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どうして私は彼を傷つけることしかできないんだろう、と抱き締められた腕の中で、そう思った



異常だ。流石に、私にでもわかる。
既に3日連続に深夜に入っている任務をこなし、私は始発の北陸新幹線に乗りながら東京に帰ろうとしている。今日は月曜日で、週の始めである。そんな日常がここ数週間続いている。補助監督によれば、ここ最近呪霊の動きが活発らしく、いつにもまして術師の人手不足が顕著らしい。とっくに境界が曖昧になっている私をこき使うほどに。

五条とも、あの時からタイミングが合わずにまともに話せていない。ここまで空いてしまうとわざわざ電話もしづらい。私がこれだけ引っ張りだこなのだから、恐らく特級術師の彼らも酷いものだろう。夏油ともそういえば会っていない。
元々、呪術師の仕事はブラックだが、それにしても、ここまで融通が利かないのは学生ぶりだと、まるで本職がどちらか分からなくなるくらいの生活をしている。
ここ一週間3時間もまともにベッドに入っているだろうか。殆どが移動中のうたた寝とレッドブルでなんとか凌いでいる。
流石に、萩原からも心配そうに声をかけられた。職場にシャワーがある職場でよかった。もう何日もまともに家に帰れていない。

既読にならないラインに舌打ちをしながら、増えた煙草の匂いが纏わりつく。
陣平とは、昨日朝に帰ってきた私と、出勤のために出ていく陣平と鉢合わせをした。流石に着替えがなくて、一度出勤した後に家に戻ってきたのだ。
恐らく酷い顔をしていただろう。余裕がないのは分かっていた。きっかけは何だったのか、覚えてすらいない。しかし、互いにすれ違っていたし、私が圧倒的に余裕がなかった。陣平に言われたことを私が素直に聞き入れられなくて、嫌味みたいに返してしまった気がする。そこからはもう、売り言葉に買い言葉だ。芋づる式に出てきた些細なことにお互いがぶちぎれた。


「おまえは俺の母親かよ」
「陣平に言われる筋合いないんだけど」


言い過ぎた。私が悪い。
何もまともにできていないのに、相手にばかり理想を押し付けていた。わかってる。余裕がない、なんてことがそもそも言い訳である。
私が隠し事ばかりな癖に、相手に求めるのはおかしいと分かっている。分かっていてもままならない。これが、恋というものならば、なんて厄介なものなのだろう。
死にかけてから、私は怖くて仕方ない。
もう、大切な人を、失えない。

おまえなんて、陣平に言われたのは初めてだったな、と思いながら、早々に呼び出された特殊課管轄の現場に向かう。
ごめん、と苦し紛れに打ったラインの既読はされないままだ。
最近特殊課で呼び出されることも多い。何かがおかしい。流石に、と思い、疲れた頭で今日こそ、連絡をしよう、とメールで最近の様子を報告しようと、打っていた。


「あ、ついたよ」
「ありがと」


運転席にいる萩原が声をかける。
私は途中のメールを閉じて、後で送ろうと後回しにする。
何もかも、遅かったし、私はぬるま湯に漬かりすぎてしまっていた。










今日は、数日ぶりに、家に帰れる日だった。ここ数週間にしては珍しく突然入った任務もない。組まれた任務なら無理やりにでも変更するが、緊急だと言われて回ってきた任務は、流石に断れなかったからだ。

今日はきちんと湯舟につかれる、ご飯を作ろう。まずは、彼に謝ろう。一つ一つあげながら、睡眠不足の体を引きずって半同棲の家に向かって、ドアを開けようとした時だった。
遅かった。油断していた。何か違和感がして、ドアノブから反射的に手を離して飛びのこうとした。
しかし、手は離れず、少しだけ空いた隙間に強い力で体ごと吸い込まれる。
隙間は真っ暗で、一瞬で意識が飛んだ。

気づけば、そこはだだっぴろいコンクリートの建物の中だった。錆びれた空き倉庫のようなである。
引き入れられた失態をおかしたことは瞬時に理解し、既に臨戦態勢に入る。なけなしの頭が回転する。
私の家ではなく、彼の家がばれていたことも気がかりだった。何が目的か。誰か応援を呼ぶべきだが、場所が分からないし、下手に動けない。


