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ハロー、忌々しき安寧の日々



罰だと思った。私の最善だと感じた感情は、酷く相手を傷つけるものだった。臆病は人を傷つける。私に彼を追いかける資格はなかったし、彼の前で泣く資格はなかったのだ。
彼は、精いっぱいの愛情を、誠意を、私に向けてくれていた。私には誠意がなかった。
結局、彼を、全てを包み込むほどの寛容さが、私にはなかったのだ。
失ったときに気付いてももう遅い。
愛してるよと、言った彼の言葉が、深く心に刺さった。すり抜けていった手を、掴み損ねた私に、人を好きになる資格なんてない。









灰原から、珍しくメールが入ったと思ったら、それと同時に仕事用の携帯の着信がなった。目暮警部からの連絡で、下っ端通り越して警部だなんて、厄介なことになったなと舌打ちをした。そのまま目暮警部の着信をとって、耳に当てながら、私用携帯のメールを見る。


「もしもし、目暮警部。お久しぶりです」


私は本当は今日休みだったのだが。午前中の任務を終わらせた直後、そう言いたくなる内心を押し殺して話の前にメールに書かれた場所を確認する。

先日、萩原は栄転した。こちらとしては大変仕事のできる人間であったため、離したくはなかったのだが、本来この部署に一般人は長く所属しないのである。後ろ髪引かれる思いで、苦笑いする萩原を見送った後、こちらには人員が補充されていない。
しかも、この3月、上司が定年退職となった。歳だとは思っていたが、今年だと?1年間違えてたてへぺろ、とされたときに殺意を覚えたのは仕方がない。本人は、警察にそこまでのやる気はないため、泣きついても残る気はなく、地元に帰り窓としてバイト感覚で生活するらしい。退職金はあるし。くそったれ。
その後、相変わらず人員は補充されず、私の役職が上がった。はてどういうことだろうか。元上司は、その件で、書類仕事は増えるけど、やれることは増えるはずだよ、とのほほんと言って去っていた。何かあったら連絡してね、と連絡先を渡され、私は呆然としながら、見送った。

1人でどうしろというのだ。役職上がったところで、1人なんてやっていることは変わらない。しかも書類は無駄に増える。なんだこれ、公務員の書類制度マジでやめろ。せめてデジタル化してくれ。
イレギュラーの措置で、私は裁量労働制が許可された。というか、私がこの課の全権を握っているので、好き放題である。また、管理職になったせいで残業代制度が無くなった。意味わからん。これはもっと役職手当をつけてから言え。そもそも、警察官なんて定時があってないようなものであるから、実質働き放題だ。口癖になりつつある、くそったれ、と吐きながら、勝手知ったる世界であるため、好き放題に出社したり出張したりしているが、休みの区別はなくなった。ひっきりなしに電話がかかってくる部署ではないが、そもそも自分の課が一人であるため、社用携帯に全て連絡が直接来るようになった。どこにいたところで、連絡が来るので、休みなどはない。電話が来ないときが休みだ。

本来、呪術界と一般社会をつなげる役割をする、所謂狭間の部署であり、私は五条ら同期のよしみで時々呪術師としての仕事をしていた。本業はあくまで警察官だったのである。
しかし、昨年の私の事件があり、私自身の存在も問われるようになった。いくら補欠といえども、一応一級術師を有する者が、能力を呪術界の為に使わないのはいかがなものか、という上層部のお達しがあった。半分本当で、半分はこじつけである。実際、この事件で、私の処遇は表向きにはなかったものの、一級術師としての実力、呪術師としての性根が問われ、五条の力で私の立ち位置がうやむやになっていたものが、一気に改められた。結果、補欠というよりもほぼ呪術師として定期的に仕事が振られるようになった。
一級術師という資格を返上するという話もあがったが、なぜかそれは五条が差し止め、知らぬ間に話がまとめられていた。問い詰めれば、「ただでさえ人がいないのに、オマエに押し付けられなくなったら僕たち死んじゃう」と気持ち悪い声を出してくねくねしていたから、蹴りを入れようとしたら無下限で阻まれた。解せない。
確かに、私の事件のあと、冬には呪詛師の百鬼夜行という厄介な事件も発生し、呪術界・警察ともに後処理に散々追われた。最近は、特級呪霊もそこそこ報告されるようになり、確かに猫の手を借りたいほど人手は足りていない。私たちが学生だった頃ですら、学生を駆り出してなお人手が足りない呪霊発生数だったが、今の方が増えているらしい。恐ろしいことである。


