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誰が為の咎


何故、自分がこのようなものを拾ったのかは、分からなかった。本当にただの気紛れであったと思う。
あの日、まるで桶をひっくり返したように、地面に川を作る勢いで雨が降っていた。豪雨の中、本宅に帰るには遠く、いっそのことと、付き従っていた下男を連れて、近くの隠れ家の一つで休もうと馬車の行き先をかえた。本当に偶然であった。
本宅に比べ、早々に別宅に着くと、そこには真夜中に見慣れぬものが落ちていた。いつもなら気にも留めないか、処分していたところだった。刺客かと思ったが、よくよく見ると、汚らしい女だった。意識がなく、所々見えていたのは汚れた肌であった。無遠慮に触れば、氷のように冷たい。この雨の中、いつからか知らないが、意識を失い打たれていればそうなるだろう。体温の低下で死んでもおかしくなかった。しかし、その女は生きていた。あまりにも心許なかったが、確かに心臓は脈をうっていた。私にその日ついていた人間はまだ少年であったから、私がそのまま運んだ。下男には慌てられたが、それには寝台を用意させ、てきぱきと指示を出す。人が常に住んでいる訳ではないその家は、冷たかった。
女は、私たちがどれだけ雑に扱おうが、目を覚ますそぶりはなかった。もう手遅れかもしれぬと、内心思いながら、私は濡れた服を身ぐるみはがし、介抱をした。
今思っても、自分らしくないと首をかしげる。

女はところどころ擦り傷が多く、深い傷は少ないが、放置したせいで酷く化膿していた。それよりも、飢えと過労が問題らしく、頬は痩せこけていた。髪は女の命ともいうのに、汚れた髪はざんばらに切られていた。それを一房一房、湯につけながら世話人がほぐしていた。
手当をし、綺麗にし終わったときには、既に空は白んでいた。

女は、先刻が嘘のように、眠っていた。死んだように眠っていた。私を気遣う付き人はすでに休ませ私は一人、女の近くで無表情に見つめていた。
卑賤のようでもあったが、彼女の着ていた布は位階の高い家の人間であることを表していた。それ以外は、女の身元がわかるものは一つもなかった。金もそれ以外も何もなく、文字通り身一つで生き倒れていた。女の衰弱振りからして、数か月は経っているようだった。命を狙われていたか逃げ出してきたかは知らないが、よく生き延びられていたと思う。悪運が強いのか。ある程度上流階級の娘であるとするなら、良くない者に襲われるか、人攫いに拐されて売られるのが普通だ。恐らく、髪も自分で切ったのだろう。機転が利く女だ。それでも、このような状況になっているのならば、結局は愚かな女なのかもしれないが。
また、さらに気になったことは、彼女の体にはどうみても人から故意に傷つけられた跡があった。丁度着物で隠れるところに無数の引き攣れた傷と火傷の跡。そして、一番酷いのは、下腹に刃物で切り付けられたような跡があった。どれだけの深さかは知らないが、女でそこの傷は意味を有する。しかし、それらの傷はどれも、半年どころか1年は悠に経っているものだった。
空が白んで、朝日が差し込む。この宅は、光が程よく溢れるように建てられていた。死んだような女は、かえって穏やかに見えて、新しい光に照らされたそのこけた顔は、元来整った顔立ちをしていることが窺える。
私は、一つ息を吐いて、部屋を後にした。






あの月夜から、男は姿を見せなかった。私は夢かと思うほど、穏やかな生活を過ごしていた。世話人として、湯呑を運んできた、まだ幼さの残る少年が一人ついていた。彼は、字を木蓮と言った。木蓮はおっとりとしていて、柔らかく笑った。木蓮は小さいながら、家事は申し分なく、私が起きれなくても、一人で全てを切り盛りしているようだった。少しその背中が、弟の背中に重なって目を逸らした。私が求められていたことは身体の回復であり、禁じられていることは家から出ないことただそれだけであった。質素ながらもまともな食事をし、身体を休め、時には怪我の包帯を代えてもらいながら、家にあった書物を読むという、あまりにも穏やかすぎる日々を送っていた。
木蓮に、男のことを聞いたところで、仕事が忙しいということしか言われず、ただ快復なさってくださいと願われるばかりだ。ここまでされる理由がなかった。
段々と回復していく中で思うことは、ただ、弟のことだけだった。自分自身があまりにも身の丈に合わない生活をしているばかりに、弟が生きているかどうかだけが気がかりである。弟のことを聞くわけにもいかなかった。安全な暮らしの代わりに、何も情報は知らされなかった。殲滅の指示が出されてから、すでに5か月程が経とうとしていた。私のように、誰かの助けがなければ生きてはいけない時が経った。そう思うと、心臓が捻り潰されそうになる。しかし、彼には胡娘がついているし、天運はついている。ただ、祈るしかなかった。


