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何かを失うのに最適な日



目的地の入り口まで飛んで、その場に降り立った。流石に、目的地に直接飛ぶのは周囲の目を誤魔化しきれない。
彼女が走り去っていく後ろ姿をじっと見つめて、小さくなった頃に僕は踵を返して、空を飛んだ。人間が視認しづらい空で、目当てのものを探す。客と思われる人波が避けていく場所へ向かうと、そこからは煙が上がっていた。どうやら爆発か火事のようなものだった。
皆、止まった観覧車を見上げている。一部の警察関係者が残っているのが見えた。観覧車の反対側から高度を下げ、様子を見降ろした。

名前が到着したようだった。前に一度見た、後輩の刑事が駆け寄っている。うっすらと聞こえる声に耳を澄ませながら僕は宙に浮かんでいた。


「松田くんが、」
「美和子、落ち着いて」


落ち着いていないのは、彼女も一緒だろうに。他人の肩をさすりながら、彼女は携帯を片手に掴んでいた。違う警察官は時計を確認していた。

名前の動きが止まり、観覧車の下に来ていた彼女は一人で、縋るように携帯を耳に当てる。何を話しているかまでは、聞こえなかった。
彼女の背中が、震えていた。
この世界では、人が死ぬことは日常茶飯事である。凄惨な現場も、目の前で人が死んだこともある。この手で、人を殺したこともある。そんな人間が、酷く取り乱していた。その様子を、僕はただ見ていた。

彼女の携帯は予期せず切れたようで、小太りの男がどこかに電話をかけていた。
恐らく、皆が見つめている観覧車のゴンドラに、警察関係者が取り残されているのだろう。
彼女が、ここまで取り乱す人間は、ゆうに予想ができる。恐らく、爆弾でも仕掛けられているのだろうか。時計を妙に気にしている。それでも、出てこないことから、何か逃げ出せない理由でもあるのだろうか。
彼女はじっと見つめたまま、何かに打ちのめされているようだった。
名前の力があれば、ゴンドラに閉じ込められているであろう人間を救い出すことは可能だろう。それでも、しない理由があるのだ。壊すことは簡単だ。人を救うことは、難しい。

僕はただ、人間の頭上から見下ろしている。









私が到着した頃には、一般人の避難はすでに完了し、警察関係者のみが現場にいる状態であった。縋るように私の名を呼んだ美和子をなだめ、目暮警部たちへの挨拶もそこそこに、状況を把握する。
爆発予告時間まで、あと5分もなかった。

鬼のようにかけた電話に、やっと出た彼は飄々としていた。彼がわざとその時間にかけたのだろうということまで考えた。あまつさえ、私の焦り声に笑ってすらいた。
電話口で、私にいった言葉は遺言でもなんでもなく、事件の話のみであった。犯人のことだから、爆発する瞬間も確認をするだろう。その言葉で、私は悟ってしまったのだ。彼は、爆弾を止める気はないのだということを。そのことに、なぜか私は何よりも勝手に傷ついていた。
お願いだから生きて、と言った自分の願いは、酷く情けなく震えていた。私の願いに、彼は何も言わずに電話を切った。あと2分を切っていた。
どれだけの人間を人質にしても、その瞬間の私は、どうでもよかった。彼だけが生きていればよかった。警察官としてあるまじき考えが頭を支配していた。
こんな力を持っていたって何もならない。結界術を張ろうとしたところで、見えないと何も役に立たない。
助けを求めていない人間を、掬い取ることはできない。


「皆さん、退避してください!」


すべてを飲み込んだ表情で、目暮警部と白鳥刑事が関係者の退避を指示した。関係者ですら、避難が優先されるほどの切迫した状況であり、被害を最小限に留めるためのものである。近づこうとする美和子を同僚が引き留めていた。
一か八かであった。深く考えている時間はなかった。1分を切った途端、私は何もかも捨てた。
私は、退避した場所から、全員に結界をかけ一瞬視覚を攪乱させる。同時に小さな結界を張って足場にし、一気に距離を縮めた。
彼の声などきかずに、早くこうしていればよかった。本当に馬鹿だ。
あと数十秒。裏に回り、ゴンドラの小窓から視認すれば、彼だけに結界を張り、爆発させることは可能だろう。
あと10秒。五条みたいに瞬間移動ができればよかった。いくら結界を張ったところで、移動は早くはならない。飛び上がって、観覧車に近づく。
時間の感覚はなくなった。
小窓が目に入った途端、視界からゴンドラが吹き飛んだからだ。

