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何時か見ることの出来ない腕時計が、ただのお飾りとして自分の腕に巻かれてある。
真っ暗闇の中、私は目の前の紛れるジャケットの色ではなく、どこからか微かな光を纏わせる薄い色素の髪を頼りに歩いていた。駐車場は暗く、私たちの姿をも薄める。
静かに開けられた扉から滑り込み、閉じられた空間になる。薄く浮かびあがる白の彼の車は酷く眩しい。


「これで全てに納得がいった」


苦々しげに低く呟いた声は、車の中を巡って私の耳に届く。運転席に座った男はエンジンをかけるでもなく、電気を消して暗がりの中のまま、音を切り裂いた。月明かりだけが、フロントガラスからうっさらと差し込み青黒くさせる。
私は何も言わないまま、助手席に座る。


「2年前に公安上層部が一掃されたのも、お前がその直前に異動したのも納得がいく」


私は薄く息を吐いた。二酸化炭素が沈殿していく。男はハンドルに腕を置いて眉根を寄せた。


「まさか監察官の狗だとはな」


私は微動だにせず、見えない曖昧な硝子を見つめていた。

警察官は特殊である。なるためには家族調査があり身元確認がなされ、交際届を上司に出さなければならない。その上で結婚となれば、またさらに相手の身辺調査が行われる。プライバシーもなにもあったもんじゃない。それを選んだのは私たちである。
幾ら感情の有無はあれど、結婚は結婚であり、形式は義務である。嫌な予感はしていたが、予想を大幅に超えた命令を下されるとは思ってもいなかったのだ。


「私なんかがヒトイチなんて信じられないと」
「可能性はあったが限りなく低いと思っていた」


まんまとやられたよ、と、別に隠していた訳ではなかったが男は舌打ちをした。
警視庁人事一課監察係。私の本来の所属はここである。警察の「警察」。内部調査官。警察の嫌われものであり、警察を監視する監察官の手足であり、狗である。


「大方、学校の人間の不正を裏で暴いていたのがバレたんだろう」
「なんで知ってるんですか」
「お前は俺の部下だったんだぞ。上司が部下の行動に気づかないわけが無いだろ」


あっさりと言ってのける人間に、鼻を鳴らす。
警察学校時代の、私怨の人間をいつか潰してやろうと虎視眈々と狙っていた。私は泣き寝入りするような人間ではない。歯には歯を、目には目を、やられたら倍返しだ。男尊女卑にパワハラセクハラ。そういう糞な人間は、大抵叩けば埃が出る。結構な位置にいた権力者は、片手間に手に入れたものを、偶然に流してしまえば、あっさりと然るべきところに拾われ、然るべき対処をとられる。私は一切それに関与していない。近くをすり抜けて流れていっただけ。
きっかけは、私の個人的恨みだが、それがなくても何れ制裁を受ける運命だった。自業自得である。絶対に分からないように細心に細心の注意を払っていたつもりだったのだ。


「何故何も言わなかったんですか」
「お前がやった証拠はなかった。それに罪は本物だったからな。まさか捏造してないだろうな」
「してませんよ」
「恐らく上も気づいていないはずだ。何故佐々木監察官には気づかれたんだ」
「私の方こそ聞きたいですよ。気づいたら包囲されていて、私に選択肢はなかった」


男の飼い主が獅子であるなら、私の飼い主になった奴は、狸であった。にこやかに笑みを交わし、味方が多く穏やかにみえる。監察官という嫌われ者であるはずが、驚くほどに敵を少なくして今の地位についたとされていた。勿論そんな人間ほど、腹に一物を抱えていないわけがない。
気づいた時には、私は罠にかかった小動物だった。私は観念して首輪をかけられたのである。


「私は二課に行きたかったのに」
「いけているじゃないか」
「嫌がらせですよ」


男は声を出して笑った。
私の仕事は、別にあるのだ。
溜息をついて、足を組んだ。


「あの人まで出てくるとは思わなかった」
「どうやら監察官は俺のことが気に食わないらしい」
「理事官と何かあるんですか」
「さあ」


にこやかに私たちを迎えた監察官は、いつもより深かった。
面通しせずに勝手をやった犬を、飼い主がよく思わないのは当然であった。それが、こんな形になるとは思わなかったけれど。


「結局、俺が選んだ人間は正しかったわけだ」


ハンドルから手を離し腕を頭の後ろで組んだ。密閉された空間が揺れる。


「どういうことですか」
「みょうじには内部の情報が集まってくる訳だ。権力者の娘よりも使い勝手がいい」
「言ってろ」


男は笑みを深くさせただけだった。
ガツン、と組んだ足先が当たれば笑みは消えた。


「契約結婚が偽装結婚の潜入捜査なんて、なんの冗談ですか」
「おまえの飼い主が持ってきた件だろう」
「元はといえば公安の問題ですよ」
「『都合がいいね』と言った監察官の顔見たか?」
「怖くて私はみてませんよ」
「俺のせいか」
「そうでしょうよ」
「元はといえば簡単に引き抜かれる人間が悪いんだ」
「あっさり引き抜かせる公安が、」
「あ?」
「まだ言ってません」
「新婚生活楽しめってか」
「御祝儀だとも言ってましたね。反吐が出る」
「なんとかしろ」
「できたら捕まってませんよ」


表向きは二課と公安の追っていた人間に関連性が持ち上がったために、合同で捜査することになったのだ。
その捜査が終わるまで、正式な婚姻届は受理されないらしい。どういう形で区役所差し止めたかは聞きたくもない。数少ない二課の人間、本当は私と同じヒトイチの部下を含め、殆どは公安の人間との合同潜入捜査。代表者は私とこいつであり、潜入する人間も私たちだ。私たちを偽装夫婦として、潜入させるらしい。他の人間は私たちが本気で結婚する気など、知ることは無い。
男の飼い主は私たちを崖から突き落とすが、私の飼い主は玩具のように弄ぶ。今回の私たちのように。
茶封筒に入れられた書類を取り出す。そこにはでっち上げられた人間のありとあらゆる情報が書かれている。


「IT起業家なんて胡散臭すぎないか」
「胡散臭さには定評があるじゃないですか」
「五月蝿い。お前こそ主婦同士の交流なんて出来るのか」
「舐めないでくださいよ。同性に好かれるのは得意ですから」
「どうだか」
「周り立てて悪口いえば仲良くなれますよ。表向きは」
「良い性格してるな」
「貴方ほどでは」


眉根を上げれば、男は突然エンジンをかけて車は動き始める。


「早くカタつけるぞ」
「当たり前です」


駐車場から車は抜けて、一通りの少ない広い道を走り出す。


「そういえば降谷さん」
「なんだ」
「専業主婦って、何するんですか」


白の車は憎くも私たちの家へと向かう。


20181208
title by Rachel