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間違いだらけの夜の話




京都校との交流会は2日間かけて行われる。1日目の班対抗試合は滞りなく終わり、2日目の恒例である個人試合が行われていた。
引率の教師であり、監督者として傑の空を飛ぶ呪霊に二人で乗って見下ろしていた。
同じような画角に既視感を覚えて目隠しの下で瞬きをする。


「で、最近の様子はどうしたんだい」
「なんのことだよ」


傑が面白そうに僕の方へ聞いてくる。こちらを見ないまま、口角は緩く上がっていた。興味深げに話を振ってくる傑には嫌な予感しかしない。


「つながりを全部切ってるらしいじゃないか。どういう風の吹き回しだい」
「ちっ、そのことか」


思わず自然と昔の癖で舌打ちが出る。こいつと二人きりでいると、無意識に昔の口調が戻る。
京都校の人間が、何か奇襲を仕掛けたらしい。我関せずと見つめていた。
いつもなら、舌打ちを窘める傑は、何も言わずに笑った。


「学生ぶりじゃないか?君の周辺が綺麗になるなんて」
「言ってろ」
「本命でもできたか」


けらけらと俺の事を笑うこいつは、人のことが言えないほど女性関係は爛れている。美々子と菜々子がいるから、表立ってはないが、後腐れなくうまく付き合っているし、過去を振り返れば、自分よりも何倍もたちが悪い。


「ちっげーよ。そんなんじゃない」
「へえ、てっきり私は本腰を入れると思っていたよ」
「なんのことだよ」


本腰、という言い方に引っ掛かりを覚える。
傑は相変わらずゆるゆると人当たりの良い何を考えているかわからない微笑を浮かべながら、話を続ける。
現在は、僕と同じ教師の職に収まってはいるが、内心は僕と同じかそれ以上に教師向きではないと思う。人当たりは良いが、僕以上に人の好き嫌いが激しいやつである。嫌いな人間は死んでも見向きもしないだろう。


「名前のことだよ」
「……は?」
「本命なんだろう?」


思わず、相手の方を振り返った。傑はいまだ余裕そうに微笑を浮かべて試合を見下ろして観察している。
言われた意味が分からなくて、思考がフリーズする。


「なんで名前が出てくるんだよ」
「だから、本命なんだろ?」
「は?」
「……まさか、違うのかい?」
「何言ってんだよ。名前は関係ない」


そういうと、信じられないような顔でこちらを振り返った。
何故、名前の話になるのか。今回関係を切っているのは、ただ興味がなくなっただけなのだ。ただの性欲処理の相手、恋愛ごっこをするようなカノジョ的な女、そんな人間に時間を割くのが惜しくなったのだ。これまでは、そこそこ自分なりに楽しんでいたが、突然楽しめなくなってしまったのだ。
名前といえば、先日の観覧車の記憶が頭から離れない。ずっと空の上から見下ろしていたが、彼女は結局最後まで気づかなかったらしい。彼女の実力と視野であれば、僕のことはバレてもおかしくなかったのに。それだけ、彼女は、自分の恋人のことで頭がいっぱいだったのだろう。

彼女は何も変わらなかった。恋人ができてから、僕への態度は何も変わらなかった。恋人ができて、彼女は本当に自分のことを諦めたんだろう。それでも、話しかけ方は変わらないし、たわいもない話も普通にする。なのに、勝手に何かがなくなった気がしているのは何故だろう。恋人でもない、寧ろ迷惑していた、その好意がなくなって普通の同期になって、せいせいしているはずなのに、何かがぽっかりと内臓の一つ分くらい消えた気がしていた。
観覧車での出来事で、余計にその感覚は強くなった。その後だ、何もかもやる気がなくなったのは。後腐れのない女を見ても、定期的に会っていた女から連絡がきても、それが酷く耳障りになった。話し声、着信音、きつい香水、全てが受け付けなくなったのだ。
だから、切った。ただ、それだけだ。

それが、彼女と結びつくことは、ない。












今日は、早く地方の任務が終わった。だから、偶然だったのである。たまたま、恵たちの様子を見ようと、序でに食材でも持っていこうと、ただの気まぐれだったのである。


「あ、五条さん」
「恵ー、元気してたか?津美紀も。てか、なんか匂いする?もう津美紀飯作っちゃった?」


慣れたように、伏黒家の玄関をあければ、相変わらず冷めた顔をした伏黒恵が顔を出し、最低限の出迎えをする。なんだかんだ言いながら、こんな僕に対して、出迎えてくれるのだから、津美紀の躾はしっかりしている。
玄関に入ると、奥から既に何か良い匂いがしていて、疲れた身体に染みる。


「今日は、」
「あれ?今日五条来る日だったの?」


何かを言いかけた恵の後ろから、顔をのぞかせた人間がいた。あっけらかんと、スーツのパンツに上はブラウスの名前がそこにはいた。


「いいえ、突然きたんですこの人。どうしたんですか」
「あー、ちょっと様子見に来ただけ。名前いるなら、帰るわ」
「え?なんでよ。五条も寄ってきなよ。折角なんだし」
「いつもはこっちが断ってもあがっていくじゃないですか。どうしたんですか」


淡々と、恵が言って首を傾げた。自分もなぜ、彼女が出てきたことに動揺をしているのだろう。
恵の後見人になると決めた時に、名前を巻き込んだのは自分だ。自分以外にも頼れる大人を作った方がいいだろうと、彼女にまともな説明すらせずに巻き込んだ。なんだかんだ言いながらも、子どもを放っておけるような人間ではないから、気づけば自分がいなくても積極的に関わっている。
ちなみに、夏油が養子とした美々子と菜々子に対しても、同性の大人として面倒をよく見ている。
彼女が玄関まで来て、袋に気付いて取り上げた。