何が起こったかわからなかった。感覚だと、数秒は残っていたはずだった。目の前で、ゴンドラが吹き飛び、私は無意識に自分に対して結界を張っていた。瞬きをする間に、私を避けるように黒い煙と轟音が響き渡る。これまでの経験から、何も考えずに自身の身は守る私に吐き気がした。
目を凝らしてみるも、金属の破片が飛び散り、黒煙に包み込まれる。爆薬は1つのゴンドラを飛ばすのに十分な量だったらしい。
私は呆然としていた。間に合わなかったのだ。視界が真っ暗になった。

呆然としていた私の視界に、何かが映った。私は、反射で追って、目を瞬かせた。
焼け付くほどに見つめた白いシャツの背中。ありえない場所にいる。私は煙をかき分けて宙を移動する。
斜め一つ下のゴンドラにいたものは、いまだ崩壊が止まらないゴンドラから瓦礫が降ってきて、バランスを崩した。そのまま足を滑らせて振動で空に投げ出される。
私は、慌ててうっすらと結界を張り、重力を軽減する。まるで、空から降ってきた少女のごとく、彼は、地面に落ちた。
少し遠くから、美和子たちが走ってくるのが見える。すでに結界は解いていた。私も地面に降り立つ。
彼は、今自分に何が起こったのかいまいちわかっていないようだった。自身の腕や足を見ては、かすり傷くらいしかない体に不思議そうにしていた。
周囲には、落下の瞬間に違和感はないだろう。そのまま、同僚に囲まれる彼を、私は一歩離れてみていた。足が動かなかった。


「名前、」


地面に座っていた彼は、すでに立ち上がり、私の名を呼んだ。目暮警部や美和子がこちらを見て、彼から少し離れた。他の警察が走り去っていくのが見えたから、すでに次の事件について動いたのだろう。彼もまた、すぐに次の現場へ向かうだろう。
彼は、煤で汚れてはいたが、かすり傷程度で大きな怪我はないようであった。
動かない私を見て、彼は私の方へ近づいてきた。いつもかけていたサングラスはどこかへいってしまったようだった。焦茶色の綺麗な瞳が、私を見つめて近づいてきた。


「名前、」
「陣平」


か細く呟いた名は、彼にはきちんと届いたらしい。少しだけ、顔を歪ませた。彼は、棒立ちになった私に、覆いかぶさるように、ぐっと抱き締める。強い腕の力で、私よりも幾分も熱い体だった。まるで、燃えているように錯覚した。
私は、確かめるように、彼の体を触る。背中も、腕も、腰も。
彼は、されるがままに、ぎゅっと私を押しつぶすほどに抱き締めた。


「陣平」
「ごめん、名前。心配かけた」


私の首元に顔を埋めて、くぐもった声で言った。私はやっと、自分の体に血が巡り始めたことを感じた。
ぎゅっと、痛いくらいに彼の背中を抱き締める。震えていた。


「ほんとに、許さない」
「ごめんな」


彼らしくない、酷く優しくて甘い安堵の声だった。死にかけたのは、私ではなく、彼の方なのに。

私は自分が、信じられないくらい怒っていることを知った。許さないと、一度は生を諦めたことは事実だろう。死ぬなんて許さないと、横面を張り倒してやりたかった。
それでも、そんな声を聴いたら、何もできないではないか。
殺したいほど怒っているのに、泣きそうなくらい生きていることが嬉しかった。

彼は、腕を緩めて離れる。私は、自分が酷い顔をしているだろうと思った。彼は、私の顔を見て、目元を親指の腹で拭った。


「ほら、まだ、事件は終わってないでしょう」
「ああ」
「話はまた後で」
「おう、」


彼は、何かを言いかけて、私の頬を撫で、私を安心させるように少しだけ笑って見せた。
私に背中を向けて、仲間と合流する。まだ犯人は捕まっていない。次の予告現場に彼らは行くのだろう。
私は、その背中をただ見つめていた。心臓は逆流しそうに脈打っている。血が巡り始めた指先は冷たかった。

私は、今、彼に対してなんと思っているのだろう。
私の感情は、紛れもなく、呪いだ。


20210629
title by 星食