・ア・ラ・モードといったアレンジでない限り、プリンはベーシックなものに限る。「だろう!?」と桜屋敷が扇子を握り締めて同意を示した。声の荒さが通常の比ではない。
(牛乳を飲まなくてカルシウムが足りないから、いつもそうなんじゃぁ)
 といおうとしたものの、完全に藪蛇だ。余計な一言である。キッチンに凭れかかり、桜屋敷を見る。桜屋敷は腕を組んだまま、話を続けていた。
「そもそも、アレ単体やメインで作る方が可笑しいんだ! 主役ではなく、脇役に添えるべきだろう」
「単体で飲めるのも楽だけど、そうだね。ホットケーキとかオムレツのは許せる?」
「あぁ。アレは完全に引き立て役になっているからな。牛乳の味すらしない」
「わかる」
「それに、そいつを抜くと料理としての旨味も減る。それだけは御免だ」
「だよね。ケチャップを憎めないトマト嫌いも同様」
「よって、そういったものに関しては存在を認めてやる。あくまで引き立て役としてな!!」
「はいはい。じゃぁ、薫には出さないように気を付けるね」
「当然だろう」
「今まで知らなかったの。うん?」
 ここで疑問に思う。つまり、今までのはなんだったのか、と。(薫、確かカフェオレとか飲んでいたような気が)記憶を辿る限り、ブラックやエスプレッソ単品のみで飲んだ覚えもない。紅茶に関しても同様だ。難しい顔になる。思いつめる××を見て、桜屋敷はたじろいだ。
「な、なんだ。言いたいことがあるなら、はっきり言え」
「いや。薫の話からすると、牛乳の味がする時点でダメなんでしょう?」
「あぁ。そうなる。牛乳のみって時点で、さらに無理だからな」
「じゃぁ」
 扇子ではなく、手の甲で口を抑え込む桜屋敷に思い切って、××はいう。
「今まで、虎次郎の店とか他の店でも、牛乳が入ってたのを頼んでたのは何故なの? どれも、元は牛乳じゃん」
「そ、それは」
 桜屋敷の目が泳ぎ、バサッと扇子を広げる。咄嗟に口元を扇で隠した。飴色の瞳が、左右へ往来する。いくらべっこう飴や蜂蜜に近い色味といえども、動いて糸を引くことはしない。動揺の度合いだけを、その瞳に映す。
「まだ、他の味で誤魔化せたからだ。飲めないことはない」
「でも、苦手なことには変わりなんじゃない? だったら、無理して飲まなくても」
「くどい」
「いいや、もっというからね。私と一緒にいて、無理なんてしてほしくないから。いい? 例え苦手なので」
「お前が!! そっちの方がッ! 美味しいからと!! いうからだろうがッ!」
 パァンと空気の乾く音がした。頬や肌からではない。扇子が勢いよく閉められた音だ。見れば桜屋敷の目は見開き、至近距離で××を見ていた。睨む、と形容するには遠い。必死に相手の次の反応を取り逃さないように視線を外さなかった。一方、いくら身長差があってもこの距離と形相に、××はたじろぐ。なにせ、ここまで桜屋敷が必死になることすら珍しい。助けのカーラも、口に出さない。「え、っと」まさかの原因が自分にあると叫ばれ突き付けられ、口を閉じれない。
 考えて、暫し。××は聞き返した。
「わた、し?」
「そうだ」
「その、なにかしたっけ?」
 ──苦手なものがあっても、好きなものを頼めばいい──といおうとした手前、確認は取りたい。その問いに「そうだ」と桜屋敷はきっぱり言い切った。
「俺がメニューを見ていたとき、お前が口を挟んできただろう。『カフェオレの方が美味しい』と」
「あ、あぁ。確かにそうだった」
 迂闊だったといわんばかりに、自分の口を手で押さえる。桜屋敷は腕を組み、フンッと鼻を鳴らした。
「さらに、紅茶のときもそうだ。苦手なら、ミルクティーを選べと」
「あれは、薫がストレートを選んでも反応しなかったからで。てっきり、苦手だと」
「悩んでただけだ。阿呆。お前が口を出すから、だ」
「ん? 待って。でも、それより他のを選ぶことだって」
 できたはずじゃ、と顔を上げる。瞬間、桜屋敷の顔を見て絶句した。見れば、耳まで真っ赤である。その上、下唇を噛み締めて、視線を逸らし続けていた。扇子を持つ手にも力が入り、ミシミシと音が鳴る。肘や肘の内側を掴む手にも、力が入っていた。着物の皺が凄い。「え、っと」釣られて××の顔が赤くなる。ポリポリと頬を掻きながら、会話を続けた。
「苦手だったら、断っても怒らないよ?」
「ッ、少し試してみようとしたまでだッ!! 馬鹿者」
 ボソッと罵声を吐く頃には、完全にそっぽを向かれる。とはいえ、悪態は八つ当たりに近い。小さくなった声と茹で蛸のように赤い耳が、その証左だ。桜屋敷の羞恥心が限界まで達していた。プルプルと肩が震える。(とりあえず、私が悪い、ってのもあるかな)原因は充分に起因する。少し考えて、××は提案してみた。
「じゃぁ、今度から無理に頼まなくてもいいよ? 怒らないし」
「怒る怒らないの問題じゃない。その、お前はいつもストレートの方だろ」
「まぁ、夜中にエスプレッソだと目が覚めるから、それ以外には」
「それだと」
 ××に向いた顔が、また逸れる。桜屋敷は明後日の方を見ながら、意地を口にした。
「その、話題が少なくなるだろう」
「えっ。だから、嫌いなら無理して飲まなくても」
「最近はアレくらいなら飲めるようになったんだ!! この戯けッ!」
「ひ、ひどい!」
「お前がいつまで経っても気付かないからだろうが! ったく」
 俺の身にもなって考えろ、と。桜屋敷は完全に背を向けた状態で、前髪をくしゃくしゃと掻き上げながら吐き捨てた。相手はなにを指しているのかがわからない。そういうことにも腹が立ち、一層のことなどと邪心が生まれる。それもすぐに頭を振り、腹の底に押し込めた。はぁ、と息を吐く。調子を取り戻してから、向き直った。
「昔より成長したということだ。完璧になッ!」
『これでマスターの弱点が減りました』
「あ、そうなの。じゃぁ、無理をしてなきゃいいんだけど」
 ××が顔を覗き込む。その気遣いは酷く嬉しく感じたものだが、今においては完全に逆効果であった。


<< top >>
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -