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あなたなんかいらないと大声で泣きたかった



警視庁で溜まった仕事を終わらせて帰路につく。明日は久々の休みの予定だった。今のところ呪術師の任務も入っていない。惰眠を貪ると決めていた。もし元気があったら、高専に行って誰かの稽古役になるのもよいかもしれない。あの事件から、私は改めて体術を意識的にこなすようになった。
同じ遠距離型の術式持ちである夏油は、近距離の体術も強い。フィジカル的には五条よりも軍配が上がる。流石に夏油には及ばないが、私もまた同じところを弱点として突かれやすいから、できる限り潰すのに努めるべきである。
コンビニでアサヒの缶ビールを数本買い、冷凍食品を数点買う。最近はお惣菜はある程度網羅しすぎて、温めることができるコンビニの冷食にハマっている。エビシュウマイと、アヒージョ風のなんとかを買う。春が来たが、まだ夜は時々急激に冷え込む。トレンチコートの襟を手繰り寄せながら、レジ横にいまだあるおでんと肉まんの棚を見た。


「あー、ピザまん一つお願いします」


コンビニのビニール袋をぷらぷらとさせながら自分の家の前に着く。桜はとうに散った。
エレベーターで自分の階につくと、遠目からでも、自分の部屋の階の前にしゃがみこんでいる黒い物体がいて、私は一瞬足が止まる。しかし、その物体にはよく見覚えがあって、私はそのまま黒のパンプスを鳴らして近づいた。
私の音に気付いたのか、もしくは気配ですでに気づいていたのか、その黒の物体は、私が近づいて足を止めると、ゆっくりと顔を上げた。私は見下ろした。
真っ白な髪の毛がさらされと揺れて、いつも着けている黒の目隠しではなく、今はサングラスをつけていた。


「……なんでいるの?」
「おまえ、いつもこんな時間なの」
「あー、まあ、これくらいの時間ならよくある、かも」


言われて時計を見れば、深夜になろうとしていた。煌々と廊下を明るく照らす蛍光灯がコンクリートを照らしている。彼の瞳は良く見えない。きらきらとした水色の輪郭が、真っ黒なサングラスの隙間からちらりと見えた。
彼が来ている黒の服からは、微かに血の匂いがする。


「危ないでしょ」
「……五条にそんなこと言われると思わなかったわ」


私はビニール袋をぼんやりとぶら下げて、ゆっくりと立ち上がった彼を今度は見上げた。途端に、今度は私を見下ろす形になる。
呪術師は夜遅い任務も多いし、昼夜逆転もざらだ。そんなこと、彼はよくわかっているだろうに。


「連絡、みた?」
「あ、切れてるかも」


そう言いながら私用携帯を取り出すと、案の定充電が切れていた。いつから切れていたのだろう。それに気づかない私も大分余裕が無い。
男ははあ、とため息を吐いた。


「おまえさあ、連絡くらいとれるようにしといて」
「なんでよ」
「それか社用携帯教えろ。マジでありえない」
「そんな要らないでしょ」
「少し前に死にかけたの忘れたの」



それを言われてしまえば、私は何も言えない。
とりあえず玄関で騒げないから、鍵を開ける。当たり前のように少し屈んで私の家に入る五条に、改めて我に返った。


「ていうか、なんでいるの。なんで普通に入ってるの」
「はあ?これだけ待たせて追い出すわけ」
「いや追い出さないけど。そもそもなんで私の家の前にいたの」


見上げれば、彼の白い鼻は少しだけ赤くなっていた。私はかさりと、彼の服を触ると、五条はびくりと止まって振り向く。


「めっちゃ冷たいじゃん」
「……お前が遅いから」
「だから、何の用」


今の私の部屋に入るのはそういえば初めてだっただろうか、と思いながらも簡素な部屋だから見せるものもない。寝室は入らないだろうし。てかこんな時間にきてこいつはいつ帰るつもりなんだろう。


「用がないと来ちゃいけないわけ」


私をふりかえってそういう彼はサングラス越しに揺れた目をしているように見えた。驚いて目を見開いた。私の思い違いか。一瞬で、いつもの瞳が黒のサングラスに隠れる。
彼は身振りも大きいしいつも巫山戯ているけど、いかんせん本音の表情だけは読み取りにくい。


