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日常が戻ってきていた。相変わらず忙殺される日々。傷も全て完治し、気づけばすでにひとつの季節が終わろうとしていた。
ジャケットをハンガーにかけて買ってきたスーパーの袋を置いた。ぺたぺたとストッキングの足で歩きながら恒例チェックをしていつもと変わらないことを確認する。少しだけ溜まった洗濯籠を見て、そういえば今日部屋多少綺麗だな。最近はすこし時間があるのだろうか。寝室以外の風呂場、トイレ、リビングを見回し窓を開ける。今日は簡単な掃除しかすることないな。ラッキー。ドラム式洗濯機に突っ込んでぐるぐる回す。水周りも綺麗、やった。
机に置きっぱなしだった袋をやっと仕分けする。冷蔵庫の中にはビールの缶とチーズ、牛乳、消費期限切れの卵。見事なくらい前に作ったものは綺麗になくなっていた。牛乳こそ消費期限すぐ切れてしまうイメージだけどな。卵は多少切れても大丈夫だから使ってしまおう。
閉まってあったタッパーを取り出し、出来たものを詰めて熱を取る。
本日の献立はてんぷらだ。テンプーラ。少し良いものを買ってしまった。素材の良さがもろに出るのも天ぷらの醍醐味である。さつまいも、蓮根、早めの春菊、長芋、獅子唐、オクラ、海老、椎茸。これくらいあれば上出来だろう。私の好きな物しか入れない。
消費期限の切れた卵を溶いて、そこに篩った小麦粉と片栗粉、水を配分ずつ加えてかき混ぜる。良い海老を買った分、粉はよくあるもので補う。
副菜を作りながら、下ごしらえを済ます。
そういえば、何時頃に帰るのだろう、気づけば夕食の時間が始まってもいい頃である。備え付けのテレビをつけて、NHKを流しつつ、パソコンを開き個人のメールをチェックした。鞄からアルフォートを取り出して食べる。ご飯前に食べると美味しく食べれなくなる、とよく叱られたのを思い出した。別に夕食は夕食で美味しく食べられると思わないか。


「お疲れ様です」
「ああ、お疲れ」


ラフなシャツの格好をした男が、チェックを終えて私の前に姿を表した。手元のボタンを取りながらリビングに入ってくる。一段落したパソコンを閉じながら立ち上がった。ダイニングテーブルに移動しながら言う。


「調査書はこちらです」
「ああ」
「食事は摂りますか」
「摂る」


目線を合わせることもないまま、上司の興味はすでに茶封筒の中だ。
その返事をきいて、天ぷらをあげる作業に入る。恒例のやりとり。野菜のことも考えれば、30分はかかるだろう。それだけあれば、恐らく上司のフィードバックは完璧に返ってくる。

副菜も用意しつつ、天ぷらを並行してあげる。油の温度を自動調節してくれるガスコンロで嬉しい。
後ろでぺらりぺらりと紙が捲れる音、時々外に出ていく音が聞こえていた。今回の調査書は比較的少ないから、すぐに目を通すのも終わるだろう。
ふわっと、気配が横に来る。


「気配消して突然来ないでくださいよ」
「……今日は天ぷらか」
「そうですよ」


無表情でじっと揚げられて油を切っているで天ぷらを見つめている。
あと一、二匹の海老をあげればもう終わりだ。


「あと少しですから、暇なら準備して待っててください」
「………」
「つまみ食い禁止ですからね」


無言で見つめるその間に嫌なものを察して先制する。
実際横目でみたら手を伸ばしていた。
ぱちん、と手を叩く。


「言った矢先に」
「厳しいな。揚げたてが1番うまいだろ」
「少し油落とした方がいいですよ。何より行儀が悪い」
「今更」


そう横に並んで話していたら、隙ありとでもいうように、揚げたばかりの海老をつままれ自分の口に突っ込んだ。


「うわっ」
「美味いな」
「そりゃ美味いでしょうよ!」


むすっと睨めば、悪びれない顔をしてもぐもぐしている。口から飛び出したままの尻尾が、器用に食べる口に合わせて上下に踊っている。
ぱちぱち爆ぜる油にため息を零して目線を逸らした。


「絶対全部用意して落ち着いて食べた方が美味しいですって」
「おい」
「なんですか、っ」


台所から離れようとしない上司の方を向いた途端、開いた口にいきなり何かを突っ込まれる。うむ、っというふやけた声が漏れる。目を瞬かせた。


「揚げたて美味しいだろ」
「むぅ、海老、?」
「ふはっ、間抜け面」


目の前でからからと笑う上司の顔が目に入った。さくりと噛めば、まだ熱い揚げたての海老。少しだけ奮発した、美味しい海老。
噛んだ1番美味しい身が、あっさりと喉奥を通過する。
ああ、もっとゆっくり味わいたかった。


「っ!触るの禁止!ステイ!用意して待ってろ!」


きゃんきゃん吠えても笑いが止まらない上司の声が部屋に響いた。








食べながらフィードバックを受ける。同時に振ってくる次の調書依頼と報告、考察に対し意見も述べつつ久々の自炊料理に胃は喜んでいた。偶然奇数だった海老は私が多くとった。
元々通常より少なかった今回だ、いつもよりすぐにフィードバックは終わる。ということは、この空間がただの食事になるということだ。