「ねえ、木蓮」
「なんでしょうか」
「あなたの主はどんな人なの?」


共に暮らす木蓮は、大層素直で優しい子であった。こんな得体のしれない、災厄しか生まない私に対しても、木蓮はすぐに懐いてくれた。その素直さに少しだけ不安になりつつ、同時に羨ましくもあった。木蓮は普段はおっとりしているが、主人に忠実な人間らしく、私が遠回しに男の素性を調べようとしても、申し訳なさそうな顔で一切を漏らさない賢い子でもあった。主人の手腕もそれで測れるというものだ。仕事や名など、明確な事実は一切言わなかったが、抽象的で主観的なことならば、彼はぱっと顔を明るくさせて言った。


「主上は、とても素晴らしい人です!」


大層惚れこんでいる木蓮は、様々なことをかいつまんで教えてくれた。男はやはり、切れ者でその界隈では一目置かれているらしい。自分にも他人にも厳しいが、決して驕ることはなく、公平に努力と成果を評価してくれるそうだ。実際に木蓮自身も、上の人間にいじめられていたところを、男に見染められ、このように何不自由なく仕事をしているのだという。なんだか、私が思った印象の裏には大層温かな心があるらしい。そのようには見えなかったが。あの男の眼は、冷たい海底のようだった。動きがなく、沈み込む暗さがある。何事も飲み込んでしまうような、仄暗さが。
そのような人間に助けられ、何不自由のない生活をしている私であるが、手放しでは到底信じられるような素直な心根ではなかった。






その日は突然やってきた。既に、夜も更けて寝静まっているところだった。ふと、夜中目を覚ますと、どことなく宅の雰囲気がおかしかった。最初は、男が帰ってきたのかと思ったが、それにしてはやけに気配が異様だ。万が一と、近くにあった木蓮が与えてくれた扇子と、万が一のためにと、布団の下にくすねておいた小刀をしまう。ただの盗人か、私への刺客か。どこからか情報が漏れていたのだろうか。男が言いふらしていたらそれも十分にあり得る。しかし、ここまで時が経ってまで、おいかけているとはなかなかにしつこい。どちらにしろ、木蓮を巻き込むわけにいかないと思うくらいには、情が湧いていた。
気配は、木蓮の部屋の方へ向いていた。そっと、自分の部屋の壁に身体をつける。ふっと気配を研ぎ澄まそうと思ったその時だった。ぎゃあと、彼の少年にしては高い声が響く。一気に他の気配も色濃く立ち上った。私はすぐさま部屋を飛び出し木蓮の部屋へと駆け込む。そこには部屋の隅に後ずさって震える木蓮と、黒装束で刃物を持っている人間が立っていた。突然現れた私に、侵入者の隙が出来る。その隙に間合いを取って一気に迫る。怯んだ侵入者はすぐに刃物を振るが、そんなものは当たらない。私は死角に入り込み、扇子の金具で急所を突く。首元の脈が通っているところだ。多少の力でもかなり効果はある。う、っと声を出していたが、案外無骨はあるのか、立て直そうとしながら刃物を振り上げる。


「花様!」


木蓮の声が響く。私は刃物をよけることはせず、扇子で、その振り下ろされた刀身を受ける。ざざざと布と竹が切れる音がする。そのまますっぱりと割れて扇子を持っている私の手まで切れてしまいそうだが、案外扇子というものは丈夫なもので、大の男でも扇子を一回で割るのは至難の技である。しかも、一旦挟まればなかなか抜けない。私は恐らく無意識に笑っていた。そのまま受けた扇子を離すと刀身についたまま振り回される。それに驚いた男の一瞬の隙を、今度こそ確実に仕留める。後ろに回り込み、背中と首を蹴りと腕で倒す。侵入者は倒れこみ、急所を突かれたせいで意識すらも朦朧としていた。


「木蓮、何か縛るものを持ってきてくれる?」
「は、はい!」


彼がぱたぱたと抜けた腰を奮い立たせて立ち上がり取りに行く間、私は完全に気を失った侵入者の手を後ろ出にする。


「木蓮、あっ……」


何かの気配を感じて、あった?と聞こうと顔を挙げた途端であった。そこには、久方ぶりに見るこの家の主人がいた。その後ろから、付き従うように、そして少しだけ戸惑うような表情で縄を持っている木蓮がいた。木蓮は立ち止まった主人を通りぬけて、私に縄を渡す。


