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ピアスの片方が見つからない。彼にいつだかに貰ったティファニーのティアドロップピアス。がさごそとベッド脇の鏡台を無造作に開ける。ないな。最後に使ったのいつだっけ。多分、友人の結婚式で使って、そして、二次会に行って、酔っ払って。記憶はそこで途切れていた。鍵や携帯が置いてある棚の上の雑貨置き場にも無い。どうせまた酔っ払って外して適当にどこかに置いたんだろう。片方はしまう場所に置いてあったのに、なんでもう片方違うところに置くんだろ、自分。自分で疑問なことを自分がわかるわけがない。クリーム色のゆったりしたワンピース姿でうろうろと動き回る。彼が洗面台にいる間が勝負である。なくしたことがばれたら、また怒られる。元の場所にしまえ、なんて、小学生みたいなことを口を酸っぱくして言われているのは自業自得なんだけど。
物をよく失くすのは前からで、うんざりされてるけど、なんだかんだなくしても出てくるところが凄いのだ。だからこそ危機感がなくて怒られる。
鏡台、タンスの中、私の鞄の中、台所、棚の上、本棚、机の上、引き出し、ベッド脇の棚、クローゼット、彼のプライベートの鞄も少しだけ覗き見した。あるわけ無かった。今回はなかなか手強い。早くしないと戻ってきてしまう。せっかくの記念日に二人でいられるのに、こんなことでぐずぐずしたくない。
ひとまず違うピアスにしていくか。仁王立ちで寝室で腕を組む。ゆらりと揺れた片方のピアスがバランスを崩す。でもこのピアスお気に入りなんだよな。それなら尚更ちゃんとしろ、って怒る彼の声が容易に想像出来た。
ふと、目に止まった。真っ白なシーツの上部、明るい茶色の木でできたベッドに備え付けられているヘッドボードの宮棚。そういえば私あの部分使った覚えがないな。落ちてくるのが怖いから携帯も置かない。
考えている暇はない。ベッドの上に乗って手をかける。二つある引き出しをぼすっと両方あけた。新品に近い木の匂いがする。


「やったー!」


右手の方に、念願のピアスがいた。シルバーのチェーンを垂らしながら顔の前に持ち上げる。正真正銘ティアドロップ。
1回も触った覚えないのによく入ってた。
私の行動はほんと予測つかない。よく見つけた。


「……なにこれ」


余韻から冷めて引き出しを覗けば、ターコイズブルーを薄めたような天鵞絨のケース。生できちんと見たことがなくとも、流石に私でもそれが何の箱かは容易く想像出来た。見覚えは絶対にない。そっと取り出す。軽い。そりゃそうだよな。私のじゃない、ってわかってるくせに、私は何も考えずにその蓋に手をかけた。


「名前、洗面台空いたぞ、っておいっ!」
「へ?」


声が聞こえて振り向いた瞬間、彼が手を伸ばして飛びかかってくるのと、私がぱかりとその箱を開けたのはすべて同時だった。思わずその勢いにびっくりして体が反応する。彼は当然のごとく身体能力が良いから、なんなく私の手からこぼれ落ちた箱をキャッチして、シーツに落っこちた私の上に覆い被さる。仰向けに沈みこんだ私の上には、手のひらに箱を握った降谷零。
真正面にある顔は影になり、少しだけ見にくいけれど、表情は歪んでいるように見える。
わたしはそんな彼の前で、ぽっかりと口を開けたまま。


「結婚、するの?」


部屋に間抜けな声が響いた。彼はその言葉をきいて、はあ、と深くため息をつく。
私の上に乗っかったまま、彼は頭をぐしゃりとやった。


「普通な、見つけたとしてもスルーするだろ」


私はばっと手で口を覆う。確かにそうだ。私もいい年した女である。彼の性格上、へらへら笑って軽い口調でプロポーズをするタイプでもなく、寧ろきちんと段取りをしてスマートにこなしそうなタイプだ。
こちらもそろそろ結婚かな、なんて思いながら、おしゃれなディナーの時に私もスマートに受け入れるのが、良い女の手本なのだろうか。
なんにも考えてなかった。


「どうせお前のことだから、脳直で手と口が動いてるんだろうけど」


呆れた顔で私を見つめる彼に、私はただ呆然と見つめることしか出来ていない。


「……えっと、誰と結婚、」
「はあ?お前とに決まってるだろ」


浮気でも疑ってたのか、と、今日一番の怖い顔をされたので慌てて手を振って誤解を解く。
また何も考えずに発言をしてしまった。これもよく彼に言われる良くない癖である。


「なんか、他人事みたいで」


彼は、それをきいて少しだけ複雑そうな顔をした。


「名前は、考えたことなかったか?」


その言葉は少しだけ狼狽がみえた。多分他の人では気づかないほどの些細な感情。もしかしたら彼も気づいていないかもしれない。
どれだけ、一般論が通じるだろう。関係性にはほんとは名前なんて付けられなくて、ましてやそれが恋愛の情だったのなら、人の数だけ形がある。


