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依存なんてかわいらしい響きじゃ足りない



ぐらぐらとゆだった2つに仕切られた鍋を見ながら、紹興酒を煽る。


「ねえ硝子、これって食べるもんなの?」
「毒ではないだろ」


丸い竜眼を指して硝子に聞く。ごろごろとよくわからない香辛料が入った白湯と麻辣スープ。
私が、最近流行りの火鍋が食べたいと言い出したものの、きちんとした食べ方など知らない。こんなことなら萩原に聞いておけばよかった。あいつなら、流行りものに目ざとそうだ。


「ま、いっか」
「うまいぞ」


早々に、思考を放棄して、ラム肉を入れる。硝子も硝子で、一発目に鴨の血を固めたゼリー状なものをしゃぶしゃぶして入れている。流石硝子である。
どうせ、鍋なのだから、火さえ通っていればなんでも大丈夫だろう。用意されたものを放り込みながら、久々の飲みに気持ちは上がっている。

硝子と食事に行くのも久々だった。お互いに、もともとの仕事が忙しいうえに、緊急で仕事が入ることも多く予定が立てづらい。二人が揃うこともなかなかなくなってしまった。
ごはんも進み、酒も進む。すでに、ハイペースで飲みながら、たわいもない世間話をしていた。


「で、最近はどうなの」
「そう、硝子、萩原と連絡とってるんでしょ?最初聞いたときはびっくりしたわよ」


まさか、警察学校時代の同期と、こちらの同期がつながることがあるとは思っていなかったのだ。萩原からその話を聞いたときは、本当にびっくりした。しかもあの硝子がやりとりをしているというのだから、余計驚いたのである。


「萩原、チャラいとこあるけど、いいやつだよ」
「今はそういう相手要らない。あいつはいいやつだけどさ」


けらけらと、ただお互いの利害が一致してるからやりとりしているだけ、と、冗談だか本気だか分からないことを言った。
おそらく、私たちのことを言っているのだろう。萩原は親友ラブであるから、私の親友の硝子と結託してもおかしくない。まあ、硝子なら、下手なことはしないだろうとそこは信用している。


「最近は、まあ、まずまず」


ガリリ、と一緒に口に入れた何かの香辛料の種が歯に響いた。飲み込めないそれを私は口から出して皿の端に押しやる。

観覧車のあの事件については、結局今回もまた、犯人は雲隠れしてしまった。しかし、大きな爆弾は起きず、死者はゼロ。それだけでまだましである。
彼は、前と同じようにその件については何も言わなかったが、より執着が深くなったことは、私でもわかる。

ふと、思考を飛ばしていると、目の前の硝子が胡乱げな瞳でこちらを見ていることに気付いた。


「名前、最近寝られてないだろ。顔、窶れてるぞ」


自分も酷い隈が消えないくせに、彼女はそう言った。私は、誤魔化すようにへらりと笑う。自分でも、化粧で隠し切れない疲労が顔に出ていることは自覚していた。


「やっぱ酷い?」
「酷い」


ばっさりと、硝子はぶった切りながら、紹興酒を煽る。私も目を逸らして酒を煽った。彼女は、そのまま言葉を続ける。


「あれから、眠れていないのか」


あれから、という言葉が、何を指し示すのか。


「硝子には隠し事ができないな」
「あんたね」


わたしは、薄く切られた肉を口に運ぶ。


「彼が死にかけてから悪夢ばかり見るの。笑っちゃうよね」


私だけ、ははと笑って、硝子は笑わなかった。喧噪の中に、私の笑い声は火鍋の煙とともに吸い込まれていく。
観覧車のあの事件から、夜に眠れなくなった。昼のうたたねはできるのに、夜だけ寝られないのは、逆になんて器用な体だと思う。ごろごろとベッドで寝がえりを打っていたら早朝になっていたり、寝たと思ったら悪夢で起こされたりする。おかげで、肌の調子はめっきりよくないし、日々欠伸を噛み殺し、集中力の欠如が甚だしい。本当に疲れ切ると泥のように寝ていることもあるから、まだ、大丈夫だと思う。これ以上眠れなくなったら、いよいよ病院の厄介になるだろう。
本当に笑ってしまう。


「彼は知っているの」
「知ってる」


仕事柄一緒に過ごすことは少ないが、ほぼ半同棲状態の陣平には早々にばれてしまった。
彼は、私の不眠が、自分のことがきっかけと知って、申し訳ないような顔で私をただ抱き締めた。彼がいると、一人よりは比較的寝られる確率が高いが、それでも、陣平が隣で寝ていても、悪夢で飛び起きることもある。彼は何も言わずに、私をそっと腕の中で抱き締めてまた眠る。


