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あなたはまだ歯の立て方もしらない



私の目の前で、首を掻き切り死のうとした彼女を、私は見縊っていたのだと思う。日が落ちて少しだけ涼んだ夜に、私たちは汗だくになって抱きしめたあの夜を、私は生涯忘れないだろう。

私も同期と一緒にいる時間は唯一何もかも忘れて、笑っていられた時間だった。それが、いつのころから陰りが見えてきてしまったのだろう。ぐちゃぐちゃと自分の理性と本能、欲望と感情、何もかもが相反し、頭がちぎれそうになる中で、次々と舞い込む任務に飲み込む呪霊の数は増えていく。自分の足が地についているのかも分からなくなっていた。
何故か彼女に吐き出していた。私や悟よりも弱い、常識人で、人間としても女性で小さくて細い彼女は、簡単に折れてしまいそうで、でも、いつもなんだかんだ言いながら楽しそうに生きているように見えた。
同期としての想いは確かにある。それは、硝子も悟もそれぞれにあるだろう。それでも、彼女の私たちに対する感情は、重い。私が一歩でも動くのが遅かったら、彼女の頸動脈は切れていた。1日で高専に帰れる距離ではない場所で、互いが反転術式も持たないそんな場所で、頸動脈が切れたら、いくら私でも病院まで持つかどうかが危うかった。彼女はただ、当然のごとく、自分の死を受けいれていた。ぞっとした。
その後も、けらけらと何事もなかったように私を見つめる彼女に、ああ、愈々イカれていると腑に落ちた。呪術師は総じて、狂っている。

それでも、彼女のその感情に、少しだけ自分自身が冷えた。自分の想いをただ優先していいのだろうか。そのために、全ての感情を一本の思考回路に当てはめなくても、良いのだろうか。
同期を宝だという彼女の前で、消えたら、この子は悲しむのだろうなと、柄にもなく考えたのだ。


その後、帰った後に硝子にこの旨を話し、改めて2人して苗字に説教をした。硝子は烈火のごとく怒っていた。なんだかんだいって、同期であり、親友として大事にしているのは硝子も同様であった。
また、私も私で、少しだけ肩の荷が下りた後、悟とも話をして、気づいたら大喧嘩をしていたけれど、なんとなく、こいつがいるならなんとかなるかもしれないと楽観視できるようになった。それも、相変わらずのほほんと見ていた苗字の存在も大きかったともいえる。


「ねえ、夏油、一個提案なんだけど、人体実験につきあってくれない?」
「……は?」


暫くして、彼女は不穏な単語で私に話を持ち掛けてきた。
その話は、私の呪霊を飲み込む際の味の改善についてであった。私は、その話も彼女にしてはいたが、正直諦めてはいたし、彼女や悟のおかげで、少しだけ気持ちは生き返っていたので、彼女が頭にとどめて考えてくれていたことに驚いたのである。


「あくまで私の仮説でしかないから、まだできるようになるかわからないんだけど」
「うん」
「私の結界術って、結構柔軟にカスタマイズが出来るから、それを応用すれば、もしかしたら呪霊の味覚だけ消せるかもしれない」
「本当かい?」
「あくまで、まだ仮説だから期待はしないでね!」


私の眼が思わず、キラキラしてしまったことに彼女が気づいたのだろう。慌てて、何度も彼女が念押ししたものの、それでも私は自分の他に真剣に考えてくれる人物に出会えてうれしくなっていた。人間、気持ちに余裕があれば小さなことでもしっかりと幸福として掬えるものである。


「それだったら、ついでに悟も呼ばないか。悟なら君の結界がどんな作用があるのか見れるだろう」
「……夏油、絶対からかう気でしょ」
「それもあるけど、本当のことだろ」


渋々いいながら、基本は私と苗字の2人で、時には悟とともに、または、医学的知見から硝子もまじえて、様々実験をし始めた。

彼女の結界術は、確かに派手なものではなく、スタンダードなものである。
標準の結界は、四角形の形をして、呪霊や呪いを防ぐことが基本だ。彼女は元々のポテンシャルと努力で、通常の結界術よりもバリエーションは群を抜いて多かった。
呪霊を祓う基本動作は、呪霊を囲うように結界を張り、結界ごと祓う。呪霊の等級と結界を張る術師の能力値によって、祓えたり祓えなかったりする。彼女は現時点では2級相当だった。
結界術は守りとしても大変有効で、自分以外にも複数張ることができ、基本は呪霊や呪いを防ぐ。彼女の特異点は、呪霊や呪いだけではなく、物理的攻撃などにも有効である点だ。
特殊な帳を立てるには、複雑な術式やそれ相応の呪具が必要なことが多いが、彼女は身一つで、様々な結界を張ることができる。
呪霊や呪いを防ぐだけでなく、物理的攻撃を防ぐなどの設定も自在な他、強度や、結界自体を白く塗りつぶして景色を見えなくさせたり、逆に結界自体を見えなくすることもできる。
前は、四角の結界を限界まで小さくしたものを大量に作り、東京タワーを作っていた気がする。悟が嬉々として壊していた。
このように、彼女の結界術は気が遠くなるほど、緻密に細やかな結界を張ることが出来る。悟はいつも、彼女のことを弱いと見下していたが、十分に役立つ術式であると思う。
彼女の仮説はこうだった。


