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記憶は遺書の代わりです





その男は、私立探偵の安室透と名乗った。このビルの2階は毛利小五郎の探偵事務所があり、毛利小五郎の弟子としても師事しているらしい。胡散臭そうな笑みを浮かべながら、私にそう言った男は、一目惚れをしたといって場をしらけさせる。
警察関係者は度肝を抜かれたような顔をしていたし、年頃の毛利蘭はあら、と顔を赤らめてきらきらした瞳を見せていた。呪術関係者は言わずもがなである。
いつの間にか後ろに来ていた人間は、私の腰を抱き寄せ、低い声を出して安室を威嚇した。


「はあ?何言ってるわけ、こんな胡散臭い男にやれるような女じゃないんだけど」
「あら、お知り合いでしょうか。しかし恋人でもない人間に言われる筋合いはありませんね」
「な、だっから、俺の、」


まるで、所有物のように私を抱きかかえようとする男の手をはたく。あっさりとそれは離れて、白い手には赤みが残った。


「五条、うっさい」
「名前」
「お気持ちだけ。で、とにかく今は、仕事をしたいんですが」


にっこりと笑って、安室の顔を見た。
犯罪件数の多い米花町といえど、今起こっているのは殺人事件である。くだらない色恋沙汰に割いている時間などはない。

話はあっさりと進んだ。その安室透を中心に、小さな少年も立ち回って犯人を特定する。結局犯人は店内にいた一般人で、呪術師たちはあっさりと容疑を外れた。
今後、このようなことは極力減らして下さい、と遠回しに目暮警部たちに釘を刺し私たちは帰ろうとした。


「ありがとうございます、名前さん!」
「いいえ、とんだ面倒な事件だったわね」
「……それは、名前さんにとってでは」
「ああ?」


私にくっついて離れない五条を払いながら、ポアロの外に出る。
五条は、あの事件後、徐々に過保護になった。まるで、重い恋人のような執着だと、冗談で硝子にこぼしたら、案外間違いじゃないんじゃないか、と言われ、私は笑い飛ばした。
今更、この男は何をしているんだろう。自分で言っておいてなんだが、今更そのような情を抱かれたところで遅い。私は、もう、好きな人を作らない。私の五条への恋は、とうの昔に捨てたのだから。まあ、本気ではないんだろう。
あの人は昔から、人に対して所有物のように扱うところがある。自分の知らないところで死なれるのは、我慢ならないのだろう。ただ、それだけだ。
このまま灰原の車に乗って高専に帰ろうとした矢先だった。


「ちょっと灰原、助手席めっちゃ荷物乗ってるじゃない」
「え、名前さん伊地知は!?」
「灰原のに一緒に乗せてもらえばいいやって帰ってもらっちゃった……」


助手席に乗ろうとすれば、そこには見事に彫刻をかたどった絶妙な高さに積み上げられた書類や私物の山である。確かに、助手席にはあまり乗ることはないが、これは酷い。


「だから前からきちんと片付けなさいって言ったでしょう」
「片付け苦手で」


苦笑いしながら頭をかく灰原をみやり、七海が溜息をついた。


「えっどうしよう……五条と七海乗ったらパンパンだよね」
「僕片付けます!」
「いやいいよ多分今は触らない方がいいと思う」


勢いよく物をどかそうとする灰原を慌てて止めた。絶妙なバランスで保たれている今の荷物たちを一気にどかしてしまえば、雪崩が起きることは明白だった。
後ろに乗せてもらうにも、今回の呪術師は五条と七海である。どちらも背も肩幅もある大男たちだ。挟まれるのは遠慮したい。


「五条跳んでいってよ」
「はあ?やだよ。オマエが伊地知帰したの悪いんじゃん」
「アンタ飛べるでしょ」
「無駄な力使いたくないもーん。僕疲れたし」


車にしがみついて離れようとしない男をばしんと叩いても、手が阻まれる感覚がする。無下限を張っているらしい。想定内である。
諦めて駅まで歩こうとグーグルマップを起動したところだった。


