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私は、片手に白い予告状を持ったまま、慌ててベランダへ踊り出る。
空を見上げれば、煌々と輝く大きな満月が見えた。口を呆けたまま、満月を見つめれば、突如、強風とともに視界が真っ白なものに遮断されて、思わず目を瞑った。すると、ふわっと体が浮いて、そのまま目を開けても、いまだ白い視界のままだ。


「じっとしていてくださいね」


ぎゅっと抱き締められた体はふわりと浮いて、耳元で柔らかな声が聞こえる。
何も見えていないのに、その白に私はとても安心して、再び目を瞑り、全てを委ねた。











降り立った場所は、いつしかの屋上だった。殺風景なビルの上でも、フェンス越しにきらきらと夜景が広がっていて、東京の街並みが一望できた。真上から、真ん丸の満月の白い光が、きらきらと降り注いで、街は宝石のように輝いていた。
穏やかな風が二人の間を流れゆく。彼は私から離れて、そのまま白のマントをはためかせて私の正面に佇んでいた。モノクルとシルクハットで隠れた顔は、どんな表情をしているのかもこちらからは分からなかった。


「予告状は受け取ってくれましたか」


彼の静かな言葉に、思わず握ったままだったその指がぴくりと動く。離さず持っていたのは、真っ白なカードで、見知った彼のマークが印刷されていた。
彼は、そのまま私の返事を待たずに、少し近づきながらカウントダウンをし始める。


「スリー、ツー、ワン」


穏やかにカウントされた途端、彼の手にはポンと、音を立てて一輪の赤いバラが出現する。夜でも、その白い手袋に赤はよく映えた。
彼は、そのまま私に近づいて、私の手にリボンが結ばれた一輪のバラを握らせる。
彼の口元は、穏やかに結ばれていて、さざ波のようだった。


「怪盗さん」


一輪のバラと、白い予告状を握ったまま、思わず私は彼に呼びかけた。その呼びかけ方であっているかどうかもわからなかった。
それでも、彼は今の姿でいる限り、怪盗だろう。


「お嬢さん、私は、あなたに謝らなければいけません」


穏やかなまま、彼は言葉を紡いだ。
私は、今日で全てが消えてしまいそうで慌てて声を発した。


「そんなの、私の方こそ」


慌てていった私に、彼は、ぴんと立てた人差し指を自分の唇に当てる。私は口を閉じた。


「あなたが謝ることは一つもない。謝らなければいけないのは私の方です」


その静けさが、私には怖かった。それでも、彼は言葉を続けた。

最初に声をかけて怖がらせてしまったこと、宝石を私に返してしまったこと、彼に出会った時から、一つ一つ、彼は静かに言葉を重ねる。
走馬灯のように、彼との出来事が蘇る。知らぬ間に、たくさんの思い出ができてしまっていた。
出来事を重ねるたび、彼は、パチン、パチンと綺麗に指を鳴らした。
その度に私の手の中にあるバラが一輪ずつ増えていった。


「そして、あなたに嘘をつき続けていたこと」


静かにそう言い、パチンと指が鳴る。今度はバラではなく、視界が真っ白になり、瞬きをした途端、目の前には真っ白の怪盗さんではなく、見慣れた彼がいた。
私は、驚いて目を瞬く。私の腕の中のバラは、10本という数になっていた。

黒羽くんは、にかりと笑って、私をまっすぐに見つめる。


「いつ頃気づいたんだよ」


まるで世間話のように、彼は軽やかに尋ねた。


「、文化祭の時に」
「そっかー。うまく隠せてると思ってたんだけどな。ごめんな」


彼は少しだけ首を傾げて私に謝った。まるで全て自分が悪いかのように。
私には一切、どうしてと、責めることはしなかった。


「ごめんね、」
「何が?」
「気づいてしまって、ごめん」


私なんかが気づいてしまってごめん。何もならない、一般人の私が気づいてしまってごめん。隠せなくてごめん。避けてしまってごめん。誰にも知られず、黒羽くんにも知られずに隠し通せればよかった。じゃなきゃ、今日は来ていないからだ。
いろいろなごめんが積み重なって、言葉にできなくて、泣きそうになってしまう。