「やっと来たか。待っていたぞ」


後ろから声がして、ばっと振り向くと、そこには、少し前にはいなかったものが存在している。


「……陣平」
「会いたかったよ、苗字名前」


そこには、黒の着物を着た見知らぬ男が立っていた。どこか既視感を覚えるのは何故だろうか。
その横には、椅子に縛られて俯いている彼がいた。


「陣平!」
「ただ眠っているだけだ」
「……あんたが何の目的か知らないけど、彼は関係ないわ。手出したら殺すわよ」
「威勢だけはいいようだな」


陣平の近くにいる限り、下手に手は出せない。
確かに、眠らされているだけなのか、彼は私たちの会話で目を覚ましたらしい。


「……名前?」
「陣平!何もされてない?!」


思わず駆け寄りそうになるが、男が腕を振り上げたから足を止める。確実に私のための人質であった。


「大丈夫だから、それより」
「それより、私と話をしようではないか。この男は、私たちのことを何一つ知らないかわいそうな男らしいがな」


けらけらと笑う男に、私は何も言わず、陣平は険しい顔をしながら、様子を窺っていた。
呪詛師であろう男、私が狙われる目的など、一つしかない。


「、お前が、私の家族を殺した……っ」
「流石。話は早いな。やっとおまえに会えたよ。憎き、妹の娘よ」


男の眼には、憎悪しか宿っていなかった。私の眼もそうだろう。その時、私には陣平のことは頭になかった。

まだ生きていたか。それはそうだろう。
私の家族を殺したときに、若き五条家当主であった五条悟のおかげでできる限り早急に、腐った上層部を一掃した。母の兄である、私の家系を継いだはずの男は、呪術界上層部と警察上層部に強いパイプを持つ男だと想定されていたからだ。しかし、当時一掃したものの、まともな証拠は出てこず、そもそもその存在がいたかどうかすら判別がつかないものとされた。呪術界上層部にいるのか、警察上層部に匿われたのか、生死すら分からないまま、うやむやにされたのだ。

私は、表向きではないが、五条悟の庇護に入り、やすやすと手は出されないようにされた。また、特殊課に入ったことにより、身元が固定され、呪術界上層部からも、警察上層部からも、手を出しづらくした。ただの一般人なら、痕跡を残さず消しやすいからだ。私が特殊課に入った理由の一つでもあった。

長年、五条にも協力してもらい黒幕は探し続けてはいたが、綿密な計画を立てる姑息な野郎だったようで、生死すら分からない、顔も知らない男を探すことは骨が折れ、辿り着くことはなかった。
家族が死んだときも、見るからに、私をあえて外した殺人計画だった。高専所属だったからかもしれないが、その後も私は狙われず、相手の目的も推論の域は出ないから、一番の目的は私の母だったのだろうと結論づけられた。


「やっぱり、生きていたのね」
「隠れ続けるのは骨が折れる。だが、今日でそれも終わりだ」
「あら、それはこっちの台詞よ」


余裕そうな笑みを浮かべて、私は真正面から男を見据える。あれから何年も経って、私の目の前に現れたことの意味。必ず、裏があり、相手には勝算があるはずだ。
私の術式は分かっているだろうが、こちらは相手の術式が何なのかすら把握できていない。油断はできなかった。


「わざわざこのタイミング狙ってきたのも、どうせあんたの差し金でしょう。ちょっと卑怯なんじゃない?」
「戦略と言ってくれないか。戦場にフェアも何もないだろう」


相手は皮肉げに笑う。
本当に油断していた。舌打ちをする。ここ数週間の異常な私への緊急任務に、特殊課へ舞い込む仕事。どちらも上層部の差し金だろう。となると、五条や夏油の任務にも細工がされている可能性がある。応援が呼ばれて不利になるのは圧倒的に相手だ。
未だに繋がっていたか、と恨みが募る。まだ、こいつ以外に叩くべきところがある。生きていれば、だけど、と自嘲した。
本当にぬるま湯に浸かっていた。10年近く経ってもなお、私を殺しにくるとは思っていなかった。
圧倒的に私の方が不利だ。体調は万全ではないし、人質もいる。
一番恐れていたことだ。私のために、他が犠牲になるのは、もう、耐えられない。