「そんなこと、ないけど」
「じゃあいいじゃん」


そう言った彼はスタスタと、まるで知っているかのようにソファにどかりと座った。
彼がこうやってくるのは初めてな癖に、何を平然としているのだろう。
私は彼の横顔を見つめても何も読み取れない。ため息をついた。
私の部屋に、彼がいると酷く部屋が小さく見える。持て余した足を組んで机の上に乗りそうだった。


「私今からご飯食べるけど」
「僕の分は」
「あるわけないでしょ」
「ケチ」
「……ピザまんあるけど、半分こする?」
「する」


まるで小学生の会話のようだ。彼は座って私の部屋をみわたして動かない。トレンチコートを脱いで、私はレンジでピザまんをチンする。
缶ビールを取り出して、適当にペットボトルの水を、ソファの前のテーブルに置いた。


「おかまいなく」
「ピザまん食べるやつが何か言ってる」


たわいもない世間話。淡々と過ぎる会話。本当に彼は何をしに来たんだろう。
真っ黒な深夜、彼だって暇では無いはずだ。日本に4人しかいない特級呪術師、御三家の当主、高専の教師。
私と同じかそれ以上に、彼も働きすぎている。そんな彼が、なぜかせっかくの時間を、私の目の前にいることに費やしている。
1分経ってチンと音が鳴ったあと、交代でアヒージョ風の惣菜を入れる。深夜だがお腹すいたのだから仕方ない。生活は不規則だから、食べないよりマシだ。


「はい、半分こ。熱いから気をつけて」
「ん」

お皿に乗せてテーブルに置いた。私は、彼が座ったソファの隣に座る。2.5人分のソファがこんなところで役立つとは思わなかった。いつもは私のベッドになる。
器用に、素手で持っている男は、恐らく上手く無下限をはっているんだろう。
はふはふと横隣で食べながら、私は口を開いた。


「で、どうしたの」
「ん?何が」
「だから本題。さすがに用事あるでしょ」
「ないよ」
「……は?」


私は1人晩酌をしながら、思わずほうけた声を出す。目の前にあるテレビからは、小さな音で深夜の良く分からないニュースが流れていた。ただのBGMで誰も聞いていなかった。


「……あんたね、こんな夜中に来るのは迷惑でしょ」
「名前が俺に迷惑なんて思うことないでしょ」
「あるわ」
「名前の癖に生意気」
「言ってろ」
「昔の名前は喜んで僕のやることなすことに着いてきてたじゃん」
「いつの話をしてるの。もうあの時とは違うから」


過去の話を蒸し返されても今更困る。だいぶなりを潜めたと思っていたが、こうやって彼が私の過去、所謂私が彼を好きだった時の様子をけらけらと笑いものにするが、それはもう既に終わった話だ。
五条は、私がそう呆れながら言うと、口を閉じた。私は、口にエビシュウマイを放り込みながら、先を促す。


「で?」
「……連絡が取れなかったからきた」
「は?それだけ?」
「それだけってなんだよ」


彼は、ふてくされながら吐き捨てる。私は缶ビールを煽って私は笑った。どこかで自棄になっていたのかもしれない。私は相手のことを考えず、ただ脳内の言葉を発する。


「それだけでしょ。五条最近変だよ」
「……何が」


一瞬、空気が変わったような気がした。低く垂れこめた声に、私は少しどきりとする。それでも、いまだ私は空気が読めない愚か者だったらしい。
どこかで、彼に対しての畏怖を、五条悟という人間に対して、甘えていたのだ。


「私に対して過保護だよ、恋人じゃ」


あるまいし。最後の言葉までは言わせてもらえなかった。
彼はぐい、と身を乗り出して横に座っていた私の胸元を掴み上げた。その力は強く、首元が上がって至近距離に彼がいた。
窒息のように首が引き攣って呼吸もままならない。動いた手が、テーブルの上の空のビールの缶に当たって転がる音が聞こえた。
ぐっと、体自体が近づく。まるで抱き寄せられるようで、全く違う。
五条は、私の目の前で、サングラスの隙間からよく青の瞳が見えた。爛爛としたその瞳を、こんな至近距離で見たのは久々だ。私は愚かにも、そんなことを考えていた。
私はずっと昔から、彼の瞳を見ると綺麗だと、そんなことばかり、考えている。


