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ゴーストタウン、流星群の来ない窓





名前は、一週間経っても、目を覚ますことはなかった。
ただの昏睡状態であったため、彼女はそのまま、呪術高等専門学校の医務室に置かれた。常に人は出入りし慌ただしいが、家入硝子が見守ることができるという点が優先された。

俺は、できる限り、高専に通った。有給をとると上司にいえば天変地異の前触れかとびびられたりしたが、背に腹は代えられない。できる限り、彼女のそばにいたかった。
そばにいることで、知ることもたくさんあった。あの話を聞くまで、俺は何も知らなかったからだ。
呪術師の仕事も、世界も、彼女の家族のことも、警察への志も。
死にかけたことは嘘のように、彼女は家入硝子のおかげで、今はどこにも外傷がなく、ただ眠っている。


「また来たのか。起きてないぞ」
「知ってる」


家入硝子という人物のことは、彼女からもよく聞いていた。同期であり、彼女は笑って言わなかったが親友のようなものなのだろう。学生時代のほとんどを一緒に過ごした人だと言っていた。遊びに行くのも、彼女とが多かった。
ざっくばらんな性格なのか、いつの間にか萩原とは連絡を取る仲らしいし、通ううちに、敬語はいいと面倒そうに外された。
相変わらず濃い隈をたたえながら、彼女は何やら書類を見ていた。

眠っている名前の隣に座って顔を見る。本当に綺麗に寝ている。栄養は全て点滴で補われていた。家入曰く、彼女はただ「眠っている」だけらしい。寝不足だっただろうから、まだ起きないのか、と冗談でも飛ばしたいくらいだ。
ふと、彼女の近くの机に、煙草が置いてあるのが目に入った。そこには、様々な見舞い客からの品が置かれている。彼女の好きな食べ物から小説本など、様々だった。
名前は、吸わなかったはずだ。自分が吸っているものよりも、幾分か軽いそれは、酷く浮いて見えた。


「煙草……」
「ああ、五条だろう。あいつ、買ってはみたもののクソ不味いって言って置いていった」


家入は一段落したのか、コーヒーを飲みながら、こちらの方を向いた。
確かに、手に取ると、その煙草は封が切られていて一本なくなっていた。


「こいつ、吸わないだろ」
「……ああ、基本吸わないが、苛々したときは吸う癖が昔あってね。五条はそれを真似したんだろ」


こともなげに言った。彼女が、煙草を吸うことは知らなかった。確かに、今思い返せば、すれ違いで朝に喧嘩した日、彼女からはうっすらと煙草の匂いがした気がした。それは、ただ職業柄吸う人間が多いからだと思っていた。
俺が、煙草を見つめているのを見て、家入は首を傾げた。


「知らなかったか」
「……ああ、知らなかったよ。昔から?」
「あー、まあ、昔からかな。若い時だよ」


何かを誤魔化された気もしながら、俺はメンソールが強いその煙草のパッケージを見つめた。
知らないことが多い。俺だって、恐らく萩原の方が俺のことは知っている、と思う。それでも、ただでさえ、呪術師と非術師という違う世界に生きている人間同士なのに、関係ないことでも、知らないことが多い、と、目を細めた。


「何を考えている」
「いや、知らないことばかりだ、と思ってな」
「呪術師のことか」
「仕方ないと思っていたし、俺もきかなかった。それで、受け入れたつもりにもなっていた」


彼女が、俺には見えない世界で戦い生きていることは知っていた。それでも、その詳細を聞こうとはしなかった。彼女は仕事のことは言いたがらなかったし、俺もまた、あえて聞かなかった。聞かないことが、俺にできることだと思った。そんな世界なんて知らなくても、彼女の全てを知らなくても、恋人として、二人で生きていける。そう、証明したかったからかもしれない。
しかしそこには、想像を絶するほどの残酷さが広がっていた。
この判断が、本当に正しかったのかは、最早分からない。


「後悔しているのか」
「いや、後悔しているわけではないけど、迷ってはいる」


彼女は、目を伏せて、コーヒーに口をつける。


「残酷なことを言うが、君に言ったところで、私たちのことを理解することはできない」
「それでも、寄り添うことはできる」
「そう。そして、名前にとってそこは重要じゃなかったんだろう」


愕然とする。そこまで、必要とされていなかったかもしれない。過ぎった考えが心臓を傷つける。


「でも、それが今の名前の幸福だったんだろう」
「幸福、」
「呪術師は、イカれていないとやってられない。死体さえ、上がってくることがマシなくらいだ」


家入の方を振り向くと、彼女は何を見つめているのかわからない目をして、床を見つめていた。家入は、高専の校医であり、法医のようなこともしているからだろう。死んだ男の解剖をしたのは彼女だった。


