淡く揺らぐ1


「苗字今日飲みに行かね?」

キーボードを叩きながら、虚ろにディスプレイを見ていたら数時間前の坂田さんの声が頭にこだました。


坂田さんは時々私を飲みに誘う。それは、たまたま私がそこにいたから、とかの理由だ。決して私が特別なのではない。その証拠に、坂田さんとの飲みといっても、自分は天然パーマだからもてないだの、世の中の女の見る目がねえだの、私が終始坂田に愚痴を聴かされるだけだからだ。

何だか最近はそれに参ってしまった。別に坂田さんとの飲みが嫌になったわけではない。いや、むしろ坂田さんとぐだぐだ飲むのは結構楽しいし、欲をいえば出来る限り坂田さんと一緒にいたいと思ってる。しかし、坂田さんはいつも気だるい目をした男ではあるがいざというときはできる男であるわけで、坂田さんに思いを寄せる人間は私に限らず、社内にちらほらいる。よって、付き合ってもいない、まして、冴えない女が坂田さんと飲みに行くのは彼女らにとって、決して微笑ましいものではない。

私は争う気はてんでない。争いごとというのは、出来る限り避けたいからだ。だから近頃は不本意ながらも、「ごめん、今日残業あるから」と口を動かすのである。


パソコンのディスプレイの時計をみれば、19:46と映し出されていた。そろそろいい頃合いだと、身支度を整え、机の上に転がったコーヒーの空き缶をゴミ箱に捨て、未だ残っている同僚に挨拶をしたときだった。不意に私の斜め前の椅子に掛けられたものが目に入ってしまったのである。

電話を掛ければすぐに出て、会社近くの居酒屋にいるとのことだった。居酒屋に駆けつけてみれば、寂しがり屋の彼が珍しく一人で居て、何だか申し訳ない気分になった。



「ほら、上着」
既にほろ酔いを越した背中に上着を掛けてやれば、虚ろな目で座れと命令され、大人しく隣に座った。ビールを頼み、大丈夫かと尋ねれば、「遅えよ」とひとこといわれた。

「会社からまっすぐきました」
「そういう意味じゃねえの」
「じゃあどういう意味?」
「あ、ビール追加」

坂田さんに話を逸らされたので若干むかついたが、ちょうど私のビールがきたのでそれに対して、何も言わなかった。

それから坂田さんはまたいつものように、わけのわからない自論を持ちかけ、枝豆の皮を山盛りにした。私も酔いがまわり、日頃の仕事疲れもあいまって、坂田さんの声に心地よくのった。


その日、珍しく坂田さんは酔いつぶれた。タクシーを拾ってやれば、自分で帰れると言い張った。その千鳥足じゃホームに落ちるだろうと言えば、へらりと笑い「じゃあ、苗字が送れよ」と、わけの分からないことを言い出したので、酔ってることもあり「こんの、にぶちん男」と言って乱暴にタクシーに突っ込んだ。はずが、なぜか次の瞬間には私もタクシーの中にいた。

「手、離してよ」
「やだね」

まるで子どものような悪戯な目で坂田さんは言い、運転手に住所を伝えた。そして、タクシーはゆっくりと動き出した。

「坂田さん、手痛い」
「わざと痛くしてんの」
「はあ?」

だめだ。坂田さん完全にどうかしてる。そう思い、坂田さんに掴まれた手を諦め、シートに寄りかかった時だった。不意にアルコール臭を伴う熱い吐息が覆いかぶさってきた。薄暗いタクシーの中、最初はそれが何か分からなかったが、私の腰に腕が回ってきたのと同時にそれを認知し、私も酔っ払っていたせいか、思考がうまく回らず、それをそのまま受け入れた。
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