「まずは、早く縛ったらどうだ」


私は言葉を失って呆然としていたら、男は呑気にもそんなことをのたまった。決して手伝うというようなことはせず、私はできる限りの力で、言われるがままに侵入者の腕と足を縛り上げる。縛り終えれば、それを眺めていた男が、どこかから人を呼んで持っていくように指示を出していた。知らぬ人間であった。護衛であった。
これは、計られたとしか言いようがなかった。恐らく木蓮は知らなかっただろう。どこまで、計られていたのだろう。男はいまだ座りこんでいる私を冷めた瞳で見降ろした。


「早く立たないか、お前にはそろそろ話してもらわねば」


何を男が求めているのかわからなかった。私は男の言葉に従うほかはない。木蓮は頭を垂れ、下がってよいという言葉に返事をしていた。男は私の前に立って、元来た道をたどる。その通路は私が住まわせられている部屋に繋がっていた。

彼は何もない床に、上座で胡坐をかいて楽な姿勢をとった。下座で私は座る。何がこれから起こるのか皆目見当がつかなかった。これから市警へ渡されるのか、弟のことを吐かされるのか、売られるのか、どこまでも利用価値があるように見えて、私は何の価値もない人間であった。
私は息を吐いて、男を見つめた。最初に見た時と同様、海底のような瞳をしていた。


「……さて、何から話してもらおうか」
「どこまで貴方の策略だったのですか」
「人聞きの悪い。まるで、賊が侵入するのが分かっていたような口ぶりだな」


男は口角を歪めた。ただの戯言であった。あまりにも偶然が重なりすぎている。私はじっと睨みつけた。


「……ほう、そんな瞳もするのか」
「何を言ったのです」


彼は口元に、扇子を当てながら、何かを呟いた。私は聞こえずに聞き返すが、はぐらかされる


「さて、ここの生活にも大分慣れたようだな」
「……ええ、お蔭さまで。何が望みなの」
「ある程度、そなたのことは調べさせてもらった」


それくらいは想定済みであった。しかし、身分を何も明かしておらず、弟の存在すら出していない私をどう調べるというのだろう。


「はて、見つかりましたか」
「なかなかに難儀であったよ。何せ、身分を表すものも何一つ残っておらず、捜索願が出されているような良家の娘はいなかったしな」
「……何故、良家と決めつけるの」
「そなたの着ていた服は、汚れていたが、あれは庶民が着るものにしては少々高すぎる。よく着替えずにそのまま逃げられていたな。寧ろ感心すらする」


淡々と話す男の言葉に、唇を少しだけ噛み締める。見れば見るほど、男は、私と同等かそれ以上の権力者である。そのうえ、私が思っている役職の人間ならば、さらに拙い。


「それだけでは、絞り込むのは骨でしょう」
「ああ。それだけではな。しかし、そなた以外の人間の存在も知っていたらどうだ」


私は目を見開く。どこかで会っていたかと記憶をたどるが、目の前の男の顔は月夜以降しか知らない。


「そなたはよく悪夢に魘されているな」
「……何故、それを」
「私が、そなたが目を覚ました以降も来ているとは知らなかったか」


何も知らなかった。木蓮も何も言わなかった。口止めをされていたのだろう。木蓮は優秀な人間であるから。しかし、私も私で、何も気配を感じていなかった。それだけ、この男の力量がわかるという物か。ぐっと指に力が入る。


「遊圭」
「……」
「平然としても今更遅いぞ」


自分の失態を嘆く。あのまま死んでいればよかった。弟は生きているのだろうか。男は何を企んでいるのか。何も分からない。
沈黙を貫く私を、男は興味なさそうに見ていた。


「まあいい、遊圭という字さえ分かれば簡単にたどり着く。星家の人間だな。星家といえば、先日皇后になられたお方の親戚だ。それと同時に外戚殲滅法によって全ての親族が殺される。星遊圭は本家の直系の息子だ」


私はなおも口を噤んだ。男の情報は全てが事実であった。しかし、どこでかまをかけられるか分からない。余分なことは言わないに限る。どうせもう、逃げられない。


「大方、その遊圭を逃がした人間であろうと思った。しかし、世話人の割には、上質な着物を着せられていたことと、木蓮から上がってくる報告と認識が合わない。そうすると、家の人間となるが、女性の死は全員既に確認済みであった。」


ここで、一旦言葉を切って、男は私に向かって目を瞬きする。首を少しだけ傾げた男は、どこか楽し気であった。


「ここからが苦労した。女の存在などどこにもないし、かといって外に嫁いだ人間で行方不明になったのなら、問題になる。虱潰しに星家について調べてやっと見つけた。そなたは」
「……やめて」


手が震えた。記憶が蘇る。


「星家の系図から抹消された」


頭の中が闇になった。全て知られているのだと思った。父が必死で滅した過去。私のためを思って、あらゆる手を使ってしたこと。私自身よりも何よりも、父と母が心を痛めただろう。こんな娘を。


