私の家族は、ワノクニでは極々平凡な家族だった。 母と父、妹がいて、少し遠くに親戚がいるくらい。父は料理屋をしていて、母は女将さん。長女だった私は、別段言われることもなかったが自然と板前を目指すようになった。 春夏秋冬、四季折々の自然豊かな風土に、独特の文化。着物を着て、下駄をうちならし、長髪をしなやかに結っては簪の素材や着物の色合わせ、時には街中で喧嘩があってもやれ野次や止めるものやと、面白おかしくその限られた時を生きるのがワノクニの人々だ。 そんな例に漏れない私は、鎖国気味の島から抜け出し、若者の好奇心半分と修行という名目をぶらさげて周りの島を回っていた。ワノクニの料理文化は、ほかの島の料理人なら一目置かれるから、特に危ないこともなく、ただ料理をして、しごかれて、新しい技術を吸収する毎日だった。
数年の放浪を終わらせ、私はワノクニに戻ることにした。定期的に手紙でやりとりをしていた両親や妹と会えなかったことにたいして、泣くほど心細くなったことはなかったけれど、それでも会えるというのは些かわくわくする。 久しぶりにつけたその地と風は、やはり他の島とはうってかわる。どれだけ離れても、ここが自分の地なのだと一生変わることはないのだと思った。 島といっても小さな島。鎖国気味な島では人も建物も大きくは変わることはなく、私の顔を覚えている人もいるのか、見知った人が挨拶をしてくれる。それに笑顔で返しながら家に帰った。 二年も離れたことに対して少し気恥ずかしく、私は心を隠して平然と戸をくぐった。 前と変わらず、いつものように仕込みをしている父に、机を拭いている母。 平然と見せた私と同じように、両親もまるで私が毎日のように帰ってきているかのように時間を感じさせない出迎えだった。 ぽつりぽつりと、交わす挨拶。 変わらない。 その家の雰囲気が酷く愛おしかった。
「あの子は?」 「町に遊びに行ってるわよ」
姉が帰ってくるのに対して、待つことなんてしない、そんな関係性が私の姉妹だ。 どうせ、夜になれば会えるのだからと。
「あー、私挨拶してくる」 「失礼のないようにしなさいね」
大きな荷物を置いて、身軽になった体。浴衣に着替えて髪を無造作にあげた。からんからんと鳴る木の下駄。 なけなしの風に呼応して風鈴が鳴る。蝉の声が酷く耳に心地よかった。 見送るように微笑んだ母の顔。ちらりとこちらを向いた無表情の父。
ただ、それだけだった。
だんだんと日が陰るにつれて、大きくなっていく人の声とひゅるりという笛の音。そういえば今日は毎年ある祭りの日だったか。 随分遠くまで挨拶をして、積もる話をして、花火でも上がるだろう、人混みの流れに逆らいながらゆっくりと家を目指していた。 すでに濃紺の星空が、あたりをぼんやりと照らし、提灯が橙色に灯る。 がやがやと噎せ返るような人の声から、一際大きな、ざわざわとした声が聞こえた。 それは、祭りの浮かれた声ではなく氷を注いだような耳障りな音。
「海賊が襲ったらしいよ」 「今急いで海軍が追ってるらしいがどうなることやら」 「おお、怖いもんだねえ、こんな祭りに」
人だかりができていた。急いで自分の家に帰る者、子供をきつく抱きしめている者、ひそひそと我感せずと人事に話している者、色々だった。 歩く速さが、段々と早くなる。 おかしい。 まさか。 心臓が脈打ち、一番の大きな人だかりを後ろで見上げた。 一瞬の真っ白のあと、私は無我夢中でその人だかりを押しのけた。 剣幕に驚いたのか、あっという間に真ん前にたどり着いた。 その、光景に、何も考えられなかった。
暖簾は打ち捨てられ汚い足跡に踏みにじられている。引き戸は壊され、そこから見えたのは黒く変色した飛びちったモノ。足が見えた。 中に入れば、惨憺たる状況。 そりゃあ、外の様子で分かるくらいなんだから。
真っ白な制服を着た人間が数人中で調べていた。 急いで駆け寄った私を止めようとするその手を振り払って倒れている肩を抱き起こした。
「紗綾、ねえ、紗綾!!」 「……お姉、ちゃん?」 「紗綾!紗綾!」
血だらけだった。 体中。 微笑んだ彼女の瞳が、頭から流れたもののせいで赤かった。 それでも、私の妹に違いなかった。 なにがおこった。 ねえ、なんで。 白い布をかぶされて運ばれる父と母。 馬鹿みたいに縋った。 酷く可哀想な生き物を見るように、見下ろされた。
「なんで……っ!あんたがっ!」 「おねえちゃん……」 「もう喋んないで!傷が!」
動かさないようにしているのに、妹は動こうとする。 やめてくれ。 これ以上、微笑まないで。
「おねえちゃん、」 「すぐにお医者さん呼ぶから!あんただけでも……っ!」
もう、素人の私でも、心の隅で悟ってしまったのだから。
「おねえちゃん、」
掠れた声で、静かに言った。 思わず、口を噤んだ。
「おかえり」
馬鹿な妹だ。 けしてべたべたするような、関係性ではなかった。 それでも、たった一人の、私の、大切な。 大切な。
それから、妹が微笑むことはなかった。
その後の記憶はあまり覚えていない。 近所の仲が良かったおばさんに泣きながら抱き締められた。 周りはちょうど祭りで出払っていたらしい。 本当に、偶然としかいいようがない、不幸の事件だった。
泣きながら、沢山の知り合いに泣かれ、私はただただ呆然としていた。 その殺した海賊は、長髪の男で、ワノクニの人間だったらしい。たまたま上陸していたそいつが、何の目的か、私の家族を殺した。 何が原因なんて、私には関係なかった。 ただ、そいつが憎かった。
そしていつの間にか、私は包丁を握り締め、見も知らぬしかし明らかに堅気ではない、長髪の紺の着物を着た男に、刃を突きつけていた。
20150621 title by へそ
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