「そんな世界で生きていると、どこか狂ってくる。私も、五条も、夏油も、勿論名前も。その中で、君の存在は、息ができる居場所だったんじゃないか。それだけで十分だったんじゃないのか」


人が死ぬことが当たり前の生活だと言っていた。彼らの服装は、皆黒が基調だ。呪術師と呼ばれる人間は、皆黒の制服のようなものを着ていたし、補助監督と呼ばれる人間は、皆黒のスーツだった。それは、汚れにくさと、喪にすぐ服すことができるようにだろうか。


「息ができる、場所」
「見える人間でも、私たちの仕事を理解できる人間は少ない。況してや、それが見えない人間となればなおさらだ。こんな私たちを、少なからず理解し、受け入れている人間が、どれだけ貴重で、奇跡か、知らないだろう」
「そんなこと、」
「あるんだよ。ただでさえブラックの極みみたいな仕事だ。余計に、同業者以外関わる機会は減る。普通の会話をして、普通の心配をされて、普通に愛される。それがどれだけ、かけがえのないことか。君は、それだけで彼女にとっては、宝物だっただろうな」


淡々と紡がれる言葉は、酷く信じられなくて、俺は呆然とした。


「だから、自分を責めるな。君は、彼女が、命を懸けて守りたかったものなんだ。それは、受け止めてあげてほしい」


彼女はどこか、呆然と遠くを見つめていた。









「今、帰るところかい?」


後ろを振り返れば、胡散臭い笑みを浮かべた、黒ずくめの夏油が立っていた。
何度目かしれない、彼女の見舞いを終え、石畳を歩いているところだった。基本的に、家入以外に呪術師に会うことはほとんどない。それだけ、拠点にいることが少ないことを表していた。
夏油とは、きちんと話したことはほとんどなかった。


「送っていくよ」


断る隙も与えず、夏油は俺の隣に追いついた。俺は、何も言わなかった。


「一度話してみたかったんだ」
「何を」
「あの子の心を射止めた男をさ」


恐らく彼もまた、家入や俺と同じように、五条のことを知っていたのだろう。そういえば、名前から、夏油は唯一の五条の親友だと聞いた気がする。


「きみは、人を殺したことがあるかい?」


思わず足が止まる。後ろを振り返れば、その男は少し後ろで立ち止まって、こちらを見ていた。緩く口角は上がって、目が細められていた。
この男が、何を考えているか分からなかった。


「なんでそんなことを聞くんだ」
「大丈夫かな、と思ってね」
「何が言いたい」


男はゆっくり瞬いた。


「殆どの警察官は人に銃を向けることすらせずに引退する。なぜなら、それだけ危機的状況に陥ることがない平和な世の中とされているからだ。しかし、私たちは人を殺す。それが悪と定義づけられようが、人を殺すことには変わりはない。それについてはどう思うのだろうかと」


俺は何も言わず、相手を見つめる。男はそのまま話し続けた。


「あの男だってそうだ。結果として、男の自害となったが、あのまま時間が経てば何れあの男は死んでいたし、生きながらえたとて、欠損の体は残る。名前が、殺そうとしたことには変わりはない。私たちにとっては、当たり前の世界だ。名前が殺さなかったら、いずれ悟か私が殺していただろうね」
「だから、何だよ」
「潮時じゃないかと言っているんだ。確かに私は、名前と君の恋愛は応援していた口だよ。悟の甘えも酷かったしね。そういう意味で、君はいい起爆剤だったと思っているよ」
「おまえなあっ、」


ざ、と足を一歩踏み出して、夏油に近づくが、男はにこやかな笑みを浮かべたまま、動かない。呪術師の男というものは、こんな胸糞悪い人間しかいないのだろうか。


「だが、非術師と呪術師は相容れない。束の間の恋ならまだしも、今後一生を添い遂げることなど無理に等しい」
「名前の両親だって」
「名前の両親は、母親が術師を辞めたからだ。実際に子供の頃の名前は非術師と変わらない生活をしていた。しかし、結果彼女はこの世界に身を置かざるを得ないし、彼女も呪術師を辞めることはないだろう。
今回は、二人とも死んではいないが、果たして次は?君には彼女を守る術はないし、寄り添うことはできても視えない人間に、私たちのことなど理解できないだろう」


