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まつげの隙間をうずめるように恋をした



松田陣平が、恋人になって、1年が経とうとしていた。不純な動機で付き合った時、全ての私の感情を聞きながらも、陣平は、綺麗な顔をくしゃりとさせて、私をぎゅっと抱き寄せた。私の家の前で、「それでもいい」とくぐもって言った震えた彼の声を、私は今でも、覚えている。

同期から、友人に。友人から、恋人に。これまでの緩やかさが嘘だったかのように、あまりにもスムーズに、彼と私は、恋人になった。何も分からない私を、一つ一つ丁寧にリードしてくれる彼を、確かに私は愛していた。
気づいたら、彼の家に半同棲という形になっていた。お互いに不定期な仕事で、互いが努力をしなければ、会うことすらままならない。彼の提案で、私は仕事以外のほとんどを彼の家で過ごすようになった。

映画も、食事も、買い物も、恋人になる前から、二人でしていたことだった。それでも、恋人になってから経験するものはまた違う。手を繋ぐことも初めてで、手汗を気にする私を笑いながらも手をひっぱった彼の笑顔に、きゅんとしたなんて、彼は知らないだろう。
手を繋ぐことも、キスをすることも、体を繋げることも、彼が初めてだった。こんな歳になって、初めての恋人だということに、些か恥ずかしさがなかったわけではないが、それでも、彼は照れたように一つ一つを大切にしてくれた。そんな優しさに、私は確かに恋をしていた。
お試しというか、五条のことを全て忘れて始めたわけではなかった。それでも、決して軽率に付き合ったわけではない。私は、萩原に言われた通り、松田に情は移っていたし、少なからず惚れていたのだと思う。
彼と過ごす生活は穏やかで、満ち足りたものだった。

五条のことは、全てを忘れたわけではないが、今思えば、初恋のような、ものだったのだと思う。あまりにも煮詰め過ぎた感情は、煮凝りのように沈殿して、しこりのように小さな欠片が心臓にたまっている。過去の思い出とひっつきすぎて、忘れることはできないけれど、今それが食べられるかというと口にできないような、ガムのようなもののように思えた。
今更、どうこうなる気も、想像できなかった。彼は元カレでもなく、ただの同期で、恋人としての全ての記憶は、陣平が「初めて」だったから。

私が付き合っても、五条と私の仲は、何も変わらなかった。悲しいくらいに変化がなかった。変化があるわけないのである。
彼は私のことを好きではないし、彼と私は「ただの同期」の関係性しか、今も昔もないからだ。あまりにもあっけなさ過ぎて、昔の私だったら泣いていたかもしれないな、と思いながら、涙すらも出ない自分に、あれはただの執着で、いいタイミングだったのかもしれないとすら思った。
何もなかったように、私と五条は仕事で会えば変わらず話し、同期会では飲み会もした。見事に私が好きではなくなっただけで、びっくりするくらい支障がなかったのである。













「だーかーらー!本当に教師だって言ってんでしょー?」


店の椅子に踏ん反りかえりながらそういうも、誰も信じる様子は見せない。伏黒恵は子供には似つかわしくない長い溜息をついた。

子供3人を連れてきた教師であり、俺のコウケンニン兼保護者の五条さんは、警察相手に相変わらず適当に煽って余計に不信感を募らせている。

今日は、姉が修学旅行でおらず、夏油も地方任務のため美々子と菜々子も保護者が必要だった。そのため、当初は五条さんと名前さんが面倒を見てくれる予定だったものの、名前さんが残業が発生し、急遽五条さん一人に焼肉に連れてきてもらった。
一番信用に値しない人間ではあったものの、金はあるし、なんだかんだいいながら肉を食べていたが、まさかの食べ終わり際に殺人事件が発生したのである。勿論、俺たちは犯人ではないから、早々に警察が到着して、適当に事情聴取をされ帰る予定だったのだが、なぜか到着をした警察を目にした途端、五条さんはいつもと同じかそれ以上の煽りスキルで喧嘩を吹っ掛けはじめたのである。
一緒にいた、美々子や菜々子はドン引きの目で見つめていたが、止めるような労力を使うような子供でもない。俺が引き留めたところで、それくらいで止められたら、五条悟の被害は日々収まっている。ただでさえ、いつもの白の包帯を目に巻いていて、真っ黒の高専の服を着ていれば、不審者でしかない。やっと教師だと宣ったところで、こんな適当な教師がいてたまるかと、ますます不信感を募らせる警察の空気に、私たちは溜息をついたのである。


「こんな教師がいてたまるかってんだよ。てか、どういう関係だよ」
「はー?現に僕ってのがいるし?僕はこいつらの保護者ですうー!オマエこそそんな口調で本当に警察なんですかあー?」
「ああ?」


相手も不幸なことに、喧嘩っ早い男であった。確かに、五条さんが言うことも一理ある。刑事のくせに黒のサングラスをかけていて、五条さんと話している様はまるでヤクザのようだ。しかし、これでも刑事らしく、佐藤という女の同僚に注意をされていた。