「名前さん、もしよかったら送りましょうか」


声が聞こえて皆が振り返ると、そこにはエプロンを外した茶髪の男が立っていた。七海より少し背が低いくらいなので、あのメンバーも十分背が高いんだな、と改めて気づく。
その言葉に、五条はあからさまに声を出したし、私は真意を測ろうと目をひそめた。


「はあ?オマエバイトだろ」
「僕車で通っているので。シフトも終わったので、良ければついでにいかがですか。どうやら困っていらっしゃるようですし」


ここで下心を出さないのは、流石であると思う。あんな独壇場をやっておいて、さらさらと歯に浮かぶ言葉を吐く。


「オマエには関係ないだろ。名前が乗るくらいなら俺が乗るから」
「男を助手席に乗せる趣味はなくて」
「ちっげーよ馬鹿」
「五条先輩、口調が昔に戻ってますよ!」


きらきらとした声で、五条にさっぱり言う灰原が眩しい。なんだかんだ言って一番強いのは灰原かもしれない。


「名前さん、僕が言うのもなんですが、お言葉に甘えてもいいんじゃないですか?安室さんは名前さんのことお好きなようですし」
「はあ?灰原オマエ、」
「合意なしは逃げてくださいね!」
「あははは、襲いませんよ」
「本人の前で言うことじゃありませんよ」


灰原の怒涛の勢いに、安室でさえも苦笑いしている。流石に七海が灰原の頭を軽く小突いて窘めていた。私は溜息をついた。


「なら、お言葉に甘えて」
「お気になさらず」
「ちょ、待ってよ」
「はいはい五条さんは僕の車乗ってくださいね!七海も!」


灰原がぐいぐい押して大きな体が車に吸い込まれていく。七海も溜息をつきながら五条を押しやった。五条がいまだ何かを言っているような気がしたが、言葉は届かない。
お手本のようなエスコートに流されるままに、アルバイトでは到底維持できそうにない車の助手席に乗り込んだ。






「で、元気そうでなによりだな」


現場にいた時よりも、幾分か低い声で車を運転する。助手席に乗り込んだ私に、まるで和んだように声をかけた。慣れたように運転する彼の姿は酷く静かで、運転技術の力量が推し量れる。
私は少しだけ安心して口を開いた。


「私の方こそ、びっくりしたよ。何してんの、こんなところで」


彼は、ふっと笑って黙る。松田達から聞いてはいた。卒業後、連絡が取れなくなった二人のことを。私は確かに同期ではあったけれど、同期として話すだけで、彼ら5人のような友人からは程遠い。
降谷とは、ただの同期である。私たち警察の中で、全く音信不通になるのは、死か、物理的に連絡が取れない部署に配属されたことを意味する。
降谷は首席で卒業したし、諸伏もまた、降谷と同様に卒業以来連絡が取れないでいる。
やはり、同じ穴にいたか、と私は安堵とともに腑に落ちていた。


「ははは、こちらこそびっくりしたよ。君がまさか、特殊課なんてね」


彼の言葉のすり替えは、私の考えを肯定するようなものだった。
特殊課という言葉の意味を、明確にわかるのは警察関係者の他にいない。
私はその言葉で、この空間では元に戻っていいのだと判断した。


