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わたしをだめにするだけのきみ



今でも、昨日のように五条から言われた言葉がフラッシュバックする。
既に夜が明けそうな闇に近い藍色と桃色が混じり始めた空の色を見ながら、煙を吐き出す。左手で燻らせた、コンビニで買った煙草は、あと数本残っている。久々に吸った軽い煙草は、少しの苦みと爽やかさで甘く脳を痺れさせる。苛々すると時々吸いたくなるこの癖を知っているのは、高専の同期だけだ。
また、無意識に眉根を寄せる。

図星だったのだ。
五条が言ったことは全て嘘じゃなかった。だから、冗談として受け流せなくて、水なんてかけてしまった。あの人が無下限を張っていることはいつもなのに。何かが隔たったかのように綺麗に足元に落ちていった水は、皮肉にも綺麗だった。
こうやって煙草を吸うことも、家を2件借りていることも、恵や美々子と菜々子のことも、呪術界のことも、家族が殺されたことも、天涯孤独なことも、何故警察官をしているかということも、況してや五条との関係のことも。
挙げ始めたらきりがない。数えきれないほど、黙っていることはたくさんあるし、これからも、言うつもりのないことの方が多い。
これが、恋人の関係かと言われたら、正直自信がない。関係に正解などないと分かっていても、限度はある。私は良くても、相手はどう思っているかは分からない。
彼の家族のことも、彼のことも、うっすらとは知っている。私の方が、圧倒的に隠していることは多い。

結局、私は彼の恋人になれたとして、一生を添い遂げられるとは思っていないのだ。彼に甘えているだけで、彼が知りたいと思って問い質されたら、私は全てを共有できるだろうか。否。
執着、という言葉が頭をもたげる。好きという感情はある。でも、それが果たして、自分を曝け出せるかと言えば、別問題だ。

欄干に腕を置いて、短くなった煙草から灰が落ちる。頭をうつむかせて重い息を吐いた。


「オマエ、そんな脆かったっけ。死んだわけじゃあるまいし」


この言葉を放たれた時、私が見ないようにしていた自分の感情を、心臓から無理やり抉り出されて目の前に突き出された気がした。
こんな弱くなかったはずだった。死んだ人間もたくさんみたし、殺した人間もたくさんいる。死んだわけではないのに、ここまで揺さぶられてしまうのは、呪術師として、良くない。既に、健康に支障が出ている。


「不眠症になるくらいなら、好きなのやめちゃえばいいじゃん」


五条に言われたことが、笑い飛ばせなかったのが、怖かった。
自分も思っていたことだったからだ。こんなことになるなら、好きじゃなくなった方がいいのではないか。自分の脆さに驚き、戸惑っているのは自分自身だ。
当然のようにもたげた呪術師に毒された自分の思考と、恋慕の情すら重荷に思う自分を憐れに感じた。
人間らしい感情すら、邪魔だと感じる、自分に引いた。


もう一度深く煙を吸い込み、吐く。
五条の言葉に、同意しか無かったことが、問題なのだ。
五条と私は、まるきり違うけれど、考え方が似ているところがある。
だから、私はあの時、夕日を見ながら彼と同盟を結んだのである。
そして、そんなところが好きだった。私は目を伏せる。
地平線からうっすらと白い光が見える。私は、現実に戻るように、目を瞬かせて、短くなった煙草を、錆びれたビルの薄汚れたコンクリートの地面に捨てて靴で踏みつける。
後ろを振り向いて、腕を伸ばした。


「で、そろそろ、集まった?」


後ろを向けば、押し込められるようにうじゃうじゃと夥しいほどの量の呪霊が私を襲おうとひしめいている。自分を囲うようにかけた結界を押しつぶさんと、視界一杯の呪霊は見ていて気持ちの良いものではない。
奇声ばかりが耳障りに聞こえる。


「って言っても、返事あるわけないか」


私は一息ついて、慣れたように、指を掲げて横に振る。少し前からビルごとかけた結界を消した。瞬きをすれば、一瞬でそこには何もなくなり、ただの錆びれた雑居ビルになる。
任務は完了である。
もうそろそろで夜は明ける。私はまた始まる日々を思い出して、溜息をついた。


「それでも、簡単にやめればなんて言って欲しくなかった」


吐き出した言葉は酷く小さくて朝焼けに溶けていった。
まるで、五条への想いを、否定されたような気がしたからだ。そんなに簡単にやめられるものなら、とっくの昔にやめていた。
過去は無くならず、私は囚われている。