「この人はこんなナリでも、俺の後見人だよ。残念なことにな」
「まじかよ。女の子たちの方は、」
「だからー、ミミナナは僕の親友が保護者で、今日仕事でいられないから僕が面倒みてんの!誘拐じゃねーよ」
「言ってることはあってるよ。てか、アンタも、教師なんだから名刺とか持ってねーのかよ」
「あー、支給されてるけど持ち歩いてない」
「はあ?!アンタ馬鹿か!」
「だって僕、最強だし」


一連の話を聞いていた刑事の男は、それでも、こんなきな臭い連中のことを信用はできないらしく、しつこく身元を聞いてくる。実際の犯人は、俺たちの2つ隣に座っていた女だというのに。


「身元証明できるやつもってねーのおかしいんだよ。免許証も保険証もないって」
「はあ……」


御三家のボンボンは、相変わらず規格外である。免許証くらい持っておけよ。


「だーいじょうぶ、僕たちは捕まんないから」
「は?どういうことだよ」
「迎えが来るから」


ハートが付きそうな声でけらけらと言った男は、そのまま溶け切ったシャーベットを飲み物のように飲む。人ひとりが死んでいる現場で、よくそんなへらへらとできるものである。


「松田くん、」
「なんだよ」


女の刑事に呼ばれて、松田というグラサンの男は、俺たちを一瞥して少し離れた。そっと、そちらの方を窺うと「はあ?」という大きな声を上げている刑事がいた。


「おい、誰が迎えにくんだよ」
「まあ、見てなって」
「はあ、早く帰りたいんだけど」
「こいつがこんなに煽んなかったらすぐ帰れたでしょ」
「えー?僕のせい?」
「「そうだろ」」


相変わらず、携帯をいじっている美々子と菜々子は我関せずというように冷めている。五条は飄々と余裕を崩すことはない。


「丁度良い機会だから、今後、もしこういうことがあったらこうしてねっていう実地演習といこう」
「は?もう二度と殺人現場に巻き込まれるなんて御免だぞ」
「いやいや意外とあるもんだよ?特にこの地区は事件が多いからね」
「そんなこと、」
「あ、来た」


五条さんが目線をやった方向を見ると、焼き肉店の自動ドアから、スーツを着た2人組が入ってくるのが見えた。幾分か小さい女性の方が携帯を耳に押し当てながら、その後ろに背が高い男がついてくる。


「名前、おっそーい」
「これでも急行したのよ、もう高専からも連絡きててんてこ舞いよ!」
「てんてこ舞いって久々に聞いたな」
「五条!」


携帯を耳から外しながら、俺たちの方へ向かってきたのは、チャコールグレーのパンツスーツにジャケットを着た名前さんだった。まるで補助監督みたいだと思う。その隣には、見知らぬ男が同じようにスーツを着ていた。そちらは五条さんを見て、顔見知りのように苦笑いした。へらりと五条はその男をスルーしながら、名前さんを煽る。


「名前さん、なんでここに」
「名前ちゃんー!」


美々子と菜々子が座っていた四人掛けの席から立ちあがって名前さんの足にくっついた。


「怖かったあ」
「そうよね、ごめんね遅くなって。3人は大丈夫?」


全然怖がってなかったくせに、美々子と菜々子は名前さんに近寄る。こちらを慮るように名前さんは俺たちに心配そうな顔を寄せて確認した。それに頷いていると、元々いた刑事たちがこちらに近づいてくる。


「苗字、」
「名前さん、」
「松田も美和ちゃんもごめんね。突然連絡なんてして」
「おー松田ー」


ひらひらと手を振った名前さんと一緒にいた男は萩原というらしい。4人ともそれぞれに知り合いのようであった。
松田という刑事は、名前さんの隣に近づいて、苦虫をかみつぶしたような顔で何かを確認していた。


「本当なのか」
「そうなの、ごめんね。こっちの管轄」
「まじか」
「ということは、この人は疑い晴れるってことですか?」


疲れたように、松田刑事と名前さんが顔を見合わせて話していた。そこに、信じられないような表情で女の刑事が声をあげた。


「そう。身元はこっちが保証する。必要なデータはメールで送ったから確認して」
「分かりました」


佐藤刑事は、名前さんよりは下の立場なのか敬語を使って、確認のためにここを離れた。その場には松田刑事と、あとから来た二人、俺たちが残される。


「身元は分かったとしても、容疑が完全に晴れることはないだろ」
「あー、まあね、そこは暗黙の了解でうやむやにされがちなんだけど」


罰が悪いように、名前さんが言葉を続けた。


「は?まだ容疑晴れないの?警察は面倒だねえ」


長い足を嫌味に組んで、突如五条さんが割り込んできた。松田刑事と名前さんの間に声が入って、二人が五条さんの方を向く。俺たちも突然の声にびっくりしたものの、本人は平然とした顔で嫌味を吐いた。


