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※『零の執行人』ネタ有り。








資料をぺらぺら捲りながら早めに施設内に入っていた。もう少しで風見たちが到着するだろう。室内で待機をしながら、ぱたぱたとファイルで顔を扇いだ。同僚も顔に汗をかいていた。


「暑いっすね」
「暑いよねえ」


新しい施設独特のくっきりとした匂いが苦手だ。スーツに匂いがつきそう。その篭った空気を無くすように更に扇ぐ。ふと、ぱたりとそのファイルの手を止める。


「なんか変な匂いしない?」
「施設の匂いじゃなくてですか?」
「そう、なんか、微かにツーンと」
「施設の匂いもツーンじゃないっすか」
「そうだけどさ、微かに」
「僕はわかんないですよ」


様々な匂いが混ざってよく分からない。
うーん、と首をかしげたら、携帯が鳴った。そろそろ風見が入ってくるはずだ。
携帯を見れば1番をさしている。


「もしもし」
「苗字!ここのガス設備が」


上司の声が最後だった。
辺りは轟音に包まれる。
視界に広がった、真っ赤な轟く揺れる波。
痛覚を超えた熱風。

一瞬で、全てが赤。




**********




日光を遮断した部屋で、風見に仕込ませた盗聴先の動画を流す。無表情で見つめていた。埃を厚くかぶったそこは、机の上だけ、層が薄い。よく利用していた人間を思い出し、表情を変えず打ち消した。
テロの爆発。公安警察官の数人が死傷。それだけの情報が流され、公安は批判を浴びている。複数の携帯を同時に確認しながら状況を把握する。今は猫の手も借りたいほど、人が足りていない。
表は部下の風見が今は指揮をとっていた。迂闊に動けない俺は裏から回る他無い。

死傷、と重軽傷、では天と地ほどに違う。死んでいるかいないか。人間など、それが全てである。
死人を出しておいて、民間でなくて良かったと思わねばならない。事実本当のことである。その上で、公安の信頼の失墜を挽回せねばならない。たかが俺たちの死を、悼む暇などない。ましてや生死を彷徨う重傷人のことなど、構う暇があるわけが無い。
最初義務として受けた報告は、2人が死亡。2人が重傷を負い緊急手術を受けたということだった。
1人は何とか一命を取り留めたが、もう片方は未だ予断を許さない状況が続いているらしい。手術は成功したが、施しようのない酷い傷が多く、一度心臓も止まったと聞いた。いつまで、延命措置を続けるか、その話さえ。
意識の無い部下のことなど、気にしている余裕などない。
盗聴していた携帯を切り、立ち上がった。
射し込む光はただ、背中を焼き付けるだけ。




**********




出てきた風見さんの腕を捻り、乱暴に俺がつけた盗聴器を取った。
酷く低い声で吐き捨てる。その表情を、彼らは見慣れているのだろう。


「ねえ、ほんとにそのためだけにこんなことしてるの?!まさか、仲間のためとか言わないよね」


プライベートで連絡先を知っている唯一の人間に、すぐに電話をかけたが連絡がつかない。その後何回かかけても音沙汰無しである。
指揮官が負傷したために、風見さんが指揮をとっているときいた。
安室さんが連絡をとる人間が、風見さんだけになっていた。
目の前の彼は、にやりと目を昏くしたまま、口角を釣り上げた。


「買い被りすぎだよ、コナンくん。何が起ころうと、僕がやることは変わらない」


俺を見つめる目が、一瞬だけ嘲笑を含んだ。


「例え、あいつが死んだとしても」


ぞくりと、背筋が粟立った。
そのまま切り捨ててどこかに去っていくようだった。雨の中、橋の上を追おうとする。風見さんが俺の事を呼び止めた。


「君は、あの観覧車での……そうか、苗字と」
「名前さんは、生きてるの」


彼は少しだけ言うのを躊躇ったようだった。


「まだ死んではいない、ということだけしか、私からは伝えられない」


彼の噛み締めた表情で、沢山のものを背負っているのだと知った。




**********




安室さんの崩れたRX-7に乗っていた。衝撃を躱そうとしたが多少お尻は痛い。こういう時だけ、子どもの体重で良かったと少しだけ頭をよぎった。隣にいるこの人の、獣じみた表情が忘れられない。部下が部下なら、上司も上司であるし、上司が上司なら、部下も部下である。前に、出会ったときの無茶加減を思い出して、二人とも似た者同士であるのかもしれないと思った。追い詰められれば追い詰められるほどに、生に貪欲で、頭の芯がぶちぎれてしまう人たち。
携帯のタイマーと、脳内の計算を照合しながら、つかの間の静寂がぴりぴりした。


「愛の力は偉大だな」


そう、いつもの安室さんの声で少し微笑む。それに俺は目を白んで眉間に皺を寄せた。


「安室さんこそ、そういう人いないの」
「今はそんな暇はないかな」
「名前さんは、ただの部下?」
「いつの間に名前呼びになったんだい。しかも、あいつその名前で……」


