あの後、お昼だけでなく夕ご飯までご馳走になってしまった。哀ちゃんのペペロンチーノはとても美味しかったし、女三人で作った鰤の照り焼きを主とした和食は、とても楽しかったし美味しかった。有希子さんが洋食より和食の方が得意といっていて、なんだか意外だった。
有希子さんに散々言いくるめられていた新一くんは、きちんと駅まで送ってくれた。家まで送るか?と悩んでいたが、さすがに小学生を1人で帰らせるわけにはいかないと、丁重にお断りした。改札口で何度も念を押され、逆にそんなに頼りなく思われているのかと心配した。
駅から家までの道は、そんなに遠くない。慣れた道に慣れた建物たち。それでもやはり、夜の静けさは何かを浮かび上がらせる。めちゃくちゃ暗い訳でもないのに、昼と違う人工的な明るさが寧ろ不気味だ。 人間の想像力ってこんなとき嫌だな、と思う。中途半端な徒歩の速さが、一層何かに追われているような変な錯覚に陥る。 かといって走るのはさらに怖くなるだろうし、そもそも何もないんだから、と言い聞かせて、歩く。
「こんばんは、お嬢さん」 「っひ!」
何もない、と思った矢先に何か出た。思わず変な声が出てびくっと体が動いて声のした方を向いた。
「すみません。驚かせるつもりはなかったんです」
私は、一瞬前の怖さを忘れた。それを超える驚きで頭が回らない。
「き、キッド!!」 「おや、こんな可愛らしい方に私の名前を知って頂いて光栄です」
彼は優雅にお辞儀をした。真っ白なマントに真っ白なシルクハット。そこだけぼんやりと浮かび上がっているように見える。いつもテレビでしか見ていない、空飛ぶ姿が印象的な彼が、私と同じ地面に立って私の前に存在している。
「な、なんで」 「夜の道標となる月さえ、今宵は雲に隠れて闇を作り出しています。そんな中1人で帰る貴女を放っておけなかったのです」
生の気障な台詞を聞いて、すらすらと出てくる彼に感心する。余りにも聞き慣れない言葉に自分が言われているのを忘れそうだ。 ふと、突然はっとする。
「ねえ、本当にキッド?」
白のマントにスーツ、シルクハット。よく見えないけれど多分モノクルもつけている。けれども私はキッドに会ったこともないし、見たのは精々テレビのキッドだ。こんなことなら新一くんにもっとキッドのこと聞いておけば良かった。
世間のイメージのキッドなら、多分人に危害は加えないだろう。寧ろ気障なだけの泥棒だと思っているが、変質者だったら危ない。 怪盗の方がまし、というのもおかしな話だが。
「心配性なお嬢さんだ」
そうふっと笑ったかと思えば、急にワン、ツー、スリー、と数えて、ぽん!と音がした。彼の手の中には真っ白な鳩が一匹座っていた。
「わあ!凄い!!」
直前まで指で数えていたのに、瞬間で鳩が手の中にいる。思わず近づいて鳩をのぞき込んで拍手をした。
「喜んでいただけたようで」 「本当にキッドなんだね?」
前にいる人物が危ないかどうかなんてもう全然頭になかった。彼が鳩を私の手に差し出してくれる。多分、もしキッドじゃなかったとしても、わざわざ鳩を出すような面倒な事はしないだろう。乗せられた鳩は本物で、眠そうな顔でむくむくと顔を動かした。
本当にキッドの気紛れなのか、彼は家までお供しましょう、と相変わらずの気障な声で言い、私の前で片膝をつき手を差し出した。 私は戸惑って困った顔をしたが、彼は変わらずに手を差し出したまま動かない。少し逡巡したが、私は結局彼に手を差し出した。柔らかくとられた手に軽々と口づけられる。 やっぱり、呆れるほど気障だ。
知らない人についていくな!と工藤くんに怒られそうだが、なんとなく直感的に、彼は大丈夫な気がしたのだ。空を飛ぶ彼が道を歩いているのが、不思議過ぎる風景で肩の力が抜けた。
隣に並んで、一定の距離を保つ。それを気にすることはないようで彼もこれ以上近づくことはなかった。 歩いている間中、彼はずっと小さなマジックを私に見せてくれた。元々マジックが好きな私は、いちいち反応が大きかった気がする。それにも嫌な顔一つせず、次から次へと真っ白な手袋に包まれた指から魔法が生み出されていった。私の手の中には、相変わらず鳩が座っていて、ふと見ると寝ているのか目が閉じている。ふわふわの羽の塊が気持ちいい。
「つきましたよ、お嬢さん」
彼の言葉に頭をあげる。いつの間にか到着していた私の家がもうすぐそこに見えた。マジックで増えた鳩たちがもう二羽、彼の両肩にお行儀よくのっている。 ひゅう、と軽く口笛を吹けば、私の手の中にいた鳩も主人の元に返っていく。指に乗せられた鳩は私の方を向いて柔らかく鳴いた。
「貴女と別れるのはとても名残惜しいですが、またいつか、満月の下で出逢えることを祈って」
後ろを向いた彼の背中が大きく見えた。
「あ、ありがとう!」
パチン、と指を鳴らした瞬間鳩とともに消え去る。 その間際、彼がふわりと微笑んだ気がした。
20140727
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