「そう。薬は」
「市販のは使ったり使わなかったり……」


自分で、今回の原因はわかっている。自分の感情と、時間が解決するものだろうとも分かっている。病院に行くほどの余裕も時間もなく、私は適当に手に入る範囲での睡眠導入剤を使っていた。
硝子は菜箸で鍋を混ぜながら言った。


「ちゃんと出してあげるから、そういうことあったらまず私のところに来なさい。市販に頼るんじゃなくて」
「ありがとう、ごめん」
「あんたは抱え込みすぎ。明日は高専来るんだろ、用意しておくから私のとこに寄って」
「ありがとう」


硝子は無言で私の眼を見た。


「自分でもやばいとは思ってるの」
「恋人への入れ込みか」
「え、外から見ても」
「いや、そんなことはないけど。それでも、名前がそこまでになるなんて、何か思うところがあったんだろ」


言外に話を促す硝子に、私は、まとまりもないまま話し始めた。


「今回、爆弾で死にかけて」
「殉職未遂ね」
「そう、なのよ」


極端な言い方であるが、否定しきれない自分もいた。いくら大義名分のためとはいえど、残される人間にとっては関係ないからだ。

今回の件で、酷く怖くなったのだ。人は簡単に死ぬことをわかっていたはずなのに、呪いではない死に方で、こうも簡単に死んでしまえるのだということを、突きつけられた気がした。
呪術師ではない生き方もしながら、私はどうやら根っから呪術界に染まり切っていたらしい。
あれくらいの爆弾も、あれくらいの事故も、気づいて間に合えば、私だったら死にはしない。呪術師であったなら死にはしないのだ。
それが、非術師ならば、簡単に死んでしまう。
確かに、あの時一度、彼の声は死を覚悟していた。私は、あの時、恋人の生を諦めたのだ。本当に失うかと思った。

いくら、私が人を救おうとも、自分から死なれたら、どうしようもない。死を覚悟した人間を、救うにはあまりにも烏滸がましい。
呪術師は神ではない。ただの愚かな人間である。そんなこと、わかっていたはずなのに。
非術師と呪術師の世界の差をまざまざと見せつけられた気がした。


「五条がさ、学生の頃に言ってたことがあって」
「うん、」
「俺が救えるのは、他人に救われる準備があるやつだけなんだってさ」
「何それ」
「でしょ?私もそれ聞いたとき、よく意味わかんなかったんだけど、今回その通りだな、と思っちゃって」


今回、なぜ、彼が死ななかったとすれば、最後の最後に死を放棄して、彼自らが、生きることを直前で選び取ったからだ。
最後、私がサポートをしなければそのまま観覧車から落下して死んでいたかもしれないけれど、紛れもなく、彼がまず生きようとして爆弾から逃れようとしなければ、彼は死んでいただろう。
額に手を置いて、前髪をかきあげる。


「当たり前なんだけど、あの人が死のうと思えば、簡単にいなくなるんだな、と腑に落ちちゃって」


彼女は酒を飲み、何も言わなかった。

実感をした後、酷くぞっとして絶望したのだ。今の私は、彼が目の前からいなくなることに耐えられない。
彼が、『自らの意思で生を諦める』ことに耐えられないと絶望したのだ。
彼が、なぜ最後諦めなかったのか、私は知らない。聞くことはできなかった。

今後、もし、同じようなことが起こったら。
もし、自分の命と引き換えに、他人の命が助かるのなら。
彼は、躊躇いなく、自分の命を投げ出すだろう。
松田陣平とはそういう男だ。そんな彼を狂おしいほど愛していて、苦しいほど嫌いだ。


「もしものことを考えて、怖くなったの。馬鹿でしょう」


いつも、愛を持って馬鹿にしてくる硝子は、この時は笑わなかった。







事件を追っていて、夜勤明けとも昼勤明けともいえない、中途半端な時間に家に帰る。明け方、早いところだとすでに新聞のバイクの音がしていた。少しだけ青ざめた色をしたうっすらとした空を見上げながら、アパートの鍵を取り出して回す。
玄関を開けば、思わぬ人影に少しだけ固まったものの、玄関に座り込んでいる人間が彼女だと知って、少しだけ安心して、少しだけ心配になって玄関に入って鍵を閉める。

