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肺が裂けるように痛む。かつんかつんと金切り声をあげていただろう自分の革靴の音。
真っ白な息が焼けるように凍えた喉を通り過ぎていた。
フラッシュバックする黒。
射すくめる翠の瞳。
真っ白に浮かび上がる、ぼんやりとした景色。
暗闇に混ざった、鉄の色。

飛び起きた部屋はまだ暗く、冷えた息と汗が体を伝う。
夜明け前。
最近よく、夢をみる。
それは命日が近いからなのか。それとも汚れ仕事が板に着いてしまったからなのか。
酷く安堵してしまう。
忘れていない自分に。
血塗れた掌を見下ろし、ずたずたに切り裂かれた心臓をなぞる。
酷く安堵してしまう。
忘れていない、俺に。
まだ人間でいられる。
だって彼を忘れていないから。
彼を想う心があるから。
一生傷つき、罪を背負っていけるから。
酷く安堵してしまう。

そしてそれを想う自身に、ぞっとする。









全ては、偶然だった。
危うい賭けに乗ったものだった。
リスクはいつもあった。
それがたまたま、敵の予想を超えてしまったため。
私は当然のように、部下の腕を掬い、その反動で自分自身が敵前に躍り出てしまった。
数撃たれる銃弾が流れるように体を突き抜け、波のように体が衝撃でしなる。
呆然と光を映したままの瞳は、遠くにいる男の驚愕する顔を不思議そうに映した。
遥か彼方の岬の先で、黒々とした海の底へ、大きく腕を広げたまま、私の瞳は光を捨てる。
慌てたように手を伸ばす庇った部下。
遠くから走りよろうとする上司。
また違う誰かによって、敵は取り押さえられていた。
それをみて安堵する。
音が聞こえない。
聞こえない。

そのまま、沈む。








既に暗い夜の中で、何故、血はさらに黒く染め上げてしまうのだろう。
消えていく。
遠ざかる。
手を伸ばしても、届かない。
底に浮び上がる、肌の色を、俺は思い出したくない。

敵は制圧した。
急いで救出を開始しても、真暗闇の空の下、直ぐに見えなくなり、ただの極秘作戦に悟らせる訳にも行かなかった。
救出されたヒトは辛うじて生きていた。
失血量が多く、海水の汚さが血を汚していた。

真っ白な病棟にぼんやりと浮かび上がる。
白熱灯は青白い。
何故か全ての力がすり抜けてしまったかのように、俺は女の顔を見つめていた。
あまりにも安らかに眠っているから、怖かった。
こんな場所にいては行けない。
分かっているのに、体は動かなかった。
命日。
フラッシュバックする。
あの時も、あいつは綺麗な顔をしていた。
夥しい量の黒い血を流しながら、顔は綺麗だった。
やめてくれ。
俺を、置いていかないで。
必死に押し込めた汚い心が、すりぬけてしまいそうだった。






男は泣いていた。
ぽろり、ぽろり、と美しく雫を落としていた。
私を見つめたままに、綺麗な顔をしていた。
何故泣いているのだろう。
生きていたか、と吐く息が冷たい。
男は、私を見つめてなんか、いなかった。
私を通して、誰かを見ていた。
瞳だけを動かして、男を見つめた。


「死なないでくれ」


男は言った。
言わなかったかもしれなかった。
ぽろり、ぽろり、と薄暗い肌の上を落ちていく。
男は知っているのだろうか。
美しいその貌は、酷く傷ついていた。
不思議で仕方なかった。


「俺の前から、」


いつから、手は握られていたのだろう。
私の手は感覚がなく、男の手もまた、冷たかった。
消えないで。
消えないで。
消えないで。
知らない男のようだった。
子供のように、何も言わずに、ぽろりぽろりと、雫が落ちる。
私は赤子をあやすように、手を穏やかにした。
私は生きているよ。
生きていたよ。
その言葉すら、まともに発せないままに。

何も、言えなかった。
傷ついていた。
私は知らない。
男が誰を重ねているのか、知らない。
それでも、男はどこまでも、私の知る男そのものであった。
それが私のどこまでも憎らしい相手であり、背中を預けられる人間の素顔であった。
何も言えなかった。
男も人間だったのだと、他人事のように思えた。
そしてどこかで安堵した。
呆気なく死にかけた私を、男は見ていないのだと分かってる。
それでも、私しかいないのだと、知っているから。
男のこの感情を、私は突きつけられていた。
死の価値など無に等しい。
少なくとも、私たち二人には。

私たちの、世界には、生しか、生きる意味がない。
この男には、それしか私は与えられない。
求められない。
私も、それしか必要無い。

私たちの世界には、何もないの。




20180313
title by 東の僕とサーカス