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目を閉じたのは眩しさのせいにして


女が賭けに乗った時点で、私の勝利は確定した。何故ならば、既に弟は発見済みであったからだ。自分で仕掛けておきながら、可哀想な女だと、目の前の人間のことを、他人事のように思っていた。

女は不思議な人間であった。透き通った肌に、筋の通った鼻、すっと線のひかれた眉に大きな綺麗な瞳をしていた。まっすぐに見つめる横顔が、絵になる女だと思った。化粧をしなくても、ここまで綺麗だと、紅でも乗せて着飾れば見違えるように映えるだろうと、寝ている女の顔を見ながらそう思った。後宮入りをすすめられそうなほどに、綺麗な女であった。黙っていれば、高嶺の花であろう。黙っていれば、と無意識に眉間に皺が寄る。本当に捨て置ければどれだけ良いだろう。二度目に拾った際の、女のまるで私のことなど何も忘れた風な横顔が、酷く気に食わなかった。自分らしくないと思いながら、心が騒々しく苛々する。いっそのこと、自分の視界に入らないでくれとさえ思った。

女が最初、目を覚ました時には、なんて生気のない人間だろうと、少しだけ後悔した。しかし、彼女の横顔は、自分のことではない一点だけを見つめているようで、彼女の見る世界は、どのように映っているのだろうと、少なからず興味を持った覚えがある。そして、まるで自分のことなどどうでもよいような表情に、心底腹が立ったのも事実だった。
木蓮に世話をさせ、逐一報告はさせていた。私の前とは違い、兎角穏やかに笑い、木蓮のことも気を遣うような、女であった。
何も知らずに置いておくわけにはいかなかった。様々な伝手を使って情報を収集すれば、なんとか女の全貌を知ることができた。知れば知るほど、酷い事実ばかり出てくる。幼少の頃は、愛されていただろう事実があるだけに、差が哀れであった。女の父は、余程強固に全てを封印しようとしたのだろう。それも愛であったのだろう。彼女の全容は手に入るのに、名前だけは綺麗に消されていて、どれだけ情報が揃おうとも推論の域が出ないようになっていた。

暫く経った後、名前を聞いたことがある。呼び名は最初聞いたきりであった。
しかし、彼女は笑いながら、首を振った。


「今更、名前など必要かしら」
「それこそ、今更何故隠す必要がある」


女が言うように、そもそも、相対するときは基本2人であったために、呼び名すらも本当は必要はなかった。
ただ、私の好奇心の故であった。隠されれば、知りたいと思うのは当然の欲であった。
彼女は、静かに笑みをたたえながら、呼吸する。私が、自分勝手に女を利用しているのに、彼女は時折、静かに笑みを浮かべて私を見つめた。まるで気を許したような行為に、錯覚してしまいそうだった。まるで、大切にされているみたいで。傷つけてばかりいるのに。


「あまり、字が好きではないの」
「何故」
「私には勿体なさすぎるから」


それに、もう私の名を知っている人間は、殆どいないわ、と呟くように言った。
一度目を伏せた彼女は、私の問いに、また、私の眼を見つめて、息を吐いた。静謐。過去に囚われている。襟元から、私がつけた歯形が見えた。白い肌に、嫌になるくらい目立って痛々しい。
女の身体は、消えない傷跡ばかりであった。なぜか、その傷跡を見るたびに、全てを攫いたくなる。毎回、無意識のうちに痕をつけてしまう。それで、塗り替えられるはずもないのに。過去の男と同じことをしているのは十分分かっていた。
何も言わない私を、女は表情を変えずに見ていた。元来は、気の強い女だ。どんな過去を持とうとも、どんな傷跡があろうとも、これまでの行動で、芯の通った頑なな人間だとは分かっている。その真っ直ぐさに眩しさを覚える時もあった。
彼女はふと、何かを思いついたかのように、目を綺羅綺羅させた。