般若の面になりそうになったから、慌てて誤魔化した。


「刑事さんの時にちょっとね」
「……そうか」
「状態はどうなの」
「心臓が一度止まったらしいが、生きてはいるらしい」
「心臓って」
「死んだら、そこまでの命だったということだ」
「……冷静だね」
「僕には僕のすべきことがあるからね。それにあいつは、」
「あいつは?」

ぴー、と時間が鳴る。


「時間のようだ、準備はいいかい」
「、うん」


アクセルをめいっぱい踏み込むと同時に、紫色の空にその身を投げ出す。






**********






硝子に塗れた服を、軽く払う。全てが落ち切ることは無いが、放置した。肩から流れ出る黒い血がどくどくと、低い動悸とともに鈍痛も伝える。
後始末を頼み、俺はその場からすぐに立ち去った。派手にやった。姿を現せないその体を引き摺り、闇に溶け込む。負傷を隠すように、路地にまで逃げ込む。少しだけ、息を吐いて足を止めた。自分の足で離れるには限度がある。寝不足の頭と、回転しきった脳内がヒートを起こして空回りしている。通常運転まで冷却しなければならない。まだまだ処理は沢山あるが、ピークは超えた。俺はまた三角生活に戻るだろう。突出してしまった鋭角を、元に戻さねばならない。様々なことを頭で整理し直した。
そろそろ車でも呼ぶか、とチャックつきのポケットから携帯を取り出した。酷く荒い衝撃を何度も受けたが、なんとか使えるようだ。慣れた手つきで操作し、画面すら見ずに番号を押して耳につけようとした。
ピリリ、ピリリ。
2度の発信音で我に返った。発信を切る。
目を瞬かせて、表示されている番号を見返した。
思わず鼻で笑った。


「はっ、焼きが回ったか」


少し遠くからサイレンに音が聞こえる。自嘲気味に吐き出した声は掻き消された。
それは、あいつの私用の番号だった。
元から連絡先は登録しておらず、互いに番号を丸暗記して連絡をとっていた。


「繋がるわけが、ないのにな」


いつものように、電話をしてしまった。その事実が、一番堪えた。薄く息を吐く。
何度も何度も、部下は無茶をしていて、この仕事も相まって傷が絶えない人間ではあった。その癖、いつも笑って、飄々と本人はしていた。周囲の人間ばかりが慌てていた。前に本人が言っていたように、なんだかんだしぶとく、運も勘も良かったから、どれだけ酷い傷を受けようと、生死を彷徨うほどの怪我は数えるほどしかない。
俺が知る限り、今回が一番酷い。
心臓が止まって戻ったことも、原因不明のまま、彼女は意識を取り戻さない。それが原因不明ということは、いつその反対が起こっても為す術がないということだ。延命措置の話など、本当は家族を呼ぶほどの重篤さを示していても、公安警察の彼女には、その権利は無い。
人間は呆気なく死ぬ。その事実を、自分は嫌という程知っている。それを部下は知りながらも、それでも生きていると、悪運が強いからと、自分は特別のように笑っていた。

結局、死んでしまうのか。

今更、何の感情も浮かばなかった。




ピリリ、ピリリ。

壁面に凭れた背中が勢いで浮いた。
携帯を凝視すると、つい先程かけた電話番号が表示されていた。
誰が、電話をかけている。この番号は捨てるものであり、今知っている人間は俺と風見以外いないはずだ。
あいつが、目を覚ましたことも、死んだことも、未だ風見から連絡はない。ということは、風見も知らない筈である。今はその経由でしか、基本的に情報は渡されない。
くるくると空回りする感情と理性が矛盾する。
ゆっくりと、通話ボタンをタップした。
耳にあてると、喧騒にまじって早口の女の声が聞こえた。


「――苗字さんの親族の方かしら?ついさっき目を覚ましましたよ!丁度電話が鳴って動けないくせに目線を向けて番号見せたら、何か言いたそうだから、看護師の私が出たのだけれど、」
「……意識が、戻った」
「そうなんですよ、生死を何度もさまよったし、怪我も火傷も酷いままだけれど意識がはっきりしているし、一安心ですよ。これからが大変だけれど、奇跡だわ。あ!何か話したそうだから変わるわね、でも苗字さん、声出せる?無理しないで」


すっと声が遠くなり、静寂が包まれる。微かに布が擦れる音と、プラスチックの音。
荒い、呼吸の音。


「……ぁ、……ふ……うん」


殆ど声ではなかった。がさがさとした音に混ざった、平仮名。
思わず笑ってしまった。
携帯を耳から外し、通話を切る。

ずるずると、壁に背中を凭れかけ、しゃがみこんだ。片腕を額に預ける。


「はは、馬鹿だな、あいつも」


俺も。
悪運。
殊勝に笑っている部下の顔が浮かんだ。
呟いた声が、思いの外安堵が混ざっていて、余計に笑えた。
深く息を吐いた。少しだけ震えていた。
それが全てだった。

灰色の視界に少しだけ光が混ざる。
顔をあげ、空を見上げれば、人口の光でも、日本の空は美しく照らされている。



20180425
title by へそ