パンプスは脱いで、玄関框のところで座り込み壁に背をもたれて座って寝ている。靴を脱ぐ前に、体をしゃがませて彼女の髪の毛をよけて顔を覗き込んだ。すうすうと寝ている様子から、ただ酔ってそのまま寝てしまったらしい。
今日は、女の同期と飲みに行くといっていた。外ではそこまで酔って変化はないが、家に入った途端気が抜けるのか、彼女はいたるところで寝落ちする。呆れる反面、俺の家で気を許しているのかと思うと、優越感もあった。
髪の毛を耳にかけて、そのまま頬に手を滑らせても、彼女は柔らかな寝息を立てながら、起きるでもなく穏やかに寝ている。きらきらとさせたオレンジとブラウンのアイシャドウを見ながら、目の下には色濃く隈が出ていて、親指の腹で撫ぜた。
このような形でも、今は、寝られているようで安心すらする。
彼女の白い柔らかな頬を少しだけつまんで、伸ばした。


「無防備に寝てんなよ」


ぽつりと、無意識に呟いた言葉は、想像以上に甘やかに廊下に落ちてしまった。
靴を脱いで、先に上着を脱いで、ハンガーにかけるために先に部屋へ向かう。そのまま、部屋を開けて鞄を置き、携帯も机の上に置く。
シャツの腕のボタンを取りながら、廊下を引き返す。そのまま、寝ている彼女を起こさないように、そっと下に腕を差し込み持ち上げる。寝ていても簡単に持ち上がった彼女の、思いのほか軽いと感じた体重に驚く。首を自分の胸に寄せて、体勢を整えた。
最近、彼女が不眠に悩まされているのは知っていた。そのために薬局で買える睡眠導入剤を飲んでいることも知っていた。
彼女は少しだけ疲れた顔のまま、へらりと俺の方を見て、時間が解決すると思うから、と笑っていた。
俺はただ、そんな彼女を、ただ抱き締めて寄り添うことしかできなかった。

ベッドに寝かせて、服を脱がせていく。今日は久々の飲みだと言っていたから、だいぶ心がほぐれたのだろうか。全然起きない彼女をそのままに、最低限の服だけ脱がせてそのまま布団をかぶせる。そして、洗面台の引き出しから、メイク落としシートを取り出してベッドの上で彼女の化粧を落としていく。彼女は、眉根を寄せたものの、起きる様子はなく、そのまま、ベッドの上に座っている腰に猫のようにすり寄る。そんな可愛い彼女に少しだけ口角をあげながら、化粧を落とす。適当に化粧水と乳液はつけて、自分自身もシャワーを浴びて、さっさと布団に入る。

ベッドに入って、彼女の寝顔を見ながら、さらさらした髪の毛をもてあそんだ。

彼女が、不眠症になっているのは、俺のせいだということも分かっている。彼女は何も言わないが、少なくとも、俺の観覧車での爆弾事件から、彼女は寝つきが悪くなり、よく悪夢を見ては飛び起きるようになった。


「もう、私の前で死なないで」


彼女はその夜、震えた声で俺に言った。すぐに返事ができずに黙っている俺を見て、彼女はすぐに、気を取り直したように、へらりと笑って「無理言った、忘れて」と打ち消した。
お互いに、約束などできない事柄だった。

彼女は、酷く「死」に臆病だった。なぜかはわからない。萩原から、彼女の仕事は警察と同等かそれ以上に死ぬ確率の高い仕事だとも聞いた。彼女以外に、そっちの世界の人間は五条悟しか俺は見たことはなく、その人間も、酷く生き死にに慣れている男だと思った。
だから、彼女が、ここまで、俺の死に対して臆病になることは意外にも感じたのだ。
俺のせいだということも分かっている。あの時、最後の最後まで、俺は死ぬつもりだった。なぜ体が動いたかといえば、彼女のおかげだった。まだ死にたくない、彼女を残して。そんな私利私欲にまみれた、仄暗い感情だけで、俺は生き延びたのだ。

彼女を腕の中にかき抱き、彼女の頭を胸に埋めた。ぼんやりと部屋の隅を見つめる。背中に回した腕が他人の体温で温かくなる。彼女は、そのまま無意識にすり寄り、吐息が胸にあたる。

あの時、約束など出来ないと分かりながらも、死なないと、名前の手を握り言えば良かったのだろうか。
答えなど、出ない。

自分もまた、名前を失うことがあれば、絶望にさいなまれるだろうな、と少しだけ震えた喉ぼとけに気付かぬふりをして、彼女の額にキスをして、目を閉じた。



20210709
title by 星食