「人質まで取って用意周到じゃない。裏を返せば、とんだビビりだけど」
「貴様、」
「そこまでしないと私に勝てるか分からないからでしょう?」
「はっ、言わせておれば……っ」


顔を歪ませて、彼は刀身を抜いた。構築術式の使い手か。
しかし、もう片方に持っている錫杖のようなものが気になった。おそらく呪具であろう。
男は陣平の喉元に切っ先を突きつける。


「っ」
「こいつを今すぐ斬り殺してもいいんだぞ」
「……彼には手を出さないで。関係ないでしょう」
「今回ここまでしたのは、おまえとゆっくり話すためだ。すぐにお前を殺すつもりはない」


言外に、人質をすぐには殺さないと言っている。私を嬲り殺すつもりだろう。たちが悪い。
時間が経てば経つほど、応援を呼ばれる危険性が増えるが、その危険性も対処済みなのだろう。わざわざ私の家から、違う場所に飛ばしたほどだ。ただの錆びれた倉庫のような場所だが、外がどのようになっているかは分からない。
外的で結界術が張られているようで、連絡するにも電波が立っていなくて連絡もできない。もし陣平は逃がしたとして、外がどうなっているかも分からない。
どちらにしろ、彼を庇い続けながら、男を倒すのが安全だ。


「私はさっさとあんたを殺したいけど」
「殺せるものなら殺してみろ」











「名前、俺のことなんか」
「やめてよ。私は諦めないから」


自分の後ろに張った結界の中に陣平を閉じ込めて、結界に凭れる。
私は伸びてくる刀身を結界で躱した。男は、この時間すらも楽しんでいるかのように御遊びのような刀身を私に突きつけてくる。これ以上近づいてこないのは、男は左足を引きずっているからだ。近接戦は分が悪いらしい。
私もだ、と内心で笑いながら、隙をついて伸ばした結界を当てようとするも、男に触れた途端綺麗に溶けてなくなる自身の呪力を見た。
流石に、この状況で結界は認知できるようになったのか、私の圧倒的な不利を、陣平も理解していた。


「はっは、しつこい奴だな。お前など、結界がなければただの小娘だ」
「五月蠅いわね。戯ればかりで、真面目にやりなさいよ」
「時間はたっぷりあるんだ。お前の母親のようにな、一つ一つ丁寧に切り刻んでやるさ」


ぎり、と歯を食いしばる。家族の身は無残な惨殺死体だった。改めて、男が殺したのだと思い知る。どうせ、男のことだから、私のことも嬲り殺すつもりだろう。それが殺人嗜好なのだ。


「ねえ、陣平、拳銃持ってない?」
「持ってるわけねえだろ、ここは日本だ。お前が職務外に持ってるのがおかしいんだよ」
「あはは。未登録だから大丈夫」
「余計ダメだろ」


なんとか、陣平だけは奪取したが、戦況は好転したといえない。陣平は守られているばかりで不服そうだが、今私が結界をなくせば、男は必ず彼を殺しにかかるし、非術師ではない彼に、一般理論が通じない戦いに相対できるとは思えなかった。

問題はやはり、錫杖だった。あの男が手に持っている錫杖は、持っている人間およびその錫杖が触れる結界を全て無効化するものだった。過去の呪具の授業で、そのようなものがあるらしいと夜蛾先生から講義を受けた記憶がうっすらがあるが、ほとんど幻だったはずだ。
最悪な幕開けだ、と笑う。背中に隠した拳銃も、替えの弾はなく、残りは少ない。呪詛師は人間であるから、拳銃は有効だが、能力によれば避けることも可能。すっぱりと日本刀で弾丸が切られた時にこれも致命傷は与えられないと悟った。

今更になって後悔している。結界術が使えない想定をしておくべきだった。呪術師とは、得手不得手があり、領域展開のように、相性の良し悪しで逆転も可能であり、逆もしかり。相性は最悪だ。
結界術が使えるなら、こんな男など、簡単に戦闘不能にしてしまえた。しかし、結界術が封じられた今、私はほぼ丸腰である。男がもし近接戦に持ち込んだ場合、勝てるか分からない。