「は?ここまでしても分からない?オマエがいう恋人になったら過保護は許されるわけ?なら恋人になってやろうか」
「な、にいって」


出てきた言葉は掠れていた。彼は何を言っているのだろう。恋人、という言葉を吐きながら、彼はまるでそんな甘い雰囲気はなく、寧ろ酷く怒って私を見つめていた。


「はっ、オマエは随分勝手だよね。勝手に好きだ恋だなんだ言っておいて、勝手に諦めて他の男と付き合って。それは別にいいさ、勝手に幸せになればよかったよ。それがどうだ、結果オマエは死にかけて。俺がどんな思いで、オマエの切れた手首を持って帰ったと思ってんだよ。当の本人はけろっとしてるし、オマエはずっと雑魚なんだ。僕に比べたら、雑魚なんだよ。今日もなんか変な男に付き纏われてるし。勝手に傷つくな、死ぬな。オマエを殺すのは、僕だ」


彼は、私の胸元を掴み上げたまま、私に吐く。殆ど、私に乗り上げたようだった。
最後の言葉は、息が雪のように吐いた。まるで、諦念だった。
私は、彼が何を言っているのか、理解が追いつかなかった。私はただ、煌めく中に炎が燃えている瞳を見つめていた。
他の人間であれば、恐怖を感じてもおかしくないのに、私は目の前の大男にこんなことをされてもなお、恐怖からは程遠かった。


「……五条は、私のことが、好きなの?」


出てきた言葉は、酷く間抜けで、今吐かれた言葉から「好き」なんて愚かな言葉が出てきた時点で、私の愚鈍さは変わらない。
今更、今更だ。ずっと、ずっと、今更なのだ。
それでも、彼が初めてなのだ。私に対してここまでの激情を言葉にしたのは。
その言葉に対して、彼は狼狽えることもなく真顔で口を開く。美人が怒ると真顔になるのだ。


「好きって甘い言葉を吐けばオマエはふらふらしないの?なら吐いてやろうか。名前がずっと求めてたものだろ?」
「いや、ちょっと、待って、ごじょう」
「ここまで来たら言うけど、名前の言う『好き』って何?『恋』って何?そんなもの何になんの。オマエがきらきら求めてた甘ったるい感情なら僕はないよ。何にもない。オマエに渡せるものなんて昔も今もねえよ。それよりもっと酷い、昏い感情しかない。他の男のところにいって幸せになるならそのまま幸せになればよかった。僕には幸せなんて与えられないから。なのにお前は傷つくじゃん。知らないところで傷つくな。下らないことで、下らない人間のせいで傷つくな、死にそうになるな。そんなことだったら、」


彼は突然言葉を切った。私が、彼のサングラスを取ったからだった。そのまま、彼の頬に両手を這わせる。彼はびくりとしたまま口を噤んだ。目を見開いて私を見つめるその瞳は、変わらず美しい。
ここまで近くで、しかも肌に触れたのは初めてだった。
彼は、胸倉を掴んだ手は緩まない。
私は静かに、言葉を促した。五条は少しだけ、怯んだように目を瞬いて、すぐに無表情になる。


「僕から、離れんな」


既に、彼の声は静かに弱弱しくなっていた。手からも力が抜ける。私は、五条の頬を両手で挟んだまま、目を合わせる。滑らかな肌はさながら陶器のようだ。


「五条、」
「……なに、引いた?引くなよ。引いたら引いたで呪ってやる」
「あなたが言ったら洒落にならないでしょ」


私は微かに笑いながら、そのまま、彼の頬を撫でた。彼はびっくりしたように目を瞬いて、私をぼんやりと見つめる。


「五条は馬鹿だねえ」
「……は?」
「いや、私も馬鹿だったか。ごめんね。五条には綺麗に見えてたかもだけど、きらきらなだけじゃなかったよ。私だって、ずっとずっと、綺麗に見せかけて、汚かった」


