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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -


愛に気をつけてね



その後、あっさりと犯人は捕まり事件は収束した。呪術師は、その人間から漂う死臭と呪いの残穢ですぐにわかってはいたが、証拠にはならない。
後始末をしていく刑事課の人間とは別れ、俺たちだけが残った。


「はあ!?これから任務って聞いてないんだけど!?」
「今言った。だから私がわざわざ来たの。代わりに私がこのまま直帰できることになったから、恵たちは預かるから」
「やったー!名前ちゃんち?」
「そう。二転三転してごめんね」
「全然!悟より名前ちゃんがいい」
「私も」
「相変わらず、美々子と菜々子には舐められているのね」


けらけらと笑う名前さんと、拗ねてめちゃくちゃに機嫌が悪くなっている五条さんを見つめて、俺は人知れず溜息をついた。その様子を見て、萩原さんが笑っていたのは知らない。

外に出ると、黒塗りの車が2台置かれていて、一台は見覚えがないが、もう一台はよく知っている車だった。その横に、また顔色の悪そうな人間がいた。


「いーじーちー」
「すいません本当に五条さんしかいないんです」
「やだやだまじで僕やだー!!ここに名前いんじゃん!こいつ連れてけよ!」
「残念なことに特級案件。傑は地方出張、となれば五条しかいないじゃん」


もう一台の車は、名前さんの社用車らしく、そのまま荷物を入れて、と言われてお泊り用セットを後ろに詰め込む。執事さながらに、萩原さんが甲斐甲斐しく世話をしていた。彼は一般人のはずだが、一応名前さんの知り合いであり、呪霊も見えるようであるからなのか、人の好き嫌いが激しい美々子と菜々子が案外すんなりと心を許している。子供に簡単にこき使われている。
彼は何も気にせずに世話をしているから、彼自身がおおらかな人なのかもしれない。


「ごめんね伊地知。こいつクソ機嫌悪いけど、連れてっちゃって」
「大丈夫です。いつものことですから……」


伊地知さんの心労を思うと、子供ながらに同情してしまう。あまりの剣幕の五条さんの駄々のこね方に、最初は驚いていた萩原さんも、慣れたように相手にしない名前さんや俺たち、伊地知さんの様子をみて、改めて五条悟の認識を変えたようだった。


「あ、苗字、あっち終わったぽいぞ」


萩原さんが顔で示したそこには、刑事課の人間がいた。あちらもこちらに気付いたようで、一人の男が近づいてくる人影が見える。


「子供たちは俺が見てるから、少し話してきたら。せっかくだし」
「あー、ごめんね、ありがと」


はにかんだように、眉を下げる名前さんの表情が、今日初めて見るくらい優しく綻んで目を瞬かせた。
少しだけ小走りで彼女がその男に近づくときに、「陣平」と下の名前で呼んでいて、違和感に思い思考がフリーズする。


「ふうん。そこそこ顔は良いわよね」
「夏油様ほどじゃないけど」


美々子と菜々子が口々に値踏みするように眺めていた。


「えっ、次の男ってそういう意味かよ」
「恵おっそい、相変わらず鈍感。悟がフラれて違うやつと付き合ったのよ」
「でも、どことなく、似てる気がする……」
「名前ちゃんも悟好きだったのは物好きよねえ。こんなクズ」


俺はびっくりして余計に凝視してしまった。確かに、人から離れて二人で少し話している二人は、一見友人同士に見えるが、友人同士にしては、互いに顔がどことなく柔らかく見える。


「はあ?僕がフラれたじゃなくて僕がフったの、そこ重要だから」
「細かいこと気にする男ね」
「ね」


俺たちの会話を、興味深そうに聞いている萩原さんに気付かないまま、俺たちは、五条さんを煽り続けた。
名前さんが五条さんのことを好きだったことは、周知の事実で有名だった。
その彼女が、五条さんをあきらめたのか。
好きだなんだという前に、名前さんと五条さんは4人いる中の同期で、二人はなんだかんだ仲が良かった。それが愛だとか、恋だとか、子供の俺にはわからなかったが、それでも、二人が並んでいる姿は、お似合いだったような気がする。
お互い口が時々悪くて貶しながらも、互いが貶しを受け入れて笑っていた。良くも悪くも、五条さんといる名前さんは笑顔が多かったし、そんな名前さんといる五条さんも、どことなく雰囲気が柔らかかった気がした。
それは同期だったからなのだろうか。学生時代からの友人だから、まるで知らないことなどないかのように、二人は隣に立っていたのだろうか。

五条さんの感情を推し量ろうと無謀なことを思うほど、俺は彼と付き合いが短くなかったし、どうでもよかったのである。










今日のことを、私は一生忘れることはないだろう。その日は、私にとって絶望の日になった。
自身の醜い感情と、弱さが一気に溢れて囚われて動けなくなった、絶望の日。


11月7日。


彼が、去年の爆弾事件に並々ならぬ執着を抱いていることは知っていた。
唯一無二の相棒が死にかけたこと。
死んだも同然だった。私と五条がいなければ、確実に死んでいたのだから。
そのことを、萩原は十二分に理解していたし、松田もまた、第三者から見れば驚くほどに重く受け止めていた。
私が、彼の立場でも、おそらく同じように追い続けただろう。そういう意味では、陣平と私は少し似ていたと思う。
本当の意味で、彼に寄り添えていたかなど、今思ったとして何もならない。