「お前、いつもこんな豪勢な自炊してるのか」
「んなわけないじゃないですか。もっと簡素ですよ」


しらけた目を向ける。
残業という言葉もないような、まともに家に帰ることすらままならない部署で、こんな食事を毎回作れる訳が無い。寝るためだけにあるような一人暮らしの人間が、敢えて時間のかかる自炊を真面にできているわけが無い。
コンビニ、外食、冷凍食品、万々歳だ。


「だよな」
「睡眠の方が大事ですよ」
「その割には手際が良いよな」


白味噌の味噌汁を啜りながら事も無げにいった。


「人並みですよ」


どうせあんたも出来んだろ、とは言わないでおく。なんでも器用に誠実にやる質だ。喫茶店アルバイターは調理もするのだろうか。


「お前の飯は美味いぞ」
「……え、何か変なものでも拾い食いしました?何も出てきませんよ」
「犬じゃない」


がたん、と眉間に皺を寄せ舌打ちをした。いつもの上司である。


「ただ環境の問題だと思いますよ。実家が田舎で祖父母と住んでたこともあって、殆ど母が毎食作ってくれる家でした。それが染み付いているせいか、定期的に家庭的な素朴な味を取り込まないと調子が狂うんです」
「賑やかそうだな」
「そんな楽しいものでもありません。母は苦労したと思います」


淡々と話しながら春菊を口に入れる。少しだけほろ苦い。
家事というのは相当な負担である。今では代行サービスがビジネスになるほどであるのだから推して知るべしというものだ。
家事を完璧にこなすような女性は、良妻賢母の象徴であったかもしれないが、共働きが珍しくなくなった昨今、外と内で別段労働の価値は変わらない。重労働である。今だって、仕事の範疇のことであって、それがプライベートとなれば話は違うというものだ。
ただ、折角なら美味しいものを食べたいと思い、その思いが他の欲求に比べて高い人間ならば、男女問わず自炊は多少するようになるだろう。私もその一人である。


「手前味噌ですが、そこそこ美味しいものを食べさせて貰っていたようで、舌がそれを求めて最低限作るようになったと言いますか」
「ほお、」
「って言っても、最近は真面に作れてませんけどね」


気づけば、この機会がなければまともな料理を作っていないのではなかろうか。昨日の食事ってなんだっけ。記憶にすらない。愕然とした。それもこれも忙しすぎるせいである。


「一人だと何食べるんだ」
「白米と味噌汁とか、カップ麺とか、和えるだけのパスタとか、スープとか、ウィダーとか」
「半分俺と変わらないじゃないか」
「楽さは否定しません。ビバ10秒飯。あとは漬物と白米とか」
「漬物?」
「専ら糠漬けです。美味しいですよ」
「糠漬けって、もしかして」
「実家の糠を貰って漬けてるんです。ズボラですけど」


大根おろしを大量に混ぜたつゆに椎茸を浸した。少しだけふやけた衣がくしゃりと口の中で崩れる。


「糠漬け……」
「別に珍しくもないでしょう、って、何」


顔をあげれば、顔を俯かせて心底羨ましそうに呻いている。何、どうした、いよいよ頭がとち狂ったか。


「どうせお前がそこまで言うってことはお母様も料理が上手いんだろうな……」
「どうせという一言が余計ですけど、まあ、そりゃ、娘から見てもそこそこ上手いと思いますよ」
「……お前んちの養子になりたい」
「は?いよいよ頭の神経切れました?馬鹿ですか?」


ぼんやりとしたまましゃくしゃくと天ぷらを口に放り込んだ上司をまじまじと見た。よく顔を見てみれば、隈がいつもよりも格段にひどいし、どこかやつれている。最近は時間があるのでは、という予測は打ち砕かれた。広い部屋を改めて見渡す。もしかして、家に帰るほどの時間もないから、こんなに綺麗なのか。


「飯が美味しく食べられるというのは、重要な幸福要素だからな」
「それは同感しますけど。疲れてるのなら、早く休んで下さい。」


自分が食べたいからって油ものにしてしまったが、疲労困憊している胃は受け付けるだろうか。


「油ものなので、無理しないでくださいね」
「お前が優しいとか末期だな。明日は槍でも降るか」
「五月蠅い。人の慈悲をあっさり跳ね除けやがって」
「言葉遣いが悪いぞ」
「あんたも大概ですよ。ほんとに、ごはん残してもいいので」


その私の言葉に、つい、と片眉が上がり味噌汁を飲み干す。


「飯は残さない主義なんだ」
「ですが」
「しつこい。折角のうまい飯を残すなんて勿体なくてできるか」


あっさりと吐かれた言葉に絶句する。目の前の人間は、今自分が発した言葉が与える影響を理解していないらしい。凝視していた私を見て、なんだ、と首をかしげる。それに曖昧に誤魔化しながら、私は他人事のように麦茶を喉に通して無理やり体温を下げた。



20180502
title by Rachel