あの当時、若いなりに少しは綺麗な感情だったかもしれない。それでも、舐めないでほしい。
私が、あなたを好きだった年月は、10年だ。10年近く想い続けた、想い続けるしかできなかった感情が、そんな綺麗なものであるはずがなかった。
彼と同じ感情ではなかったとしても、私の感情は綺麗なだけじゃない。「好き」とか「恋」とか、そんな綺麗なものじゃない。あなたみたいに、綺麗じゃない。
でも、そういうとまた、あなたは、違うと吐き捨ててしまうんだろう。


「幸せを与えられないなんて、言わないで。私は五条を好きだった時、それだけで幸せだった」


なんて、臭い台詞なんだろう。こんなことを、彼に言うつもりはまるきりなかった。
私は、好きだと言い続けながら、本当に必要な言葉は、感情は、何も伝えてこなかったのではないのだろうか。
彼はまるで、私の目の前で、子どものような顔をして、瞳が揺れていた。
彼の立場、背負うもの、生き方、何一つ、『最強』ではない私は、どこまで理解できたつもりになれるんだろう。
彼は理解しているだろうか。その感情は、執着だ。私に対する執着である。
私が、死ぬのをみたくないと人を遠ざけるのに反して、彼は、死ぬくらいなら、自分の前で、死ねという。
彼にとって、自分以外の人間が先に死ぬのは、当然の理なのかもしれなかった。


「今日、術師が1人死んだね」


そういうと、彼はぴくりと反応した。私は脈を測っているようだと少しだけ可笑しくなった。
午後の時点で、連絡が来ていた。一級呪術師が1人死んだ。狭い世界だから知っている人間だった。一級相当と呪霊が3体、1体が途中で特級にあがった。力不足で負け、死んだ。
当然の理であり、淡々とその事実だけが周知された。
私たちは、それを聞いても、平然と生きていくしかない。

恐らく、その一級術師の後始末は、特級である彼がしたのだろう。祓えなかった呪霊を、彼は傷一つなく祓う。
何度も。何度も。
もし、死んだのが自分であったなら。彼は、許してくれないだろう。


「死なないよ、五条。私は、死なないよ」
「……っばっか、だからオマエは雑魚だって、」
「五条が殺してくれるんでしょう」


私は、繰り返した。あの時の約束、手首を落としたあの時の声、私が、きちんと彼に向かって是といったのは初めてだった。
一歩踏み外せば、縛りになってしまうほど、危うい言葉だった。当然のように彼は、そのことを思い至り、血の気が失せる。
五条は息を呑んで、私の手首を強く掴んだ。しかし、私は五条の頬からは手を離さなかった。

怖いのだろうか。あの五条が。
いや、彼はどこまでも、神に近くて、それでいて人間くさい。柔く脆い。そう言ってしまえば、誰もが絶対に笑い飛ばしてしまうけれども。
あまりにも純粋に、怖いほど、彼は綺麗で、澄んでいる。


「……オマエが死ぬまで、僕のそばから離れないでよ」


酷く悲痛な声で、震えながら言った五条の瞳は揺れていた。私をただ見つめているその瞳は、寄る辺のない子どものように揺れていた。
私はその瞳を見つめたまま、薄く頷き口を開く。


「……それはちょっと違くない?」
「…チッ」
「え、こっわ、え?」


綺麗な顔をそのままに、堂々と目の前で舌打ちをかます男は、高専時代の男とそのままで、フラッシュバックする。
さっきまでの脆い表情が嘘のように、けらりといつもの五条に戻る。
この舌打ちで、あのまま頷いていたら、本気で縛りを結ぶつもりだったかもしれないと、背筋が寒くなる。


「え?まじで縛り結ぶつもりだった?え?」
「そこは盲目じゃねーのか」
「は!?怖いわ!」
「死ぬまでそばから離れないでね?」
「ばっかじゃないの!?」


範囲も何も決まってない笊の条件を、彼はきゅるんとした巫山戯た顔で宣ったのだ。


20220217
20230420 追記修正
title by 星食