「私の弟なら、知っているわよ。あなたが弟を見つけたら、聞いてみると良いわ」


悪戯を思いついた子どものようだった。そこに一欠片の切なさを漂わせながら。


「そなたが見つけるのだろう」
「……万が一よ」


しかめ面をした。それが強がりだということも知っていた。まだ幾分かましだと思った。
彼女のひたむきさは目を見張るものがあった。本気で、どんな形であれ、姿を見るまで諦めることはないだろう。彼女が毎日、朝と夜に祈りを捧げているのは知っているし毎日木蓮を連れて、様々な情報を収集しているのは知っていた。そして、自身が不自由のない生活をしていることに、罪悪感を覚えて狂いそうになっているのも知っている。いっそのこと、憎んでくれれば、その間は忘れられるのに、とすら思う。
しかし、彼女が見つけることはできない。女の弟は、後宮の女官付きとして入り込んでいるのだから。お転婆な姉が姉なら、弟も弟だと思う。ふと、叔母に当たる現在の后、娘々のことを思い浮かべる。御方は、また穏やかでおっとりとしていたが、静かな強さを合わせ持ち、母として在る。星家の血か、と思考を巡らせた。






後日、後宮に用がある際に、ふと弟に話を振る機会があった。弟は、あからさまに私に対して苦手な態度をとるのが、まだまだ若いなと他人事のように思う。恐らくまだ信用できるのか測りかねているのであろう。姉のことは一切言ってこなかった。
それでも、その強さと真っ直ぐさは、よく似ていた。


「そなた、姉はいるのか」


彼はその言葉を聞いて、度肝を抜かれたようなをした。その時点で、答えは言っているようなものだが、彼は私に言うかどうか、何故知っているのか、逡巡しているようだった。
大方、私が家系図でも調べたのであろうと腑に落ちたのか、少しだけ息を吐いて認める。


「ええ、います。家について調べたのですか」


弟は、彼女が家系図から抹消されていることは知らないらしい。しかし、その目は縋りつくような必死さが窺える。弟もまた、姉のことを気にかけているのだろう。


「姉は、去ねたか」
「……わかりません。姉は僕を逃がすために、囮となりました。街で別れた後、行方は知りません」


後宮に上がる前に、明々の元で、出来うる限りの情報は探していたらしいが、消息はつかめなかったと言った。目の前の人間は、自身がどれほどの犠牲の元に、生かされているのか、よく知っている。人並みに、どれだけの重圧だろうとも思う。そのような人間を最大限利用しようとしているのは私だ。


「そうか」
「……こんなことを玄月さんに頼むのは違うと分かっています。しかし、もし、姉の行方を知ることがあったなら、教えて頂けませんか」
「それは、死であってもか」
「どんな形であっても」


まっすぐと見つめてくる瞳が、よく似ていた。まるで女に射竦められているようだった。私は、こちらから目を逸らす。


「そなたのような人間がもう一人、生きていたとしたら、脅威だな」


菫児が用意した茶を飲む。彼はきょとんとした顔をして、私の心情を知らぬままこちらを見つめた。


「僕の姉は、基本的には穏やかですよ。どちらかというと、玲叔母様に似ています」


だから、心配なのだと言った。遊圭には胡娘がついてきたが、本来は自分なんかより、姉につくべきだったと。胡娘がきかなかったのもあるが、後押ししたのは姉だと言った。
私は、自分が知っている女とちぐはぐで少しだけ首を傾げる。彼はそんな私には気づかなかったらしい。


「ほう。そういえば、その姉の名はなんと言う」
「本名は星凛です。でも、玄月さん、僕の家を調べたのでしょう?」


不思議そうな顔をする彼を、適当にはぐらかした。


「いや、字の方だ。そちらは記載がなくてな」
「ああ、そういうことですね。華月です。星華月」


彼は心なしか、生き生きと姉の字を教えた。その様子だけで、彼が姉を相当慕っていることがよくわかる。


「……美しい名だな」


美しいものばかりを並べた綺麗すぎる名前だ。しかし、彼女を知っていると、純粋に言い得て妙だと腑に落ちる。美しいものに似合いの名前だった。


「そうですよね。姉は不相応だと少し恥ずかしがっていました。しかし、僕が言うのもなんですが、姉には似合いの名だと思います。両親が着けた名で、意味はそのまま美しいものという意味でもあるのですが、華月は、」


星の下に輝く美しいもの。それだけではない。


「……古語にすると、月の光」
「そうなんです。流石ですね」


彼は、呟いた私を少しだけ驚いたように見て、微笑んだ。


「月の光のように、夜闇を照らす存在であれ、と願ったそうです」


眩しくて目を伏せた。

20200421
title by リラン