「食料も買ってきてくれたんでしょ?今津美紀とごはん作ってるから、五条も食べていきなよ」
「名前さんもこう言ってることですし、いればいいんじゃないですか」


既に、取り上げた食材を見てそのまま台所へもっていく彼女の後姿を見つめながら、残った恵も言い置いて戻っていく。
僕は、何がこんなに居心地が悪いのかわからないまま、少し逡巡して靴を脱いだ。








買ってきた食材は、半分が今日の夕食になり、半分は一週間の作り置きに変化した。
名前は定期的に来ては掃除や料理、または学校の行事の件について相談相手になっているらしい。
自分も後見人として多少はしていたが、彼女がここまで自ら関わっているとは知らなかった。
見たことがないわけではないのに、伏黒家で、慣れたように彼女が母のように、姉のように扱われているのを見て、どこか不思議に感じる。

今日はコロッケだった。じゃがいもと玉ねぎ、牛ひき肉の至って普通の家庭料理である。加えて具沢山の野菜スープと山盛りのキャベツの千切りがつけ合わせで出てきた。用意に駆り出されながら、学生ぶりに彼女の料理を食べて、どこか内臓がおかしく動く。それが、変に嫌じゃなくてそれも居心地が悪かった。コロッケは初めてだったが、簡単なコンソメのスープは、彼女が良く作る料理だった。
こうやって、津美紀と恵の家庭の味は、実の母の味と、名前の味になっていくんだろう。たかが、コンソメキューブの味なのに。

当たり前のように、彼女は泊っていくらしく、自分もまた、成り行きで泊まることになった。なんだかんだ言いながら、彼らはまだ庇護されるべき子どもで、本来は児相案件なことも知識としては分かっていた。
まともな子どもの育て方なんて、僕にはわからないし、知る由もなかった。
一つの部屋で川の字になって寝る彼らを、少しだけ見つめながら、暗闇の中で目をつぶっていた。夜中に帰ろうか、朝方に帰ろうか、無駄に迷っていた。
すると、何かの足音がして、部屋を横切る音が聞こえた。寝ていたら、気づかなかっただろう。
彼女が部屋を出ていく音が聞こえた。


「何してんの」


彼女はキッチンにいて、袋から何かを取り出しているようだった。僕は後ろから彼女の持っている紙袋を取り上げる。台所の擦り硝子の小窓から、青白い月の光が細く差し込んでいた。


「な、にすんの」


名前がびくりとして後ろを振り向き、取り上げたものを奪おうとするも、彼女が僕に届くことはない。腕が滑稽に揺れた。上に掲げたまま、白の紙袋を見た。


「眠剤じゃん。名前、寝れないの」
「関係ないでしょう、返して」


僕を睨んだ彼女の顔は、月の光に照らされて、青ざめていた。僕は、彼女を見下ろした。


「なんで?恋人が死にかけたから」


何も言わずに、唇を噛んだ彼女の様子をただ見つめていた。
図星か。


「オマエ、そんな脆かったっけ。死んだわけじゃあるまいし」


観覧車の前で佇んでいた彼女がフラッシュバックした。
口が勝手に動いていた。なぜか、胸糞が悪かった。
なぜ、おまえが、別の男のために、自分を傷つける必要があるのだろうか。
見下ろしていた彼女の瞳が、大きく揺れた気がした。眉を吊り上げて睨む。


「五月蠅いな。五条に、関係ないでしょう」


自分自身を押さえつけるように、彼女は一つ一つを噛みしめて口に出した。青白い光に照らされたまま、睫毛が黒々と影を形作る。
何故だろう、彼女がそうやって押し殺すのも、関係ないでしょうと全て遠ざけようとするのも、何もかも、僕は気に食わなかった。


「そもそも僕とこんな風にしてることも言えるような仲なわけ?恵のことは?言えないでしょ。そんな恋人、僕だったら願い下げだね。むしろそんな男のこと本当に好きなのかも怪しくない?オマエが不眠症になるくらいなら、好きなのやめちゃえばいいじゃん」


その瞬間、ばちゃり、と音がして、ポタポタと床に水滴が落ちる。無下限で隔たった水は、全てが床へと落ちて水浸しにした。
目の前で、彼女は何も言わずに、僕めがけて、グラスに並々と注がれていた水をぶっかけたのだ。
口が勝手に動いて止まらなかった。ぺらぺらと耳障りな声が紙切れみたいな薄さで滑り出る。言い過ぎた。そんなことは分かっていた。思ってもいないようなことまで言ってしまった。


「もう一度言うよ。あんたには、関係ないでしょう」


彼女は何も、感情が浮かんでいないように見えた。僕と彼女の間に落ちた水滴だけが、ぽたりぽたりと音を立てた。
1度落ちた水は、僕ですら元に戻せない。


「ごめ、」
「好きなのやめろとか、気持ちを疑うとか、軽々しく、言われたくなかった、五条には」


僕の声など、何も聴きたくないかのように彼女は言葉を遮った。
彼女の綺麗な黒の瞳、僕とは全く違う瞳が海の底のように大きく揺れたような気がした。感情を失せた彼女の声が微かに震えた気がした。
一瞬で瞳は見えなくなって、彼女は踵を返して離れていった。


title by 星食
20210719