「やめて、」
「何故。そなたが言わなければ言うほかないだろう。そなたは遊圭の姉であり、汎家に嫁いだ。しかし汎家は表こそ外面はいいが、内部は泥沼だ。特にそなたが嫁いだ人間は最悪だった。記録は残っていなかったが想像に難くない。夫は妻に暴力の限りを尽くしたであろう。そして嫁いで一年後、もともと問題のあった汎家は内部の争いにより家は全焼し、汎家も逃げ遅れて本家の人間は全て死んだ。」
「やめてって言ってるでしょ!」


気づいたら、私はその男の襟を掴んで、押し倒していた。手は知らぬ間に大きく震えていた。無理やり押し込んだ記憶が点滅を始める。何もかもが焼ける臭い、浴びせられた熱湯、与えられた暴力、罵倒中傷、嘲笑、凌辱。地獄であった。思い出したくもない。死んだ方がましだ。
はっと我にかえれば、男は私に組み敷かれたまま、口を歪める。


「お前に命令されるいわれはないな」
「……必要ないことでしょう」
「さて、どうだろうか。遊圭を逃がした行為に関係がないと言えるのか。そなたは、行方不明となって行方が分からずじまいだった。しかし、お前は生きていた。生きて星家にかくまわれていたのだ。ただ、生きているだけならば、系図から抹消などしないだろう」


良く口が回る男だった。私はもういてもたってもいられず、男の襟から手を離して逃げようとした。それを圧倒的な力で男はねじ伏せ、今度は私が押し倒される形になる。上に覆いかぶさる、男の瞳を見て、私はどうしようもなく身体の震えが止まらなかった。それは別の恐怖が支配をし始めたからだった。
男は確実に分かっていたくせに、私の腕を固く固定して、私の逸らす顔を嫌でも固定した。男の力には敵わなかった。それは、嫌というほど身体に染みついていた。


「何故、そなたは生きているにも関わらず、存在すら抹消されたのか。生きていてはいけないのなら、死んだことにすればよかった。しかしそれでも足りなかった。どこから出るか分からなかったからだ。そなたは無事に生きて逃げたわけではない。そなたは、」
「黙りなさいっ!」


もう、泣き叫んでいた。この男以外に人がいてその人に助けを求めているという明確なものはなかった。ただこの空間から逃げ出したかった。誰かが助けに来るとは思っていなかった。それでも叫んでしまうのはなぜだろう。助けなど来ないと知っているのに。
男の目的が何も分からなかった。私のような女なら手籠めにするのが良いと思ったのか。滔々と語る口調からは感情が読めなかった。それどころか、どんどん固くなっていくように思えた。
彼は、私の叫び声など聞こえていないかのように、次の言葉を放った。


「子袋を裂かれ、子が出来ぬ身体となった」


彼の声が耳を切り裂いたようだった。殺してやりたかった、目の前の男を。喉に手をかけようとしても、両手は男に塞がれ動くことはない。男は、私の射殺すような視線を受けて、嘲笑した。


「今更、何故怒る。生きているのか死んでいるのか分からぬ抜け殻のように在りながら、何の罪もない私を殺そうとするのか」
「黙れっ」
「そなたのような様を見ていると虫酸が走る」


男もまた、怒っているようだった。意味が分からなかった。私は、ただ、殺意しかなかった。


「過去に囚われ余計な自己犠牲など見ていられぬ」


何故、そこまで言われなくてはいけないのか。男は、容赦なく私を何度も切り裂く。私はもう、際限がなかった。だから、いつもなら決して言わぬことを言ってしまったのだ。そんなこと言い訳でしかない。


「お前こそ、そっくりそのまま返してやる」
「……」


男は黙って、獣を見るような眼で私を見降ろしていた。


「木蓮は宦官であろう。その主上となれば、通常宦官であることが一般的だ。そして、それこそ嫁いだ先で聞いたことがある。現皇帝の側近には眉目秀麗で頭脳明晰な若い宦官がいると。それも、父の失脚で巻き込まれ死ではなく宦官になったというではないか。生きているのか死んでいるのか分からないのはまさにお前の方ではないか!どんな気持ちなのか、私に教えてくれないっ」


最後の言葉を言い終わらぬうちに、私はそのまま口を奪われた。蹂躙するように動くのは紛れもなく男の舌であった。涙が溢れた。手はさらに強く抑えつけられちぎれるほどであった。目の前の男の方が獣であった。そのまま乱暴に服が解かれ、あらゆるところが噛まれる。私は意識を失くした。

2020419
title by 東の僕とサーカス