「はいかしこまりました。近くにいるので直ぐに行きます」


どうやら、電話の件と灰原のメールの件は一緒らしい。
灰原がいるのに、ヘルプが入るのは珍しい。社用携帯を閉じて、伊地知に連絡し、帰りの迎えは不要と伝える。どうせ灰原がいるのだから、送っていってもらおう。この時は軽く考えていた。

灰原は、呪術師にならず補助監督となった。持ち前の明るさとコミュニケーション能力で、交渉には大変適した人間である。
大抵の人間は押し切られるし、灰原は人間と違って胡散臭くないため(七海は目立つため絡まれる)、万が一警察関係に巻き込まれたとしても、上手く対処をして帰ってくる筆頭の補助監督だ。
その灰原が、抜け出せない事件とはなんだろう。七海が有力容疑者なのかな、と事件発生の多い地域の住所を見ながら思った。その上、目暮警部からも連絡があったなら、いかないわけにはいかなかった。







喫茶ポアロ、と書かれた看板と、メールの住所を確認して扉を開くと、情報量の多い光景が広がっていて目を瞬く。
広いとは言えない、雑居ビルの1階の喫茶店の前にはパトカーが止まり、それを掻い潜って入る。駐車場はなく、伊地知を連れてこなくて良かったと思った矢先、扉付近にいる人物と奥にいる人物に驚くことになる。


「名前さん!ありがとうございます!」


犬のように近寄ってくる灰原は健在であるが、その後ろにいる人間が想定もしていなかった。


「灰原、こいつがいるなんて聞いてないんだけど」


七海だけではなく、そこにはうざったい表情をしてひらひらと手を振る、黒の目隠しをした男が座っていた。
手を振りながらも、やたらと甘そうなクリームたっぷりのパンケーキを頬張っている。この場で食べているのは五条のみで、異様な雰囲気であった。


「やだ帰る」
「待ってください先輩!今回ほんとにピンチなんです!七海が容疑者になっちゃって!」


灰原に引き止められ、その言葉に吹き出す五条、青筋を浮かべる七海の三本立てである。


「苗字さん、すみませんお手を煩わせて」
「いいの。私の仕事だしね」


流石にここまで来て帰ることはない。こそこそ話していると、大男たちに隠れていた人間がこちらを見ていることに気づいた。
こちら側の人間の挨拶はそこそこに、私の本来の仕事をするために、さらに店の奥に進む。


「目暮警部」
「おお、すまんすまん。忙しいところ」
「とんでもないです」


目暮警部と挨拶を交わす。今日は美和子はいないらしい。代わりにまだ若い高木という刑事がいた。


「ああ、同じ係の高木だよ」
「はじめまして、高木と申します」
「ああ、私は苗字と申します」


部署は口では言わずに、名刺を差し出した。一般人がいる中で、口に出し過ぎるのも良くない。高木に名刺を受け取ると、ぎょっとした顔をして、いきなり敬礼をした。その様子を見て、目暮警部も戸惑い、後ろの中年の男もぎょっとしていた。


「え、突然どうしたの」
「申し訳ありません!苗字警視!」
「え!」


警視という言葉を聞いて、周囲がざわつく。ばっと、高木に倣うように、目暮警部とその後ろの中年の男も敬礼をする。その光景に、周囲の一般人がざわついているし、灰原たちも目を瞬いてこちらを見ていた。変な目立ち方をした。


「やめてくださいよ。こちらでは肩書だけの課長です」
「いや、でも……」
「私の課、今私一人なんです。だから実質ヒラですから」


手を振ってやめる。実質、刑事部と公安部の肩書は一緒のようで、若干感覚が違う。警視といえば、大変な出世だが、私の課では人手不足で、ポストが空いただけの肩書であるし、ノンキャリアの若い人間が、目暮警部よりも上なのはいづらい。


「で、後ろの方は?」


警察の匂いがするが、かといって警察の雰囲気でもなさそうである。ちょび髭の中年男の隣には、高校生の女子もいた。


「ああ、こちらは元刑事で、今は探偵をしている毛利小五郎さんです」
「目暮警部、敬語やめてくださいよ。本当に私は今、上司が定年で辞めて人が配属されない閑古鳥の課でとりあえず肩書持ってるだけですので。歴としては佐藤の一個上なだけですし」
「あ、そうなんですか!?」
「そうよ高木さん、だから普通にしてね」