「珍しいじゃないか、おまえらが喧嘩なんて」


隈の消えない顔で、皮肉げに笑う硝子に顔を背ける。ガタンと大きな音を立てて椅子に座った僕に、慣れたように硝子は何も言わない。


「勝手にあっちが怒ってるだけだよ。僕は何もしてない」
「どうせお前が悪いんだろう」


勝手に僕と決めつけて、彼女は手にゴム手袋を付けている。


「あの子は、お前にゲロ甘なんだからよっぽどのことをしたんだろ」
「何も言ってない、ことはないけど、僕は悪くない」


硝子はこちらを見ずに溜息をついた。
事実を言っただけだ。だから、アイツはあそこまで怒ったんだろう。名前に水をかけられたのは初めてだが。


「硝子はさあ、名前の力のことどう思ってる」


足を机に置いて、ぐらぐらと椅子を揺らす。こちらを見ないまま、硝子は興味なさげに言った。


「どうって、結界術だろう」


彼女の術式は、結界術だ。
わかりやすく、本人の実力と呪力量によって、囲える呪霊の等級が違う。その点を見れば、どこにでもあるような術式で、至って珍しいものではない。
彼女は現在一級術師であるが、本職は警察官であるため、完全な呪術師の扱いではない。人手不足のため、彼女にも任務が振られるだけで、登録上は補欠だ。
一級術師という力があっても、彼女は攻めよりも守りの呪術師と昔から見做されている。
だから、僕や傑のように目立つこともなく、どちらかというとバック要員であり、保護目的で使われることが多い。


「皆そう思ってるし、あいつもそう思ってる節があるけど、僕はあいつの力は結構危ういものだと思ってるんだよね」
「おまえがか」
「そう、最強の僕が」
「昔から、あいつのこと雑魚だ雑魚だって馬鹿にしてたじゃないか」
「そりゃ、昔はあいつ弱かったじゃん」


今でも、弱いところはもちろんあるけど。
僕や傑、硝子のように、最初から天才の触れ込みで入ってきたわけではなかった。だから、黄金世代と呼ばれる僕たちの中では、彼女が一番軽んじられてきた過去はあるし、彼女の雰囲気で今でも実力を舐めている呪術師は多いだろう。

彼女は、所謂天才肌ではなく、圧倒的な努力の人間だった。
名前は、努力で、結界術の途方もない精密さを手に入れた。


「今は違うっていうのか」
「そう。あいつもきちんとは分かってないし、上もまだ気づいていない。確かに名前は、体術は今でも雑魚だけど、結界術の精密さとバリエーションの多さは随一だ」


足を組み替えて、手を広げる。


「皆さあ、当たり前のように、バリアとして彼女の結界に入るけどさ、それって結構怖いことだと思わない?」
「何が」
「名前の特徴は、呪力だけではなく、一般的な五感で感じる物理的な衝撃も自在に遮断することができ、消すことができること」


もはや、『祓う』という言葉だけでは補えないほど、彼女は物質を『消滅』させることができる。


「彼女の采配で、囲った人間は一瞬で消すことができる。塵一つ残さずにね」
「殺そうとすれば、名前だけじゃなく夏油や私だってできるだろ」


硝子の言う通り、人を殺そうと思えば、誰だってできる。傑が呪霊をけしかければ人は殺せるし、硝子だって理論上反転術式を使って人を故意に害することはできる。それは、呪術師でも非術師でも関係がない。手段をどう使うかは人間に委ねられている。


「勿論。手だけでも人は殺せるしね。だけど、名前なら、一斉に、跡形もなく消せる」


彼女の結界の限度基準は、呪力量と物理的な大きさによって変化する。その2軸が比例すればするほど、難しくなる。裏を返せば、力を持たないものならば、無限大に結界を張ることができる。
今の名前ならば、ビル一棟に人間がひしめきあったとしても、一瞬で消すことができるだろう。ビルごと。


「……大量虐殺か。だが、あいつは」
「そう。名前は基本善人だからね。そういうことはしない。ただその一点のみだ」


彼女の善人性に、誰もが安心し、甘えている。


「僕は最強だから、一瞬で日本全土の非術師を殺せるよ」


誇張でもなんでもなく、事実である。
呪術師であれば、誰もが五条悟のことを知り、恐れ慄き、注視している。五条悟がどこにいるかで、世界の均衡が崩れるからだ。
今でも、自分の首には懸賞金がかけられているだろう。
形骸化した、誰も成しえることができない賞金首。


「そういう意味では、彼女は僕によく似ているし、僕に近いことを彼女ならできるだろうね」
「……何が言いたい」


本人がどこまで気づいているかは知らない。しかし、そんなことはおくびにも出さず、彼女は本職は警察官として、ただの平凡な一級術師として存在している。
他人の術式の詳細をすべて知ることは不可能に近い。手の内を晒すことは命に関わるからだ。だから、彼女の術式の詳細を、現在の術式の範囲を知っているものは、近くの人間に限られ、高専の外の人間は愚か、腐った上層部の連中は気にも留めていないだろう。
だが、彼女の本来の潜在能力が知れ渡ったら、世界が変わる。


「名前は、特級に限りなく近い、規格外な呪術師だよ」


最早、普通の枠に収まるレベルではない。それだけ強く、それだけ危うい。
そんな人間が、普通の人間として生きていくことは、できないのだということを、彼女はまだ、見ないふりをしている。


title by 星食
20210726