男は恐らく、持久戦を目論んでいる。ゆっくりと時間をかけて嬲り殺すためだ。ただでさえ万全な状態ではない私は呪力量も満タンとはいえない。このまま、防戦一方であれば、恐らく呪力が切れる。そうなれば、一貫の終わりだ。避ける術がない。
ただでさえ、陣平を助けるために負った脇腹の傷からは血が流れ続けており、時間が経てば経つ程、私は不利だ。
どうにかして、あの錫杖を男から取り上げる必要があった。


「名前、腹、大丈夫なのかよ」
「大丈夫、だとは思う。内臓は傷つけられてない」
「このままだと二人とも」
「そう、二人とも助からないね」
「なら、俺を」
「駄目、陣平は生きてもらうし、私に一つ考えがある」


一か八かだ。このままでは、どうせ死ぬ。
私は、脇腹を押さえていた両手を挙げる。


「ねえ、このままではお互い埒が明かない」
「もう降参か?つまらないな」


男は攻撃をやめて、口角を挙げた。私は笑って首を傾げた。


「彼に手を出さないと約束してほしい。もともと彼は関係ないわ。私とあんたの因縁よ」
「なっ」


陣平が息を呑んだ音が聞こえた。
そのまま、話を続ける。男は、笑みを深める。


「縛りでも結ぶ気か」
「そういうこと。何かと引き換えにね」
「……そこまでして、こんな男が大事か」


まるで憐憫を浮かべた顔で、私を見据えた。私は、笑って言い放つ。


「ええ。あんたには分からないでしょう」


男は笑みを消した。
賭けだった。
陣平はがつん、と結界術にこぶしを叩きつけた。私は後ろを振り向かず、びくともしない結界術にもたれかかる。


「おい!」
「縛りは絶対。だから、結んだ時点で絶対にあなたに危害は加えられない。私が結界を解くタイミングを見計らって錫杖を取り上げて」
「名前は、」
「それしか勝機はない。いいね」
「……了解」


前を見据えたまま、早口で伝える。一か八かだ。私よりも恐らく身体能力は彼の方が上で、そこに縛りが乗れば、可能性は高くなる。


「作戦会議は終わったか?」
「遺言よ」
「はっ。潔がいいな」
「で、あんたは何を求める」


恐らく、男のことだから、縛りで命をそのまま取り上げることはしないだろう。一つ一つ、自らの手で殺す。
なぜならば、私だったらそうするからだ。


「両手首を貰おう」


にたり、と笑った。
私は、一瞬止まる。


「……手?」
「おまえの両手を斬ろう。そうしよう。そうすればおまえは術式を繰り出すことができない。銃も撃てない。丸腰だ」


両手を広げて楽し気に声を張り上げる男を見つめた。


「どうして、」
「どうして知ってるかって?おまえの術式書類に詳細に書いているだろう。その手がなくなれば結界術は使えない。人の命一つと両手首、安いものだろう。命は取らないのだから」


男を見据えた。考えている暇はなかった。


「いいでしょう。両手首を斬られましょう」
「縛りは正式に結ばれた」


パリン、という音がしてすべての結界術が無効になるのを感じた。後ろの結界術が解ける。と同時に、ふ、と何かが軽くなる。その数秒後に、この世のものとは思えぬ激痛が体を劈く。
私は声にならないまま叫び声をあげた。

両手がごとりと重さを持って落ちた。血が溢れる。刀身ですぱりと斬られた両手首は先がなく、見るも絶えない断面が垣間見える。血が生温かい色をしてしたたり落ちる。
思わず膝をついた。


「あっはははははは!痛いだろうに。お前の母親と似た声だ」


両手を広げたその手には、緩く握られた錫杖が見える。結界術を失えば、その錫杖は邪魔になる。

陣平が駆け寄る。私に触れようとした手は同じように脂汗が浮かんでいた。こんなところを、見せるつもりはなかったのに。彼が、警察官でよかったと、少しだけ思った。
私は、言葉にならず、手を庇ったまま錫杖の件を伝える。