そういうと、戸惑いながらも普通に戻してくれた。
毛利小五郎といえば、あの眠りの小五郎だっただろうか。


「ああ、あなたがあの有名な」
「毛利です。ええと、あなたは刑事ではないんですかな?」
「なんといいますか……、こういうものです」


名刺を渡すと、さらにげ、と声をあげた。


「なあにお父さん」
「あ、娘さんなんですね」
「毛利蘭と言います。初めまして……あれ、どこかでお会いしませんでしたか?」


そう言われて、目を瞬く。


「……あ、幼馴染?」
「そうです!幼馴染と飛行機に乗っているときにお会いしませんでした?」
「ああ、あの時の」


思い出せば、鮮明な記憶だった。
海外出張で乗ったアメリカ行きの飛行機で、殺人事件が起き、それをちょこまかと警察についていた少年の探偵がいたのだ。


「警察の方だったんですね!あれ、あの時……」
「まあね、あの時はお世話になりました」
「はい、」


あの時はどうやって誤魔化したんだっけ。呪術師としての出張だったから、多分適当に職業を誤魔化した気がする。
曖昧に笑ってなし崩した。


「あ、ああ、あの特殊課の……」
「流石元刑事、ご存じでしたか」
「まだ、あんな部署残ってたのか、あ、すみません」
「いいんですよ。今も昔も煙たがられているのは変わりませんから」


この反応だと、恐らく何かしら事件を横取りされた経験でもあるのだろう。苦虫を噛み潰したかのような顔をしていた。分かり易い男である。


「で、事件は終わりますか。3人はこちらの管轄なので、引き上げてもよろしいでしょうか。こちらの灰原が、その旨をお話したはずですが」


いつの間にか灰原が私の隣に来ている。スーツを着ていると、本当に頼もしくなったなと、不思議な気持ちになる。
警察関係者には、特殊課の名前を出し、手続きをすれば速やかに容疑者から外れるような暗黙の了解がある。五条のような厄介な呪術師が引っ掻き回したのならまだしも、サラリーマン経験のあるまともな七海や、特殊課の次に事務処理に関わる補助監督である灰原がいて、手続きを行わないはずもない。しかも、今回は目暮警部の班で、全然話が通じないクソ警察官とのやりとりではないのに。
わざわざ私が呼ばれるケースはレアケースである。


「しかも、目暮警部からの連絡なんて、よほど大変な事件なんですか」
「いや……私は別にそのまま返すつもりだったが、コナンくんと安室さんがな……」
「え?どういうこと、灰原」
「なんか、今回殺人事件なんですけど、探偵が何人もいて、その人たちが全員出すな!って、きかなくて!あ、あと目暮警部から電話かけてもらったのは、七海の指示ですよ!一番偉い人に電話をかけてもらう方が話が早いって!ビジネスの常識なんですよね?」
「七海の差し金かよ!」


仕事のできる男である。確かに、偉い人間から呼び出されたらいかざるを得ない。しかも灰原と七海だと想定したら、確かに私は後回しにしたかもしれない。いや、いつもきちんとしているからこそ呼び出されたらちゃんと行く気もする。脱サラした七海らしい指示だ。
きらきらとした瞳の後輩は、良くも悪くも変わらない。私は七海を振り返って睨むが、我関せずである。


「名前さん、早くして下さい。五条さんといるのは気が滅入ります」
「なんでそんなこと言うんだよ七海ー、ほら、美味しいよ?」


フォークに刺したパンケーキを食べさせようとしてくる五条と七海を見ていて、確かに七海の気持ちも分からなくもないと溜息をついた。


「事情は分かりました」
「ああ、すまんね」
「でも、私が来たところで、要求は変わりませんよ。特殊課の管轄なので、この3人は帰してください」


そう言った矢先、奥から誰かが出てきて、私たちを見つけて声を上げた。


「あー!全員まだ帰っちゃだめだよ!」
「コナン!無茶言うんじゃねえ」


幼い声が耳に入って、声のした方を向くと、小さな男の子と背が高い男性がいた。小学生くらいの男子の声を耳に傾けていて、怒った毛利小五郎にまあまあ、と手を挙げて宥めている。
その姿が目に入るうち、私は目を瞬かせて、思わず呟いていた。


「え、ふる」


最後の言葉までは言わせてもらえなかった。突然彼はこちらを見定めたかと思うと、次には私の目の前に来て両手を握っていた。突然間合いを狭められた私は、反撃するわけにも言わずただ固まってその男を見上げた。


「ああ、すみません。どうやら一目惚れしてしまったようです。あなたのお名前を聞いてもいいでしょうか」
「……は?」


周囲の空気が一気に固まる。依然背が高い男に見下ろされたその顔は、よく知る顔なのにその言動は何一つ記憶と一致しなくてバグが起こる。
後ろで、急激に気温が下がり、私の間抜けな声と同時に、低い声が響いたのに私は気づかなかった。


20220129
title by 星食