その日、私は何も気づかずに、五条の隣で呪術界上層部の退屈な会議に出席していた。ここ数日忙しく、家にもまともに帰れていなかった。職場と高専の往復をしていて、欠伸を噛み殺しながらつまらない会議に出席していたのである。隣の五条も、一応高専の教師であり特級呪術師として出席していたが、頬杖をついて貧乏ゆすりをして退屈を隠さないまま座っていた。出席するだけ御の字である。

出席せざるを得ないが退屈極まりない会議中に、警察用の携帯に連絡が入ったのだ。いつもだったら電話の連絡は取らないが、相手の名前と、何度もかかってくる電話に、嫌な予感がしたのだ。


「五条、」
「何、トイレかよ」


彼のくだらない軽口を聞き流しながらそっといなくなる。私を見つけて上層部が何か声をかけていたような気がするが、どうでもよい。

あの時電話を取っておいてよかったと思った。まさか、後輩の美和子から切羽詰まったような声で、松田を引き留めてくれなんて泣きそうな声で言われるとは思わなかったからだ。

電話を切った後、気遣いなどなく会議室の扉を開ける。皆がこちらに注目するが気に留めず、五条の腕をとって引っ張り上げる。190cmの男が持ち上がるはずはなかったが、彼は目隠しをした顔でこちらを見た。


「なんだよ」
「お願い。力を貸して」
「は?」


夜蛾学長に今日報告する予定だった資料を押し付ける。おい、と言われたが、後で説教はいくらでも受けますからと早口で言って、五条を連れだす。五条は最初きょとんとしていたが、会議を抜けられると分かったからか、五条はけろっとした顔で立ち上がった。


「おい、どこに行くんだ!」
「緊急案件が入ったので僕たち抜けまーす」


私の周りを蠅のようにうるさい声が飛び回る。たかが一人の人間が退席することに小五月蠅い。私は言葉を遮るように、音を立てて会議室の扉を閉めた。







俺にとっては、やっと待ち続けた運命の日だった。佐藤や警部の止める声を聞き流しながら、俺は、常に持っていた工具を抱えて、観覧車に飛び乗っていた。


あの悪趣味な文言を読み上げて、佐藤からの電話を切った。ふうと溜息をついて、煙草に火をつけて吸った時だった。
もう、その時はすでに、覚悟を決めていた。少し安堵すら、していたかもしれない。
他の人間を救えるのならば、自分の命なんて、軽いものだと思った。
何度か吸って、煙を吐いたときに、ふと、頭によぎったことは覚えている。
半同棲していた恋人のこと。あいつのこと。最近互いに忙しくて会うこともままならなかったこと。それでも、愛していることには変わりなくて、ただ、俺の我儘で、一人にさせてしまうこと。
警察という職業柄、いつ死んでもおかしくないことは、互いによくわかっていた。死について、話したこともない。それほど、俺たちの周囲で死は身近なものであった。
どうせなら、最後くらい、きちんと言えばよかった。いや、言わなくてよかったのかもしれない。
縛り付けられる人生は、彼女を幸せにしないだろう。できれば、忘れて、幸せになってほしい。

名前が今、俺の隣にいることは奇跡のようなものだった。
出会ったとき、衝撃が走って目を瞬かせている間に、彼女はいなくなっていた。のちに、それが一目ぼれだったことを自覚した。
その時には、彼女には好きな相手がいて、報われていないことも知った。それでも諦めきれなかった。彼女は、俺と同じであったから。
俺は幸せ者だと思う。心から愛する人が、同じように笑って愛を返してくれる。思いが通じた時には、こっそり泣いた。恐らく彼女にはばれていただろうけれども。
彼女の前に好きだった人間については、すべてを忘れられるとは思っていない。
今彼女が見ているのは俺だからだ。それだけで、何もいらない。

もし、ここで死んでしまったら。彼女はどう思うのだろうか。
短くなった煙草を咥えながら、空を見上げる。
忘れてほしいといいながら、少しでも、泣いてくれたら。そんなことを思っている自分が愚かだ。
俺がいなくなれば、彼女は、いずれあいつと幸せになる未来もあるのだろうか。くしゃりとパルプがひしゃげる。あまりにも感傷的な考えに、俺は自分を嘲笑って打ち消した。









名前が、ここまで取り乱している様子を、僕は過去一度しか見たことがなかった。
家族が死んだ時だ。
名前の力など、取るに足りないが、腕を引っ張られるまま高専の外に出る。


「で、何すんの」
「私をここまで飛ばして」
「えー、」
「時間がないの、お願い」


高専は都内でも郊外にある。彼女が携帯で見せた場所は、23区内の地名だった。
彼女の少し低くなった声と、震えるのを必死で止めているような腕の脈。僕はじっと目隠し越しに見つめた。


「お願い、五条」
「貸しだからね」
「勿論」


名前の腕を払って今度は僕の方から腕を握る。一瞬で、そのまま僕たちは高専から消えた。



20210625
title by 依存