「おまえ、よくも………っ!」
「危害を加えられないが、非術師一人如きにやられる私ではないぞ」


男は、陣平が自分自身を襲うと考えたらしい。錫杖を離し、日本刀を構える。殺すことはできなくても防ぐことはできるだろう。
しかし、陣平は、そのまま近づいて男を襲おうとした手を急旋回させる。男はすぐに対処することはできない。落ちた錫杖を陣平は拾い上げて、距離をとる。
男は、追おうとしたが、すぐに足を止めた。縛りのリスクを考えれば、陣平は追わない方がいい。


「今更、それを無くしたとて、痛くないわ。非術師のお前には分からないだろうがな」


膝をついて蹲った私の腕の先には、両手がなく、激痛が脳に送られ続ける。空気が触れるだけで気が狂いそうだ。大量の血が夥しく下半身を染める。
男は、こちらを向いて、刀を構えなおした。


「どうせ、血が足りなくなるまで時間はない。結界術がないお前に何ができる。ゆっくり、切り刻もうか」


男が、こちらに一歩近づいた。私は俯いたままにやりと口角をあげる。顔をゆっくりとあげ、ゆらりと立ち上がった。
流石に、男は奇妙に思ったようで、一歩後ずさった。


「何をそんなに笑っている」
「あんたが結界術の存在を消さなくてよかったわ」
「何、」
「私が生きている限り、術式は生きてる」


私はにやりと笑って、両腕を広げた。滴る血が飛び散って床を汚した。
男はその発言を理解したようで、一瞬で錫杖の方に目をやる。しかし、既に私の隣に来た陣平に触れることはできない。


「もう、遅い」


私は口角をあげて、一気に術式を展開する。
私の発動条件は手ではない。私が生きている限り、発動条件は無条件だ。私が意識し、私が思えば、結界は構築される。

一気に結界術式を畳みかける。呪具を持っていない人間に、怖いものなどない。一つの結界で囲うのではなく、両足、太もも、胴体、腕、肩、首、部位ごとに細かな結界を一気に付与する。大きさを調整し、立っていることすらままならなくなった男はそのまま、床に倒れる。手の刀身もそのまま消滅させた。

私は、床に倒れた男に近づき、見下ろして胴体に足を振り下ろす。ぎりぎりまで張った結界のおかげで、貫通することはないが、ヒールがこつりと当たる。男は顔を歪めて、私を見上げた。


「この、クソアマ」
「一気にこれで形勢逆転ね。下から見上げる景色はどう?」


まるで磔のようだと、私は嘲笑った。


「あんたが術式を封じようとしたのはいい作戦だったと思うよ。流石にあのままだったら勝機は薄かったもの。そういう意味では、陣平を連れてきてくれて感謝だわ」


私一人では、呪具を取り上げることはできなかった。結界で身動きが取れない男は、羽をぎりぎりと食いしばる。


「結界術があれば一瞬で勝負はついていた。で、今、私の気持ち次第で殺すことも簡単にできる」


今、私が思えば、彼の体は文字通り消える。足で踏みつけた結界の上に、血が滴った。


「で、私もあんたのおかげで時間はないの。まず、この建物の結界を解きなさい」


結界術が使えない人間は、呪符もしくは呪具を使って結界を完成させる。そして、往々にしてそれは術者の近くにあるものだ。
男は何も言わずに、私を睨みつける。しかし、目と体は正直だった。


「左腕の袖の中ね」


私は、そう言って、左腕を囲っている結界を消した。
叫び声が響き渡る。汚い男の声が響く。そこには、綺麗に左腕がなくなり、肩から血が流れ始めた。
自分たちを囲っていた建物の結界が解除される気配がした。


「切り刻むのが好きなんでしょう?自分が切り刻まれるのはどう?」
「……狂ってる、!」
「あんたに言われるなんて心外だな。ごめん、陣平、私の鞄の中から携帯出して五条に電話してくれる?」


成り行きを呆然と見つめていた彼は、私の鞄から携帯を取り出す。欠損した人間が血まみれで立っているだけでも嘔吐ものだ。逃げ出さないだけ、凄い。
息が荒くなりつつある自分を誤魔化しながら、彼がスピーカーにした音声を聞く。


