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電気が殆ど消え、最低限の蛍光灯でぼんやりと暗い廊下を歩く。こつこつと、人がいない建物に音が木霊した。


「お疲れ様」
「え、お疲れ様です」


ドアの前に立っている見張りに声をかけた。驚いた顔がうっすらと見える。暗がりに立ち続ける監視の体が揺れた。


「少し休憩でもしてきたらどうだ」


左手に持っていた缶コーヒーを上に持ち上げ目の前で微かに振った。


「、いいんですか」
「俺がいるから。1時間後に戻ってきてくれ」
「……了解しました」


まだ温かい缶コーヒーを受け取り、ドアから離れる。
俺はゆっくりと個室のドアを開ける。

部屋は暗い。カーテンの隙間から月の光が差し込んでいた。今日は満月か。
暗がりに慣れた目は、少しの月明かりで部屋を把握する。そばに置かれたままの丸椅子にゆっくりと座った。花が飾られ、棚には文庫本とスマホが置かれている。開封されていないバウムクーヘンの包みも置かれていた。
3週間ぶりであった。スーツ姿でない今、これまでの時間が脳内をフラッシュバックする。怒涛の後始末と調整に追われ、殆ど公安の方には顔を出していなかった。代わりの人間から報告は受けつつも、大きな事柄があっただけに安易に動くのは得策ではない。なんとか素性はバレず誤解であるという結論で終わったものの、組織内での信頼回復は必須であった。
目の前で寝ている人間の体は、限界を超えていたらしく大分自己治癒力が衰えていると報告を受けた。3週間経った今、頬のガーゼは小さな絆創膏になり、足はリハビリを始めているらしい。しかし、頭の包帯はまだ取れていないし、両手も白いままで痛々しい。そんな奴は、何も考えていないかのように静かに眠っている。
缶コーヒーを開けて一口飲んだ。

獲物が死んだ時、こいつは大層憤り叫んでいたそうだ。部下からの報告でしか俺は知らない。初めて、あんな剣幕をみた、と戸惑っていた。誰もが疑問を抱えたそうだ。なぜ、そこまで無理をして、キュラソーを追いかけたのか。ただでさえ普段が適当なだけに、その執念に首を傾げていた。目を覚ました時には、すでに箝口令が敷かれ、意識を失う前に死を見ていたらしいが、その事実の確認すら、こいつは出来なかったはずだ。最初は色々と愚痴を言っていたらしいが、日が経つにつれ探ることもなくなったと聞いた。
ただ、淡々と、あっけらかんと、変わらない苗字が、病院で暇そうに窓を眺めている、と言っていた。
再び、ブラックを体に流しこむ。少しだけ息を吐いて、近くの豆電を付けた。それすらも、暗さに慣れた目には眩しくて細める。それでも起きないこいつは、大分気が抜けているのではないか。目的がない状態で、俺がこいつの顔を見にわざわざくることはない。時間も限られている。近くの薄い文庫本を持ち、ばさばさと顔に打ち付けた。


「……ん、何」
「起きろ、苗字」
「……え、降谷さんの声聞こえる、嫌な夢だ覚めろ」
「おい今すぐ目を覚ませ、水ぶっかけるぞ」


声を少し出して吐いた。眉間に皺を寄せていた顔の瞼が開く。ぱちぱちと瞬き、俺が視界に映る。


「え、眩し、え、なんで降谷さんいるの!?」
「声を落とせ。夜中だ」


置時計で時刻を確認するために顔が左右に動く。やっと意識が覚醒したのか俺の顔を見て改めて表情が歪んだ。


「何とも素敵な時間にお越しいただきまして」
「仕方ないだろう」


分かりきっている皮肉に冷ややかに返す。理由を敢えて言うほどのことでもない。


「いよいよお出ましですか」
「ラスボスみたいに言うな」
「一応直属の上司でしたもんね、そういえば」


あの大怪我にもかかわらず、口の減らなさ加減は何も変わらない。寧ろそっちをどうにかならなかったのか。


「今日はなんですか、説教ですか現状報告ですか何かの通達ですか」
「全部だな」


腕を組み直した。完璧に目を覚ましたらしい目の前の人間は、慣れたように腕を伸ばし手の甲でボタンを押す。ベッドが動き、体が起きあがる。


「飲むか」
「何買ってきてくれたんですか」
「レモンティー」
「なぜコーヒーじゃない」
「ノンカフェインがなかったからだよ」
「お気遣いありがとうございます」


少しぬるくなったペットボトルを、付けた簡易机の上に置いた。


「すみません降谷さん、」
「なんだ」
「ペットボトル開けるのと引き出しからストロー出してください」


目を瞬かせて、彼女の手を見た。ひらひら、と手をあげる彼女は平然としている。
蓋を開けて、ストローをさしておいた。掌を添えて、慣れたように首を縮めて飲んだ。


「早く本題に入ってください」
「まず、只今から箝口令が解かれる」
「本当ですか」
「お灸はちゃんと据えただろう、という上の判断だ。だが、手が真面に動かない以上仕事はまだ禁止だがな」
「うわ、めちゃくちゃ溜まってそう」
「帰ってその量をやるのも、長期間動けない怪我をした弊害だと分からせるためだと仰っていた」
「性格が悪いですね」