「泣かないでよ」


酷く優しい声で、気づけば近くにいた彼は、私の顔を覗き込んで、目尻に彼の親指が触れる。私は、その近さに驚いて目をぱちぱちとさせた。少しだけ溜まっていた水が、流れて、そのまま彼の指で消える。


「あ、ごめん」
「ううん」


彼は、その近さに気付いたようで、また一歩離れた。
黒羽くんの近さと、怪盗さんの近さは違う。今日はまるでマーブル模様みたいに混ざり、境目がないみたいだ。


「俺が隙を見せたこと、俺が嘘を吐かせてしまったことが悪いんだ」


穏やかな海のように、今日はずっと静かだ。


「そして、また俺は、みょーじに言わなきゃいけないことがある」


彼はそういうと、パチンと指を鳴らした。
すると、彼は再び怪盗さんに姿を翻した。
怪盗さんは、深くシルクハットを被り直しながら、私をみた。


「また、あなたには隠していただかなくてはいけないこと」


深くは彼も何も言わなかった。
私も必要としていなかった。

彼の正体を、言ってはいけないこと。

そんなことはわかっていた。
バラがまた一輪増えた。


「うん、勿論だよ。本当にごめん」


こんな事になって、と続ける前に彼は言葉を遮った。


「謝らないで」


懇願だった。


「俺の正体を知っていることが、どれだけ危険でなまえに負担を背負わせることになるのかは分かってる」
「うん、」
「それでも、なまえから離れたくない」


彼のシルクハット越しでも、しっかりと私の方を見つめていた。


「あなたは、私の、女王だから、今後どんな事があろうとも、俺はなまえを守るよ」


一人称が混在する。彼は、絞り出すようにそう言って、私の前に跪いた。
見上げた彼の顔を見ながら、私はある夜を思い出す。


「そんな、守るなんて」
「バラの花言葉は知ってるか」


彼はにこやかに笑って、私を見上げた。


「バラは」
「バラは花束の本数によって花言葉が変わる」


少し前に学校の現国で、若い女性教師が雑談で言っていた。
彼はそれもわかった上で、私に聞いているんだろう。


「1本なら、一目惚れ、5本なら、あなたに出会えた喜び」


彼が静かに言い始める。
今私の腕の中にあるバラの数は、11本だ。


「11本は、」


彼がそう言った途端、様々なことが繋がる。
落ち着いた涙が、またぶりかえして溢れそうだった。
予告状には、こう書かれていた。
『今宵、私の"最愛"をいただきに参ります』

11本のバラの花言葉は「最愛」だ。

私は思わず、跪いていた彼の手を引っ張って立たせる。
彼は反動で立ち上がり、私はもう限界だった。


「そんな、守ってもらわなくてもいい!私は、あなたが、黒羽くんが、怪盗さんがいたらそれだけでっ」


その言葉の続きを許してはくれなかった。
彼は、私を引き寄せ、ぎゅっと抱きしめる。強い腕はびくともしなかったが、震えていた。


「その後の言葉は、俺から言わせて欲しい。待ってて欲しいんだ」


心做しか、声も、いつもの自信満々で穏やかな声ではなくて、震えているようだった。


「俺がやるべきことを終わらせた後に、必ず迎えに行くから」


ぎゅっと腕が強まり、私の肩に、彼の顔がうずまる。


「お願いだから、待ってて欲しい」


一瞬全ての音が無くなった気がした。風も止み、まるで世界には私たち2人しかいないように錯覚した。
永遠のように感じた。
2人の吐息だけが、空気に溶ける。
彼は、私の沈黙を、じっと待っているようだった。
私はぎゅっと彼の背中に腕を回して委ねる。


「あなたが背負っているものを、全て理解することは出来ないけど、一人で抱え込まないで欲しい。守られるだけじゃなくて、私も、怪盗さんを、黒羽くんを守りたい」


私の声もまた、情けなく震えていた。


「待ってるよ、ずっと」


彼が言葉にしなくとも、花束が全てを表していた。


「だから、絶対、迎えに来て」
「おう」


彼はまた、ぎゅっと私を抱きしめて離そうとしなかった。
私は不思議で、宇宙の片隅に、きらきらとした宝石に照らされているようだった。

好きな人と、同じ気持ちで、私の前にいて、抱きしめてくれる。
こんな幸福なことがあるのかと思った。

私たちを見つめているのは、夜空の満月だけだ。


20210710
title by メルヘン

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