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驚いて目を瞬いてしまった。あまりにも穏やかに微笑むものだから。
今目の前で、女は丁寧に且つ夢中になって卵を掬いとっている。血の気の失せた唇が心無しか活気を取り戻すようだった。
何度も、共に食事をしてきた。それでもここまで幸福そうな表情をして柔らかく微笑む顔は見たことがなかったように思う。互いにそんな関係ではなかったし、今後もないだろう。口を開けば皮肉の応酬、揚げ足取り、仏頂面と口を歪めて笑うばかり。いい性格をしている。その女が、あまりにも毒気の抜かれた表情をするものだから、こちらまで馬鹿馬鹿しくなる。
グレーのスウェットを着ただらしない俺と、すっぴんにアメコミのトレーナー、眼鏡をかけ紺のスウェットを履いた酷い顔をした女。滑稽な絵である。

やると言った洗い物を留めて、タスクを手書きで書いたA4の紙を渡す。うへえ、という顔をした。血色が微かに戻った顔はそれでも青白く、無表情で俺が書いた文字を追う。
久方ぶりに纏まった睡眠をとった俺の体はすこぶる元気である。あと少し時間が経ち、筋肉を動かさずにしていればほぼほぼ気取られないだろう。
皿を洗いながら、昨日のことを反芻し、部下のことを考える。酷い顔は前からのようで、蓄積された疲労と体調不良が隠しきれていない。恐らくそれは、昨日の俺の対応が原因で酷くなったのだろう。浮いた化粧を取り去ってもなお、俺と同じくらい彼女にも睡眠が必要だと感じた。
そして彼女は知らないだろう。元からひた隠しにする方でもないが、かといってひけらかす方でもない。俺を家に泊めたばっかりに、トイレに落ちて転がる袋を発見してしまった。さり気なく出した薬の幾つかにはそれ関連のものが含まれているのだろう。嫌味で指摘してやろうかと過ぎったが、あまりの表情にやめた。
少しの労いのつもりだった。気紛れでもあった。殆どを清潔なベッドで過ごしたらあっという間に日は暮れようとしていて、体はすっきりとしていた。ソファで気だるげに娯楽に興じたのは久々だった。
最善な処理をして、俺を生かした部下は、確実に良く出来た部下である。事実として、こいつがいなかったら、俺は今頃死体で発見されていただろう。幾ら心底憎んでいようと、目の上の瘤のような厄介な存在であろうと、実力は曇りなく認めている。だからこそこいつは、俺の一番近い部下であるのだから。言葉で言ってやるのも癪だ。
全ての洗い物が終わり手の水を拭く。


「頭に入れたらその紙処理しておいてくれ、 」


後ろに振り返りながら言いかけたら、机に部下が突っ伏している。近づいて顔を覗き込んでも起きる気配はない。ちっ、と舌打ちをして、折り畳まれた紙を体から引き抜いた。
少し逡巡して、眼鏡を外す。


「危機管理能力どうなってるんだ、こいつは……」


そう呟いて椅子を少しだけ引く。これでもまだ、身動ぎするだけで起きる気配はない。こんなに察知が鈍い人間だったか。溜息すら吐いてしまう。
腕を枕にして寝ている女の腋に手を差し込み、ぐっと持ち上げる。ほぼ右腕の力だがなんとかぎりぎり持ち上がった。そのまま素早く右肩に頭を寄り掛からせる。腕を軽く首に巻き付かせる。腰と足に腕をやりながら一度顔を首筋の収まりの良い所を探した。低い体温が温く伝わる。俺の腕の中で規則正しく胸が動く。コアラみたいだと思いながら、ふわりと、髪から今日寝ていたベッドの匂いがした。
どこまでしても起きる気配がなさそうだ。
そのままベッドへと運ぶ。
寝室に着き、ばさりと掛け布団を剥がして女を転がす。髪の毛が広がり、ごろりと腕も投げ出された。それでもすうすうと顔色の悪い肌を晒しながら息をしている。
ここまで眠りが深いのは、それだけ体が限界だったのか、元からのこいつの性質なのか。立場的に他人がいる状況でここまで意識なくいるのはどうかと思う。男とかそんなことを抜きにして、だ。入れたら入れたで、呆れてはいる。男の上司がいる前で、あっけらかんと寝すぎである。俺はそこらの馬鹿な男とは違い、理由なく手を出すことはしない。それを察してのこの様ならある意味器用に選んで寝ているのか。
暫し見下ろした後、緩いスウェットの女の左腕を捲る。腕の内側の柔い部分に、白い小さな布が見える。それを無表情で見下ろして服を元に戻した。それでもこいつは起きない。黙っていれば綺麗な顔をしている。
再び溜息を吐いたが、その溜息には同情と甘さが走る。
女の横に無造作に寝転がりながら天井を見つめる。翳った白が降り注ぐ。急激に眠気が訪れる。閉じた瞼にどくどくと、女の血が半分通っていた。


20180703
title by Rachel