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次の日の朝、私が起きた時にはすでにあいつはいなかった。え、怖い。生きてるかな。すぐ死ぬと思う。まあ私には関係のないことである。あくびを噛み殺しながら慣れたように朝の支度をして朝ごはんを食べようと思ったら冷蔵庫の中に鍋がなくて驚いた。シンクの中に食器はなくて、横に鍋が乾かしてあるのが見えた。あいつ食べやがったな。と思いつつ、作る気力はなかったのでごはんですよと梅干しを出してさっさと終わらせた。食べるなら食べるで言え。

それから頻繁に家主が帰ってくるようになった。怖い。あの時ほどではないが相変わらず顔は疲れている。前から私の前では猫を被る人間ではなかったが、余りにも素だから少し心配になる。家の中の異分子は私だけれど。
気づけば時間が合えばご飯を食べたり食べなかったり、帰ったり帰らなかったり。あの味噌使っていいか、光熱費の代わりに、と言われたので私に拒否権は無い、と思ったが、そもそも結婚って言ってきたお前のせいじゃね?と気づいた時にはすでに、ドヤ顔で自ら味噌汁作りマシーンと化したあいつがいました。
いつの間にか、気づいた人間が夜ご飯を二人分作り、気づいた人間が朝ご飯を二人分作るようになっていた。基本的に朝は遅い私は、起きた時にはいないことが大半なあいつが作った朝ごはんを、私は起きていない頭のまま、ぼんやりと口に運ぶ。前までは私ばかり作っていたけれど(仕事)、作ろうと思えばあの人も料理は上手いに決まっているし、喫茶店の店員だったではないか。フレンチトーストはこの世のものとは思えないほど美味しくて、私は憎々しげに一人で美味しいと呟いたのを許せない。







ある日のことだった。
いつものように私は規則正しく晩酌を嗜みそのままの足でベッドにダイブして眠る。今日はあの人は帰ってこなかった。それは事実としてしか意味はなく、ただ私は謳歌するだけである。次の日は久々の休日で、惰眠を貪り優雅に過ごす予定だった、ベッドの上で。
その日は焼酎の水割りを煽ったせいか、珍しく夜更かしせずに早めに寝たせいか、中途半端な早朝の時間に目が覚めた。少しだけ胃が痛い。歳を感じる。遮光カーテンはまだ暗い。眼鏡を掛けてぼんやりとしたままふらふらとトイレに向かう。頭はぐしゃぐしゃとかいて髪の毛はぼさぼさだ。ぺたりぺたりと壁に時々ぶつなりながら用を済ませ、水でも飲もうとキッチンに向かった時だった。
リビングを通り抜けるために扉をあけると、少しだけ呻くような人の声が聞こえる。目を少しだけ瞬かせて焦点を取り戻す。別に気配を消すこともなく、かといってわざと音をたてるでもなくその発信源に近づいた。
帰ってきていたのか。全然気づかなかった。いつも気づいてないけれど。
乱雑にソファに上着とベルトがかけられ、ネクタイは解かれ第二ボタンまで開けられている。白いシャツとズボンのまま、ソファに寝転がっている彼がいた。
その人間が、呻き声の発信源である。いつも人の気配には敏感なくせに、私が近づいても起きないというのは、余程のことだ。仰向けで腕を固く組んで寝ている。こんな体勢体が凝って仕方ないだろうに。
顔を覗き込んでも、彼は気づく気配もなく、ただ苦しそうに呻き声をあげるだけ。見たところ怪我はしていないから、悪夢でもみているのか。寧ろ気配に気づいて起きる方が楽なのかもしれなかった。神は残酷である。
私はじっと、何をするでもなくその様子を眺めていた。

悪夢が、彼特有のものだとは言わない。
誰だって悪夢は見る。そして苦しむ。その恐怖を、人は忘れ、押し込め、なかったことにして、日常を生きる。
特にこの仕事をしていれば尚更、悪夢が日常化したり、睡眠障害になったり、医者にかかる人も少なくない。

彼は、どんな夢をみているのだろう。

私にだって悪夢を見る時はあるし、その恐怖が頭をよぎることもある。死なせた人間が、救えなかった人間が、私を襲うこともある。
それでも、生きていかなければならないし、皆贖罪を背負いながら生きていく。
あの期間だけだが、この人のことは私が一番近くで見てきたと自負している。いい所も悪い所も、強さも、弱さも。
多くの潜入捜査官が死ぬ中、この人はあの狂った三重生活をやり遂げ、成果を上げ、生還したのだ。この中のたった1つでも出来ていれば十分だというのに。
恐らく潜入捜査終了後、カウンセリングは今も定期的に受けているはずだ。それでもそれを受けながらも、仕事を今も尚最前線で遂行しているのだと思うと空恐ろしくなる。
どれだけのものを抱え、どれだけのものを捨て、どれだけのものを手に入れてきたのか。
途方も無さすぎて、私は何も思えない。
悪夢くらい、可愛いものだ、と不謹慎にも思ってしまう。
私の目の前で、苦しみ続ける彼の顔を見つめながらそう思う。
いつの間にかソファの前に座り込み、見つめていた。これだけ近づいても起きない。
余っているソファの部分に腕を乗せその上に頭を乗せる。目の前の人間は固く腕を組んで、何かから逃れるように、守るように、自身の腕にきつく縋っている。
ほんの出来心だった。
気づいたら、自分の指を、そっと彼の手の甲に添わせていた。暗がりでもわかるくらいに肌の色が違う。顔は歪んでいても、手は相変わらず彫刻のように綺麗だった。骨ばった手に筋が浮かんでいた。
我に返り、ぱっ、と手を離そうとした瞬間、彼の手に私の手が吸い込まれる。


「ぇ、」


ほとんど声にならない音が自分の喉元から出る。目を瞬かせていた間に、私の手は指どころか手のひらごとすっぽりとこの人の大きな手に飲み込まれてしまった。
顔をみやるも、起きる気配はない。寝惚けてこんなことするとかこいつよく潜入捜査出来てたな?自分の家だから、ここまで無防備なのだろうか。
少しだけ手を引っ張ってみても、彼の力はそのままなようで強く多少の力では動かない。こんなところで出さなくてもいい。
手と顔を交互にみる。手は離してくれそうにないし、心做しか呻き声も小さくなった気がする。顔色も少しだけ良くなった気がする。
私の冷え性の手が包まれた彼の手は、酷く熱くて脈打っている。何故か、無理やり解くことも躊躇われて、落ち着いたら寝ぼけ眼も復活して、霧がかかるように頭も朦朧とする。その熱さが心地いい。何も、全てを、考えることを放棄して、私は目を閉じた。



20180917
title by Rachel