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吐く息が、消えた。
白が透明になった。

雨に濡れ過ぎれば体は消えたように沈みこもうとする。どこを歩いているのかすらも曖昧なままに、ただ痕跡を消すことだけに躍起になっていた。雨で良かった。全てを流してくれるから。暗闇に紛れ色さえもわからない鈍色の雨。
舌打ちをしても濡れすぎて音すらしない。組織の仕事を押し付けたジンに向けてである。面倒な仕事を押し付けられ目的は達成したが、血と引き換えだ。左肩付近と右足に一発ずつ、貫通しているだけましだ。逃げることは出来たが、この身体の状態では身動きが取れない。ただでさえ身体が限界な状態の時だった。食も睡眠もままならない時に、とんだへまである。
冬の夜、土砂降りの雨は体に響く。音も血も全てをなかったことにしてくれるが、自分自身もまた、流されてしまいそうだった。
高架下、コンクリートの壁を伝う。荒い息が掠れる。あいつに連絡するのは最後の手段だった。しかしその手段さえ、弾が胸ポケットを掠めたせいで携帯は割れて黒。最悪の事態というものだろうか。
目も霞んできた。体温が低下しているのは自覚していた。そのせいで痛覚が麻痺してきている。雨のせいでどれだけ血が流れたのかも分からない。人気がない壁際にずるずると沈み込む。
こんなところで、俺は死ぬわけにいかない。
そう、死ぬわけに行かないのだ。瞼が重い。睡眠不足のせいだ。手足の感覚がない。このまま眠ってしまいたい。少しだけでいい。
ふと昔の記憶が過ぎる。
未来と過去が混ざる。
明日は部下に頼んだ調査書があがってくるはずだ。それに目を通さねばならない。
俺には、まだやるべきことがあるのだ。
ああ、死んでしまいたくない。
でも、なら俺は、どう生きればいい。
心臓が、柔い。










意識が浮上した時には、噎せ返る柔らかな匂いに沈んでいた。思考が一瞬で戻る。あまりにも気配が白くて微睡みそうになる。体の奥の方で沈殿している鈍い痛みと、鉛のような熱が足と肩にある。俺の記憶と今の現状は合致している。しかし、移動の記憶は無い。
薄らと目を開け、眇める。薄暗い灯りが部屋を浮かび上がらせている。少しだけ首を動かせばクリーム色の枕に広がる自身の髪が見えた。そしてその先に、少しだけ凹むように、俺よりも暗い髪が埋もれていた。肩ほどあるそれが顔を隠すように広がっている。もっとよく見ようと、さらに首を動かした時だった。肩に激痛が走り微かに呻く。
それが聞こえたかのように、死んだように沈ん見込んでいた頭ががばりと起き上がる。血の気のない薄い顔が、目を見開いて俺を凝視していた。


「降谷さん、」


体を浮かせ、掠れた声で零した彼女の胸倉を掴み、自分の方へ引き寄せる。左肩が引き攣るように痛い。


「俺が死んだら、お前はどうする」
「、棺の前で白百合を投げ捨てて嘲笑ってやりますよ」


くしゃりと歪んだ顔で、嘲笑と悲痛が綯い交ぜになった顔で絞り出す。
ふっと息を吐き、手を離して力を抜いた。無理なりに動いた体が悲鳴をあげている。結構酷そうだ。右腕を額に乗せて薄く呼吸した。
正真正銘、部下である。


「唾でも吐いてやりましょうか」


体を完全に起こし、覚醒した部下は吐き捨てた。何にそんな腹を立てているのか。
それを無言で眺めていた。
目を逸らした彼女はグレーのニットを着て下はスキニーのジーンズを履いていた。いつもは一つに結んでいる髪が無造作に肩ほどに揺れている。
明かりをつけ、てきぱきと布団を剥ぎ取りながら傷を確認し始めた。良くは見えないが、これまたグレーのスウェットを着ているらしい。


「ここは、」
「私の家です。セーフティハウスに運ぶ時間が無かったので現場から一番近い場所にと判断しました。盗聴器発信機の類は全て確認済みです。一帯の監視も張ったので今のところ一先ず安全かと」
「何故俺の場所がわかった」


淡々と彼女は羅列する。
自身すら曖昧なまま、意識が途切れた覚えがある。そこからの記憶がない。


「協力者からの情報提供です。血塗れの人間拾ったら安室透の免許証出てきたって言われた私の気持ちを考えてほしいですね」
「安室透を知ってる人間なのか」
「保険で少しかけてた情報網要員でした。あんたが降谷零の方持ってたら今頃地獄行きですよ」


傷を一瞥したあとは布団を元に戻す。


「信頼のおける闇医者に見てもらいましたが、左肩胸付近に一発貫通、右足ふくらはぎに一発、掠っています。幸い大きな血管はミリ単位で避けられてましたが、それよりも問題だったのは発見が遅く大量出血と雨による体温低下の方です。命に別状はありませんが、輸血と縫合、抗生物質投与はしてあります。今打たれているのは栄養補助剤です」


左手の方に簡易的にぶらさげられた透明のパックが見えた。


「そもそも身体の状態が最悪だそうで、睡眠不足とストレス、栄養不足による高熱が発生している中でこの怪我の熱のダブルパンチだそうです。ひとまず絶対安静だと」


近くに濡れたタオルが置いてあったのは視線に入っていた。
淡々と事実のみを伝えていく部下の声がやけに低く聞こえた。
左腕は少し力を入れただけで激痛が走る。アドレナリンはすでに切れていた。


「携帯は」
「回収しました。胸ポケットにでも入れてたんですか。軌道逸れてなかったら危なかったかも知れませんよ」


彼女が取り出した携帯の画面は罅がはいり粉々になっていた。黒しか見えない。
恐らくそれのせいで連絡が取れなかったことも分かっているのだろう。
真ん中を貫通してはいないものの、弾が掠ったその残骸が既視感を感じてフラッシュバックする。
額に置いていた右腕を上げ、手を掲げた。影になり余計に黒くなる掌はいつもの自分の掌である。零れ落ちかけた砂がさらさらと消える。


「死ななかったか」


それは単純な事実としての独白だった。
死ぬつもりはさらさらなかった。俺にはやるべきことがある。それでも、人間はあっさりと死ぬ。記憶が掠れている分、体は酷い状態でも今の微睡みが嘘のようで現実味がなかった。


「降谷さん、私は悪運が強いと散々言ってきましたが」


口を開いた部下を無言で見上げる。
俺の独白をどう受け取ったかはしらない。
いつもの五月蝿さは鳴りを潜めて、酷く抑え込むように言う。


「周りの人間にも私の運は影響します。だからあんたは死ねませんよ」


どういう理屈だ、と呆れて声を出すことすら出来なかった。
部下の表情を見てしまったら驚いて何も言えなかった。いつもの生意気風情が、目尻を下げて瞳を揺らして俺を見る。何を考えているかわからない。そんな瞳で見ても、溢れるような数多の感情を抱えているようで把握出来ず、それでいて伝える気はないように全てを抱え込んで能面のようにも見えた。


「例え、貴方が願ったとしても」


酷く昏いものを与えて、彼女は背を向ける。


20180627
title by Rachel