「アンタな」
「松田、ごめん。五条、それくらいにして」
「だったら早く帰して。何、ここで犯人突き出して殺してもいいんだよ」
「五条、」


にっこりと頬を腕で支えながら嫌味に笑った。


「どういうことだよ」
「……まず、これはオフレコね。美和子や目暮警部には流さない情報だから」
「どういう」
「『特殊課』の権限で、五条はじめここの3人の子どもは被疑者になりえないから容疑から外すの」
「……疑いがないことを証明することは難しいのでは?」


俺は、疑問に思ったこと口にする。あることは証明しやすくても、ないことを証明することの方がはるかに難しい。ありとあらゆる可能性を潰さなくてはいけないからだ。
俺の言葉に、名前さんはよく気づいたとでもいうように、口角をあげた。


「そう。恵が言う通り。ないことを証明することは難しい。厳密にいえば、容疑から外すのではない」
「どういうことですか」
「つまり、一般的な法律で裁くことができる容疑から外すの」
「僕たちはこちら側だからね」


五条さんがゆるりと松田刑事を見つめて言った。その言葉に、なぜか唇を噛んだ彼がいた。


「『人ならざるもの』か、」
「そういうこと。もし、万が一五条が人を殺したとしても、こちら側の世界でしか証明はできないし、裁くこともできない」
「そうねー。僕を裁くことすらできはしないんじゃない?」
「……ま、それは置いておいて。表の世界で通用するものではないから、刑法で裁くことは不可能。よって基本申請があったら速やかに外されるの」
「だから俺らが刑事課や交通課から嫌な顔されるわけだ」


得心がいったいうような顔で、萩原が言った。


「……なら、苗字ならこいつが容疑者じゃないって証明できるのか」
「んー、そうね。私の証言を信じるならということになるけど」
「曖昧な」
「曖昧だから、世界が分かれているの。悲しいことにね」


松田刑事と名前さんは、仲が良さそうであった。まるで、二人にしか分からない何かがあるみたいに。名前さんが他の同世代と話しているのは五条さんはじめ、夏油さんや家入さんといった呪術師のみであったから、どこか新鮮で不思議である。警察をしていると知ってはいたが、呪術師の名前さんしか俺はこれまで知らなかった。


「ま、僕が殺したら死体は残ってないよ」


飄々と、手をパチンとする五条さんを松田刑事は見つめていた。その表情は何を考えているのかは分からない。それに、名前さんが何気なく呟いた。


「そうね。五条が殺すんだったら日本全土沈ませるでしょ」
「さっすが名前、伊達に僕のこと好きじゃなかったね。分かってるう」


その言葉に、ぶほっと吹いたのは名前さんだった。


「ご、じょう!!黙れ!」
「いやだなあ、事実しか言ってないじゃーん」


俺たちは何が何だか分からなくて二人を交互に見るが、五条さんが相変わらずデリカシーのない発言をして、名前さんが珍しく感情的になっていることしかわからなかった。名前さんの近くにいた萩原という刑事が、小さく「性質悪……修羅場かよ」と引き攣った顔で呟いているのが聞こえて、まさか、と思い至る。


「ふーん、まさかとは思ったが、お前が名前が好きだった奴か」
「へえ、やっとわかった?もしかして名前からは教えられてなかった?かわいそー」


松田刑事が静かに五条へ向き直る。その静けさが逆に怖かった。名前さんが顔面蒼白で松田刑事の袖を掴んだ。


「はっ、嫌なくらいお前のことは話に聞いてたよ。顔は知ってたが、まさか今は目隠ししている不審者もどきとは知らなくてな」
「へえ、言ってくれるね。相変わらずタイプは変わってないようで呆れるよ。僕みたいなクズを好きだったんだから、次の男も人に対する態度がなってないね」
「オマエな、どれだけ名前が」
「五条!」


どごん、と大きな音を立てて、五条さんの頭から大きな音が鳴る。目を瞬くと、そこには、般若を背負って笑っている名前さんが拳を震わせていた。まさかの行動に、五条さんも松田刑事も名前さんの方を凝視している。


「五条、それ以上黙らないとありとあらゆる権力使って再起不能にするわよ」
「は、名前」
「黙れ」


珍しく無下限をといていたのか、彼女の拳骨をありのまま受けたらしい五条さんは頭を押さえているが、名前さんの方を向いたまま呆けている。
あまりにも綺麗な笑みでにこやかに言う名前さんに背筋が凍る。


「松田もよ。こんなクズの煽りに乗らないで」
「おう、」


五条さんは呆けた顔をしていたが、むすっと拗ねたように唇を歪ませた。

さっと、切り替えてその後の話をし始めた名前さんに流されるが、この時の冷や汗を思い出して、名前さんを怒らせることは良くないと学んだのだった。


20210614
title by 星食