性格が多少歪んでいる人間しか上には行かない。


「箝口令が解かれた今、聞きたいことがあるなら聞け。その代わりに俺も質問をする」
「なるほど」


彼女がレモンティーに目を落とす。ぼんやりとした明かりが、大袈裟に彼女の頬に睫毛の影を作る。


「あの事件の表向きの発表はどうなったんですか」
「上が全体的に揉み消した。ただの不慮の事故となっている。戦闘機や銃撃の情報が多少ネットに出たがそれも撹乱していつの間にか有耶無耶になった」
「よくあれを揉み消しましたね」
「得意分野だろ」
「被害は」
「幸いなことに一般人は全員無事だ。観覧車近くの人間も殆どが軽傷で済んでいる。お前が一番重傷だ」
「ということは、死亡者は1人なんですね」
「そうだ」


彼女は余計なことをひとつも言わなかった。淡々と口にした業務報告。徹底的に箝口令が敷かれていたことを改めて実感した。長い時間、何も知らされない地獄。


「その人の最終的な死因はなんですか」


浮かぶ肌が白く、陶器のように生気がない。作り物のように見えた。


「……最終的な死因は、腹部に刺さった鉄の棒による内臓の甚大な破損とそれによる出血多量だ」
「そうですか」


ゆっくりと噛み砕くようだった。


「……何故、あんな無茶をした」
「無茶、ってどれですか」
「一番の大元は病院を抜け出したことだ」
「海に飛び込んだことじゃないんですね」


少しだけ口角をあげて自嘲するように言った。


「馬鹿だと思ったが、その事はまだ理解できないこともない」
「……」
「だが、意識が戻ったとしても、お前がそれほどまでに執着する程の関わりもなかったはずだが」


閉じた口と、ゆっくりと動く睫毛。それとともに頬に映った影も揺れる。


「確実に無理をして来るほどの想いを、お前が」
「ただの負けず嫌いですよ。本当に。本気で追いかけていたし、本気で捕らえようとしていた。それをすり抜けて、ここまで私は怪我をして、そこまでしておいて、人に任せて逃す訳にはいかない、その一心でしたよ」


口調はどこか暗く、それでいて拍子抜けするほどからからとする。


「降谷さん、私は最後、彼女を引きずり出すべきではなかったんですかね」
「苗字、」
「上手く逃していれば、思いっきり吹っ飛ばさなければ、彼女は生きていたかもしれない」
「それは無意味な仮定でしかない」
「分かってます。それでも、考えちゃうんですよ。死因の元は私です。私が吹っ飛ばした際に地面に勢いよく打ち付けたせいで内臓が酷く傷ついた、」
「ならお前は、そのまま潰されるのをただ見ていた方が良かったというのか」


つい、口調が険しくなる。こちらを見ようともせず、ひたすらに睫毛が伏せられる。


「……思いません」
「それが全てだ。お前のせいじゃない」
「それでも、彼女は最後子どもたちを救おうとしていた。救って死んで、無茶をしたはずの私は生きていて、私が手を下したようなもので、」
「苗字!」


無理やり顔をこちらに向けさせる。真正面から見た瞳は酷く揺れていた。


「俺たちは、神様じゃない」
「……っ」
「どれだけ強く願ったとしても、救えない命はあるし、死んだ人間は返ってこない。そして、それは救えなかった人間のせいじゃない」


更に瞳は揺れて、青。
息を吸った。


「ましてや、生きていることに罪悪感を持つ必要なんてないんだ」


肩に置いた手に、少しだけ力が入る。
様々な、人間が頭を過ぎった。


「頼むから、簡単に死なないでくれ」


目の前の人間の瞳から、滴が伝う。ただただ、溢れるように静かに流れるそれを、俺は見つめていた。瞬きをするたびに溢れる。


「、やだ、降谷さんの前で泣くなんて、」


我に返ったのか、口を歪めながら包帯の巻かれた手で乱暴に拭こうとする。


「包帯が濡れる」


ベッド脇にあったティッシュを取り、頬に持っていく。


「自分でやります、」
「その手で掴めるのか。じっとしてろ」
「……」


途端に無言になり、眉に眉間の皺を寄らせながらも、涙は止まらない。
きっ、と意地のように見開いたつり上がった瞳が、酷く青い。


「あー、ほんと、最悪」
「今日くらい泣いておけ」
「これは借りですからね。きっちり揃えて返しますから」
「はいはい」


瞬きした睫毛の上を、白い布が吸っていく。


20180416
title by Rachel