「繋がったぞ」
『ねえ、今どこ?名前?無事なの?呪符が焦げ付いたけど何があった』


いつもの軽薄な声は鳴りを潜め、切羽詰まった低い声に畳みかけられる。


「あー五条、気づいてくれたの」
『気づいたもなにも、北海道から飛んで帰ってきたのにオマエと電話は繋がらないし。無事なの?』
「家族殺した人間に攫われてね」
『は?』
「手首切り落とされちゃったから、早く来てほしいかな。失血死しそう」
「五条、応援呼べないのか!?」


私の軽い声に陣平の方が痺れを切らした。


『はあ?誰?てか手首切り落とされたってなんだよ』
「後で話すから、とにかく今は誰か応援呼んで欲しいかな」
『……1分で行く。座標送れ』


ぶちり、と切れたコール音が殺風景に響く。


「ごめん、位置情報送ってくれる」
「もう送った」


投げやりに携帯を操作している彼の手つきは素早い。私は少しだけ笑って、男に向き直った。


「で、今すぐあんたをこのまま殺したいところだけど」
「……早く殺せ」
「そんな簡単に死なせてやるつもりはないわ。まず吐いてもらおうか。あんたを匿っていた腐った上層部は誰?」
「……」
「私の発動条件が手だと知っているのは、上層部に提出した書類を読まない限り分からないはず。それに、わざわざ松田の家を知っていたのもおかしいし、彼と交際しているのを知っているのは交際届を提出している警察関係者に絞られる。警察上層部にもまだつながりがあるわね。この数年間、あんたを匿い、情報を流していた人間は誰?」


いまだ、言おうとしない男を私は静かに見下ろす。私は右足を消す。うめき声とともに血が噴き出す。


「これで、お互い時間はないわ。早く、言うなら言いなさい」
「名前、」
「こっちにはこっちのやり方があるの」


彼は、何も言おうとしなかった。
呪詛師は、総じて死刑だ。日本の法律とは、異なる世界で生きている。


「言わないなら、肺に穴開けるわよ。もう一度聞く。あんたを匿っていた人間は誰?」


男は、私を見つめたまま、顔を歪めた。


「あいつが……妹さえ、いなければ……!」
「何」
「相伝の術式は俺のものだったのに!妹が継いだのは間違いだ!俺はただの構築術式で、挙句の果てに妹は非術師なんかと一緒になり、娘まで相伝を継いだ……俺の、俺の術式だ!」


泡を吹かせて喚いた男の眼は、酷く血走り、私など見ていなかった。
たかが、そんなことで、私の家族は無残に殺されなければいけなかったのか。何も浮かんでこなかった。
私は右腕を消す。


「もう一度聞くわ、繋がっている上層部は誰」


男は、必死の形相をしながら、歪んだ口を皮肉気にあげた。


「どうせ死ぬなら、ここで死ぬ」
「死なせないわ」


彼はにやりと笑った途端、奥歯で何かを噛みしめたようだった。


「なに、」


彼は笑いながら、歪に痙攣をし始めて、泡を吹く。


「名前、薬だ!」
「こいつ、死ぬな、吐き出せ!」


吐き出させようとしても、既に薬は周り、体中の痙攣がはじまり、瞳孔が開き、動かなくなった。


「そんな……!」
「もう、無理だ」


縋りついたところで、死人はもう動かない。お互いどちらの血か分からないほどに汚れた。

私は、膝をついて、慟哭した。
叫んでも、何も、戻らない。
私はただ、叫び続け、かけていた結界を解いて、心臓をまた結界で突き刺す。
何もならない。既に死人だ。
私は項垂れて、慟哭していた。


「名前、もう死んでるよ」


そっと私の腕を取り上げた人間に、顔を上げれば、そこには知らぬ間に五条がいた。静かなその声が、酷く私に染みわたる。
傷つけ続けていた私の術式が止まる。
もう、遅いのだ。
目隠しを外した五条の、酷く穏やかな透き通った瞳を見つめる。そこに私は映らない。六眼は何を映しているのか知らない。
彼は、そっと、無表情で私を見つめて、もう終わったのだと、告げた。

意識はそこで、途絶えた。



title by リラン
20210801