「これまで無意識でしてたけど、一般人を隔離する結界では、結界の中にいる人に外の景色が映らないようにしたり、血の匂いもしないようにすることがあるの。その原理は、簡単に言うと、嗅覚と視覚を遮断する機能を結界に組み込むことによって設定を変えることが可能。ということは、五感である嗅覚と味覚に関して、呪霊と呪いだけ感知しない、その上透明で違和感ないくらい薄く柔らかな結界を、夏油の舌に常時張ることが出来れば、無味無臭で飲み込めるのでは?」


少し強引ではあるが、理論理屈上ではいけそうなこともない。その日から、様々な文献や他の人の力も借りながら、実験をする日々が始まった。この実験の最大の要は彼女の結界術の底上げである。この部分は五条と似ているのかもしれない。数式のように、結界式を作り上げた上でそれを叩きこみ、負担なく張ることができれば、お互いに日常生活に支障なく生活できるだろうといった。聞くだけでも複雑な結界式を組み込んで、それをオートで発動させる。波大抵のものではないだろう。
五条に組み込んだものを見て貰ったり、実際に私の舌に結界を張って、飲み込んだり他のものを食べたりしてみた。


「ねえ、名前、無理しなくてもいいよ」
「だめ、ゲロなんて最悪だし、これはもう意地だから。私のために実験台になって」


きっと、強い目で見られてしまったら、私はおとなしく実験台になった。

気づけば、私は悟や硝子のように、彼女のことを名前で呼ぶようになった。硝子は同性の同級生ということで、最初から名前呼びだったし、悟は彼女のことをからかう目的で名前呼びになった。相変わらず屑である。
ついでに彼女も私の名前で呼んでといえば、きょとんとしていたものの、すぐに名前になった。
これで、彼女は同期の中で唯一悟だけ、苗字で呼んでいる。なんとなく、好きな人への境界線らしい。飄々としている彼女でも、そんなことを気にするのだなと面白かった。


「私と名前が、今更名前呼びし始めたら、悟はちょっと面白くないかもね」
「まっさか。五条はそんなこと思わないよ」


笑い飛ばしながらも、少しだけ切なげに目を遠くに細めた彼女に、なんでそこまで一途に思えるのだろうと不思議である。


「……悟は阿呆だな」
「何かいった?」
「なんでもないよ」


教室で二人計算式を睨んで実験しながら、ぼそりと彼女に聞こえないように微笑んだ。










「なあ、なんで傑、今更あいつのこと名前呼びにしたんだよ」
「仲良くなったからかな、なぜだい?」
「……別に、」


2人で夜中コンビニから帰る途中、ふとアイスを口に咥えながら悟がそう言った。私は少しだけ面白くて顔を覗き込んだが、すぐに鬱陶しそうに手を払われる。


「へえ、気になるんだ」
「うっせーな」
「まあ、彼女の私のこと名前で呼んでくれるしね」


ガリ、とアイスが彼の口の中で崩れる音がする。やはり、彼が気になっているのはそこだったかと、内心にやりと笑いながら、平然と話を続けた。


「彼女、悟のことは苗字呼びだもんね」
「うっせーな、あいつもあいつなんだよ、テメエが好きな相手は俺だっつの」
「悟、焼きもちかい?」
「ちっげーよ!!」


さらにがりがりとアイスのバーを噛みながら、舌打ちをした。言っている言葉は、焼きもちの何物でもない気がするが、もしかしてこの男は気づいていないのだろうか。性質が悪いな、と思いながら、硝子に報告する件に加える。
案外、二人がくっつく未来はありえないことでもないのかもしれない、と思いながらも、私は言葉を続けた。


「でも、悟、名前をからかうのは大概にしなよ」
「……これまでお前らも一緒に遊んでたじゃねーかよ」
「私たちと悟は違うだろ?」
「何がちげーんだよ」
「気がないのなら、思わせぶりな態度はやめなよ」
「そんなことしてねえよ」
「お前の顔に、あの子が弱いこと知ってて色々頼んでるだろ」
「……今更じゃねーか」


拗ね始める悟に気づきながらも、私は言葉を続けた。いつもだったらここまでは言わないし、これまでだったら言っていない。


「悟が今遊んでるからだよ」
「オメーも変わんねえだろ」
「あの子の好きな子は私じゃないからね」
「なんで、あいつの為に俺が気使わなきゃならねえんだよ」
「だから、気を遣うんじゃなくて、名前をからかうのをやめてあげなって言ってるんだよ」


2年生になって悟の女遊びが激しくなった。私のことは置いておいて、悟は女をとっかえひっかえして隠すことをしなくなった。名前がいる前でも、当たり前のように女の話をして、舌の根が渇かないうちに、名前をからかう。
もう一つのパッケージになっていて、名前も慣れた様子であしらうし、息をするように好きなことを隠しはしないが、それでも、自分の好きな相手が目の前でセフレの話をして、自分をからかうのは流石に性質が悪い。


「さすがの名前も傷ついてると思うよ」
「……傑が知ったような口叩いてんじゃねーよ」


寮に着いた悟は、私を睨んでアイスの棒を吐き捨てた後、音を立てて、自分の部屋へ戻っていった。




20210517
title by 星食