「仕事のこともあったし、」


彼は気まずそうに眉間に皺を寄せた。この『仕事』が、普遍的な意味だけではなく彼特有の職業を指しているのは分かるだろう。詳しい話は知らないけれど、昔はそこそこ危ない橋も渡っていたらしい。今も詳しくは知らないが、ワーカホリックさながらよく働いている。別に彼だけの問題でもないし、私にだって仕事はあるし、結局は互いの問題だ。
正直憧れなかったわけでもない。けれども、そんな若い子みたいな憧れはとうに無くなっていた。周りが結婚していく第1次フェーズ、第2次と経ていくにつれて、仕事もそこそこの立ち位置になるし、精神的にもシンプルになっていく。一切彼もそんな気を醸している風にもみえなかったから(私がただ鈍感なだけかもしれないけど)、今の日常だけで十分満足していたから。


「正直、びっくりしてる」


ん、と私を見つめる彼は、私のよく知っている、今は私だけが知っている彼であって。
ゆっくりとまばたきをして彼の綺麗な瞳を見ていた。


「何も考えてなかったから、結婚、することで何が変わって何が変わらないのか、よく理解出来てないけど」


手を伸ばして彼の髪の毛をさらりとかきあげる。されるがままの彼の頬は少しだけ冷たい。


「それでも確かに言えるのは、これから先も私の人生には零くんがいて欲しいし、あなたの隣で一緒に生きていきたいな、とは思ってる、よ」


途中から、少しだけ声が震える。あれ私めちゃくちゃ恥ずかしいこと言ってるよね。でも、今逃げたら駄目なことも分かっていた。


「名前、」


名前を呼ばれたと思った途端、ぐっと腕を掴まれて上半身が起こされそのまま彼の身体に飛び込んだ。ぐっと抱きしめられ髪の毛がかかる。酷く強張っているのと同時に、酷く安堵している彼の体温が伝わっていた。彼も緊張していたのだろう。普段は理性で雁字搦めにしているような、完璧を目指しているような彼でも、そうか、私の前ではここまで、等身大になってくれるのか。当たり前だったことも、この瞬間の一つ一つ、酷くゆっくりに感じていた。新発売の柔軟剤で洗ったシトラスの香りがするシーツ、警察学校時代についたといっていた耳朶の凹んだ傷、首にぶらさげたままのネクタイは落ちかかっている、私のピアスは案の定片方にしかぶら下がっていないし、髭を剃ったばかりのクリームのにおい、歯を磨く前だったから唯一してないルージュがひかれてない色褪せた自分の唇、女顔負けの睫毛とか、骨ばった彼の手が私の首筋に触れているとか。
愛されていることは知っていた。知っていたけど、それが=結婚とならないことも、年を重ねてしまった私たちは無駄によく知っている。他人事から自分のことになる。結婚という言葉を忘れていたような私だ。本当に、彼は何を求めているのだろう。期待でも、しているのだろうか。


「ねえ、私でいいの」


想像以上に、彼の首元で私の声は心もとなく響いてしまった。彼は自分の肩にうずめた私の頭を、ゆっくりと離した。一瞬ぶりに見る彼の顔は酷く甘い顔をしていて、私は戸惑ってしまう。今度は彼が私の髪の毛を耳にかけた。


「お前はすぐ物を失くすし、思ったことすぐ口に出すし、ゾンビ映画嫌いなくせに見て寝れなくなるし、疲れて風呂入ると寝るし、」


内容に反して口元が緩んでとても楽しそうだ。良い所が一つも出てこないのは気のせいじゃないだろう。


「ちょっと、」
「でも、俺は、お前がいい。名前じゃないと嫌だ」


頬に手をやられてその瞳がまっすぐに私を見つめる。ああ、もうどうでもいい。何もかも。彼の言葉がすべてだった。
なんて顔で私を見るの。なんて優しい手で、私に触れるの。ねえ。
ぽろりぽろりと、涙の粒が落ちる。それにも笑って彼は髪を揺らした。
ぱかりと左手に握ったままだったティファニーブルーの箱が開く。思わず目を瞑った。彼がこの色の箱を持っているのも、つけているピアスが同じメーカーなのも、私がただオードリー・ヘップバーンのあの映画が好きだから、ただそれだけの理由で私が好きだということを彼はよく知っているから。
涙はとめどなく溢れる。その顔に手をやって優しく拭き取る彼の手を、私はただ甘んじて受け入れていた。


「結婚、しませんか」


言葉にならないまま、激しく頷いて顔を覆う。それに大きく肩の力を抜いて抱きしめる。


「しましょう、零くん」


辛うじて言った言葉に彼は応えるように腕の力が強くなった。
その私の顔を覗き込んで拭い続ける彼の瞳にも、いつもより少しだけ潤んでいるように見えるのは、私の瞳が決壊しているからなのだろうか。


「お前のせいで、計画は大失敗だよ」
「でも、それも私たちらしいでしょ」
「そうだな、」


互いに笑っていた。
最高の気分だった。
これから何があるかもわからない、何も知らない。別に一人でも生きていけないような私たちじゃない。今更、制度に縋るような人間でもない、それでも、私たちは、この人生を選ぶのだ。
彼と一緒なら、何も怖くない。



20180215
title by リラン