男はつらつらとまるで軽口のように淀みなく言葉を発する。
俺ははたと気づく。男は、俺を許していないのだ。それは優しさでもあり、残酷な事実でもある。


「もしも彼女が死んだら、私は君を許さない」


微笑んで、静かに笑う男を、俺は黙って見つめることしかできなかった。








そこから、またさらに一週間経った後、彼女は目を覚ました。偶然、見舞いに来ていた俺がそれを発見した。まるで、徹夜した後の眠りくらいに、不機嫌そうに間抜けな顔で起きた彼女に、腹立たしいやら嬉しいやらで、ただ、良かったと小さく呟くだけが精一杯だった。
思わず抱き締めて、震える体に、微かに名前の手が回った。家入に引きがされるまで、俺はそのままだった。
名前はそのまま微かに微笑んでいた。俺を抱き締めた時の、その瞳の暗さを俺は知らない。


「馬鹿か、」
「……ごめんね、硝子」
「これきりだぞ」


押し殺したような家入と、微かに眉を下げた名前がそこにはいた。
簡単な検査をした後に、主治医である家入から、体調を戻せば心配ないだろうと診断された。家入の力のおかげで、とっくの昔に彼女の怪我は治っており、体の衰弱のみが問題であった。
手も、綺麗に治され、リハビリは必要なものの問題なく動かせるとのことだった。


「あんた、ほんとやりすぎ、化け物」
「硝子それは言い過ぎでは」


軽口すら叩ける彼女と、当たりが強い家入を俺はただひたすらに見つめていた。
生きていた。良かった。ずっと生きていたけれど。それでも、彼女は、まるで他人事のように淡々としていた。寧ろ、俺が生きていたことに改めて安堵したようだった。その感情が危うくみえた。俺よりもずっと、彼女の方が、すぐに消えてしまいそうだった。俺はさっきまで、彼女を失いそうだったのに。彼女はあっけらかんと、まるで生きていることが他人事のようだった。


「で、あの男は」
「死んだよ」
「そっか、」


彼女はそれを聞いて、一旦は口を閉じた。その顔は、無表情だったが、男が勝手に死んだことに腹を立てているように見えた。
彼女を起こし、暫くたわいのない話をしている二人を見つめていると、大きな音を立てて扉が開いた。皆が振り返ると、そこには五条がいた。


「五条、」


大きな音を諫める家入の声が耳に入っている様子はなく、五条は、目隠しを外して、そのままずかずかとこちらに向かってくる。
無機質で酷く綺麗な瞳には、名前しか目に入っていない。長い脚で、あっという間に名前に辿り着いた男は、名前を見下ろした。
一瞬止まった男は、突如腕を上げ、突然名前の首元に手をかける。


「おい!」


名前の首元にかけられた五条の手は大きく、彼女の首を軽く覆った。命を握られた。
思わず身を乗り出した俺を止めたのは、いつの間にいたのか、夏油だった。男もまた、成り行きを見守っているようだった。
名前の首に手をかけた五条は、彼女を見下ろしていた。真っ白な顔には何も浮かんでいなくて、影ができていた。名前はされるがままで、五条をただ見上げている。


「言ったよな、勝手に死ぬのは許さないって」


名前の瞳は何も浮かんでいなくて、彼女はただ一度瞬きをした。
五条は、無感情なわけではなかった。ありえないほどに彼女に対して怒っているのだ。息が苦しくなるほど、男は名前を射殺さんばかりに見下ろしている。その瞳は爛爛と乱れている。


「お前を殺すのは俺だ」


五条は、低くそう言って、首から手を離して消えた。

五条が消えたことによって、一気に空気が戻る。家入は舌打ちをして、横にいた夏油は溜息をついた。


「よく倒れなかったね」
「くそあいつ、駄々洩れだったぞ」


夏油は、俺を横目で見ながら他人事のように言う。その言葉で、殺気にあてられていたのだと知った。
俺は、制止されていなかったとしても何もできなかっただろう。彼女は、何も言わずに、ただぼんやりとしていた。
家入は、彼女の首元を見て、舌打ちをする。


「ちっ、あいつ普通に力入れてやがったな、殴ればよかった。夏油殴っとけ」
「はいはい」


見てみると、うっすらと彼女の首元には男の指の痕が見えた。彼女は、こともなげにそれに触れて首を傾げて笑う。


「名前もなんとか言ったらどうだい」


無意識に触る手を止めて、彼女はきょとんと目を瞬いた。


「……今回は私が悪いからね」
「……よくわかってるじゃないか」


家入が、腕を組んで呟くように言った。



title by Bacca
20211128