「松田たちが心配してたよ。生きてるかって」
「ああ、あいつらとはつながりがあるのか」
「……まあね」


私が、松田と付き合っていたことは彼には知る由もないだろう。それくらい、短くて濃い時間だった。それくらい、彼とは疎遠になっていた。


「で、何の用」
「つれないな。僕は君に一目惚れして二人きりの時間を手に入れたのに」
「馬鹿言わないで」


彼が、笑って私に言うものだから、私も冗談と笑い飛ばす。彼が、わざわざ接触を試みたのには理由があるのだろう。


「かの有名な首席様がそんな女たらしになったなんて」
「言ってろ」


そういう彼の表情は穏やかだ。確かに、彼は社会に出れば男女問わず人好きのする顔をしている。私が知っている表情は、酷く堅実で、5人といながらも孤高の人間であった。


「私が軽率にあなたの名前を言いかけたのは悪かったけど、あんな止め方ある?」
「分かり易いだろ。苗字も苗字だ」


あの場で彼の本当の名前を言ってはいけなかったのだ。今思えば、私も軽率だったと分かるが、人はあまりにも衝撃的なことが起こった場合、咄嗟に嘘はつけない。


「あなたみたいに訓練は受けていないので」
「同じ穴の貉の癖に」


彼が、同じ穴の貉だと揶揄するように、私と彼は同じ「公安」の所属だと暗喩する。しかし、私はそれを知る由もなかったし、そもそも歴とした公安の潜入捜査官であろう(恐らく)彼と、ただ置く場所がなくて公安にいる特殊課の私とでは月とすっぽんほどにフィールドが違う。私が、彼の仕事をよく理解していないのと同様に、彼もまた、私の仕事はよくわかっていないのだと思う。それほど、私たちの組織は秘密主義で、横のつながりがない。
彼とはくだらない会話をしながら近況報告をした。とりあえず、生きているだけで丸儲けである。この職業では。


「まさか、警視だなんて。出世したな」
「やめてよ。首席のあなたに言われるなんて気持ち悪い」


彼は笑みを深めてハンドルを切る。しっかりとあの店での話を聞いていたようで居心地が悪い。


「あなたも知ってるでしょう?」
「ああ、ヒトナラザルモノか。佐々木さんはどうした」
「あの人は定年退職でいなくなったよ」
「なるほど。それで」
「そういうことだから、ただポストが空いただけ」


彼は少なからず私の上司のことを知っていたようだった。彼がどのような立場なのか、今は分からないが、私よりも何倍も優秀で、私の特殊課のような、文字通り特殊な立場ではない警察組織のキャリアを考えても、十分実質的な立場は私よりも中身の伴うものであろう。


「で、今更なんだけど、私をどこに連れていくつもり?」
「あれ?警視庁でいいんじゃないのか」
「いいの、近づいて」
「いいさ。僕はただ警察官の君を送り届けただけだからね」
「そう」


確かに、この道は警視庁ないし霞が関に向かっていた。まさか、とは思っていたが、彼がいいのならいいのだろう。
瞬く間に、警視庁の周辺に近づいて私は人知れず溜息をついた。それに降谷が笑ったような気がしたが、私は無視する。


「ここでいいよ」
「そう。もっと君といたかったな」
「まだその演技続いてるの?」
「本音だよ」
「嘘ばっか」
「嘘じゃないよ」


笑って言う彼に私は溜息をついて、車を停めたのを見計らいシートベルトをとった。
ドアを開けて、降りようとするときに、私は彼の方を振り返って名刺を投げる。


「何」
「ねえ、あなたがどこまでヒトナラザルモノを知っているか分からないけど。まあ、何かあったら頼ってよ。課も立場も」


彼は私の名刺をなんなく受け取ってじっと見つめていた。


「今どうせ私しかいないし。何かあったら宗教でも霊でも化け物でもなんでも理由にしてあげるから」
「もみ消しか」
「馬鹿、もみ消しなんてしないけど。こっちにはこっちの領分があるの」


彼は少しだけ眉根を寄せたが、名刺は捨てることはないまま胸ポケットに入れた。


「まあ、何かあったら。こちらこそ、探偵の安室に用事があったらいつでも」
「警察が探偵を頼るのは小説の中だけよ」
「確かに」


じゃ、と軽い挨拶を交わして、彼は去っていった。
私はまた、悲しきかな自分ひとりだけの部署へ戻るために通路を回る。



20220211
title by エナメル