※『ネズミの喜劇』の夢主視点
こんなにも幸福な感情で銀行窓口に並んでいる人間はいないだろう。にやにやがとまらない。頭の中はお花畑だ。
やっと銀行に来れた。定期預金の見直しやらなんやらその他諸々の用事があったのにも関わらず、思い立っても時間に余裕がなく行けていなかったのだ。銀行は基本平日しかしていないし、終わる頃にはすでに閉まっている。特に私の口座がある銀行は昔ながらの銀行で融通が効かない。そろそろ乗り換えようかと思いつつ、それすらの変更手続きも時間が取れないという悪循環。ただでさえ職場は通年繁忙期で、休みもなかなかとれないブラック加減。一ヶ月くらい前に昼休憩にダッシュしたら行列で時間内に終わらず泣く泣く諦めた。それからそもそも昼休憩で外に出る余裕もないほどに忙殺され、気づけば暦は変わっていた。
そんな!私が!!半休をGETしたのである!銀行のために半休使う悲しさもちょっぴりあるが、それよりもずっとタスクを抱えているもやもやに比べたらなんてことはない。めちゃくちゃ嬉しい。厳密にいえば職場に戻らずとも上司のセーフティハウスでの情報交換があるから仕事が終わってるわけではないが、午後休だ。フレックス制とかになるのだろうか。よく知らない。今日私が半休をとれたのも、珍しく上司が登庁していたため私の仕事が減ったのもある。こういう時には役に立つ。
そんな訳で、待つのも苦にならず、番号札を持ち椅子に座っていた。本でも読めたらいいのだが、生憎そんな心身的余裕はなく、ぼーっと空を見つめて頭のリセットをするだけで精一杯。大分限界に近くないだろうか。肉を食わねば。肉を。今日は何をつくろうか。いつの間にか私の中で上司の情報共有兼ストレス発散の料理作りになっている。解せない。上司とたった二人きりの空間で私が作ったごはんを食べながら淡々と業務をこなしていくのは、相変わらず不思議な空間でしかないが、それが別に気まずい空間ではなくなっているところが何となく複雑である。前作ったのはぶり大根とポテトサラダ、三色肉巻に玉葱と油揚げの味噌汁だった。今度は洋食かな。
ぼーっとしていた耳に、聞いたことがある声が聞こえて、思わず背筋が伸びた。うわ、いやな予感しかしない。そっと待合室の人影から声をする方へ眼を細めると、案の定だった。
「お昼何食べようねー」
「俺うな重!」
「元太くんはいつもうな重じゃないですか!」
「うな重全員はねえ、」
「園子姉ちゃんならいけるだろ」
「人にたからないの」
あはは、と苦笑いしている餓鬼んちょの顔が見えた。ていうか勢揃いじゃないか。自称少年探偵団の子どもたち三人とあの糞餓鬼と、阿笠博士と呼ばれる人間と住んでいる女の子、そして毛利小五郎の娘と鈴木財閥の末娘。何故ここにいる。
「ごめんね、少し待つことになりそうで」
「蘭が謝ることじゃないわよ、本当はおじ様の仕事でしょ」
そういえばあそこは別居中だったかしらん。高校生で家事も行っているなんて、なんて凄い子なのだ。一人暮らしの私でもままならんというのに。性格の問題なのだろうか。
こちらに振り返ろうとする糞餓鬼に慌てて私は影に隠れた。こんな所で会うものか。ただでさえあの子供にはこちらが公安だということも知られている上に、毛利小五郎の娘とも会ったことがある。余計なことを話されたらたまったもんじゃない。空気となるのだ、私。
そう背中を丸めて携帯を開いたときだった。
銃声が空間に轟く。
「全員動くな!!!大人しくしろ!!!」
再び銃声が響く。手を上げている店員を押さえつけているのは複数の覆面を被った人間ども。
……ああ神様、私は何か悪いことでもしましたか。
つい先程まで私は今日の献立を考えているほどに気持ちが解放されていたのである。言えばこの場所の扉をくぐった時には、花畑に錯覚するほどの幸福感に包まれていたはずなのだ。
それがどうしてこうなった。気づけば後ろ手にきつく拘束され、目も口もガムテープを貼られて乱暴に引きずられている。部屋を変えられているのか。
身の危険もそりゃ感じているが、それよりも何よりも半休も銀行の用事も潰れたことに気持ちは沈みきっている。
幾ら警察といえども、部署が部署なだけに大人しくしていることが得策だった。何よりも関わるのめんどくさいし。流れに身を任せて普通のOLを装うはずが、あの子達が無茶をするから思わず庇ったらいつの間にか私が人質になっていた。
もうどうにでもなれ。
全員の携帯は早々と回収された。2台持ちの私は片方を預けた。万が一のために、と持っていたが私が代表の人質になるに従い、再び身体チェックでもされたら堪らないので、なる前にあの糞餓鬼の懐に携帯と公安証を滑り込ませた。気づくか気づかないかはどうでも良い。私は至って平凡なOLとして、人質になるので、余分なものは手放した方が良い。
何かを相手に話している声が終わり、再びどこかに連れ込まれ座らされる。感触的にソファだ。どこかの応接室だろうか。気配と聞こえてくる声によると最低3人は見張りがいる。女1人に大層慎重である。
客は全員拘束され、手と口、目をガムテープで止められていたが、私だけは引っ張るためなのか手首だけはロープだった。嫌に頑丈に縛られているが、抜けようと思えば抜けられる。だが、それはロープだけの拘束だった場合だ。口だけでなく、目も見えない状態で、人数も複数。状況把握すらまならない状態での迂闊な縄抜けは禁物だ。
title by Rachel