×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -




私の部屋をノックしたのは、珍しく帰ってきていた兄だった。兄はドアを少しだけ開けた。真っ暗にしていた部屋に、一筋の明かりが線を描く。大丈夫だよ、と顔を見せることなく、暗い部屋から言った私の声に、兄は何を思ったのか、そうか、早く寝ろよ、と言ってドアをまた閉めた。
カーテンを閉めた窓際から、離れられず、私はくずおれて座り込む。彼だったら、簡単に鍵を開けてしまうだろう、合図だって簡単に送れてしまう。硝子一枚を隔てただけ。それでも、彼はもう音を立てることはなかった。私はカーテンを開けて確かめる勇気すらもなかった。

最悪な形で、伝えることになってしまった。彼の真っ白な頬を見てしまった。その表情は、驚愕に満ちていて、何故、私が知っているのかと、その不信感しかなかった。
もう終わってしまった。最悪だ。
私みたいな人間に、知られてしまったリスクを、彼はどう片づけるのだろう。もう何もかも、これまでの無防備な優しさなどどこかへ行ってしまうだろう。これまでの夜の秘密もなくなるだろう、学校だって、もともとあおちゃんがいたから仲良くなっていただけだ。こうなってしまったら、きっと、彼は私を警戒するだろう。新一くんと繋がっていることも知っている、蘭ちゃんだって園子ちゃんだって、和葉ちゃんだって友達だ。そもそも私の兄も警察官だ。私が、うっかり漏らしてしまえば、彼は簡単に捕まってしまう。
今思えば、恐ろしいことだった。たかが一般人の学生である私が、一人の人間の行く末を左右してしまうかもしれない。しかも、私のエゴだけで、私は甘えていた。

このままの関係が続いた方がまだましだった。なんで私は、我慢できなかったんだろう。私の方を振り向いてくれなくたって、彼が好きなのは私じゃなくたって、今の、会える関係で、どちらの彼も知っていられる私だけの秘密だけで、十分だったではないか。
私が彼の正体を知っていること、私が彼のことを好きな事、何もかも、最悪だ。






意外と簡単に、彼を避けることはできた。もともと、同じクラスでも席は遠かったし、あおちゃんと話す時によく彼がいたから、別の友達といる時には、彼は来ることはなかった。他人がいる場所で、話せる話でもなかった。だから私は、極力一人にならないようにした。私は自意識過剰で、小賢しい。

あおちゃんは、流石に私と黒羽くんの関係の変化に気づいたようで、心配そうな顔で尋ねられたことがあった。私は、あおちゃんに笑って、きっぱりと言った。私のせいで、少し頭を整理したいから、そっとしておいてほしいと。あおちゃんのことだから、二人で話す機会を設けてとか、優しい心だけで、行動力を発揮してしまえる人だったから。怒っている訳じゃない、でも、はっきりとした意志を表明した私に、あおちゃんはいい人だから、何か言いたそうな表情はしっつも、私の意志を尊重してくれた。そういうところが、あおちゃんの素敵な所だと思う。





数日経った頃に一度、廊下を歩いていた時に、手をとられたことがあった。彼は真剣な顔をしていて、私は突然のことで、避けることもできず、思わず彼の顔を見つめてしまった。久々に見た彼の表情は、信じられないほどに真剣だった。その綺麗な瞳に、全て暴かれてしまいそうで、私なんかを映してほしくなかった。逃げた。顔を逸らして、何かを言おうとした彼に、私は慌てて言葉をかぶせた。彼が手をとったのは、学校の廊下で、人はたくさんいたから、少しだけ、ただならぬ私たちの雰囲気に注目が集まりつつあったのも事実だった。


「大丈夫だよ、黒羽くん、私は全部忘れるから」
「っ、んなことじゃなくて」
「こんなところで、話すつもりなの?」


私の声は酷く嫌味に響いただろう。彼は、口を噤んだ。私は嫌な人間だ。こういったら、彼が何も話せないことを知っていて、そういうんだから。「私はいいけど」と言う言葉が喉までせりあがってとどめた。ここまで来て、嫌われたくないといまだ思っている私に悲しくなった。
友達が、私のことを探していた。もう少しで、次の授業が始まる。移動教室の声を聴きながら、私は手を引っ張った。あっさりと、彼の手から腕は抜けた。彼に背を向けて、友達の隣に並ぶ。彼がどんな表情で、私のことを見つめていたなんて、どんなことを伝えようとしていたかなんて、私は知りたくなかった。





一週間が終わった。とても長く感じられたような気もして、酷くあっけなかった気もした。平日が終わってしまえば、彼のことを視界に入れなくて済む。最後の方は、少し慣れてきてもいた。人間の順応力は凄いなと他人事のように思う。あれだけ辛くて、この世の終わりのような気もしていたのに、私は毎日学校へ行って、友達と普通に会話してる。まるで、あの夜の方が、幻のようだ。
折角の休みでも、私は外に出る気になれなくて、自分の部屋でぼんやりと過ごしていた。本を開いても閉じるを繰り返して、何も頭に入らない。そんな時に、珍しく、彼女から電話があった。


「もしもし、久しぶり、哀ちゃん」
「久しぶりね。あなた、元気なの?熱とかぶれが治ったら連絡入れなさいって伝えたでしょう」
「あ、そうだったね、ごめん」


つんつんとした声でも、心配ゆえの声だから、何も怖くはなくて、寧ろ私が忘れていたせいで心配をかけてしまったことに謝る。そうか、それがまだ一週間前か、と思うと不思議だった。もう遠い昔のようだった。


「元気そうなら、良かったわ」


そう少しの溜息とともに、耳を震わす彼女の声に、それまで必死で留めていたものが溢れそうになってしまった。彼女にしか、言えなかった。唯一彼女だけが、全てを話せる人間だった。
私のただならぬ雰囲気を敏感に察知してしまったようで、彼女は、耳元で私を窺う質問をする。
もう駄目だった。こんなにも、私は脆かったのか。
自分のベッドの上で、涙を流して、嗚咽混じりに哀ちゃんの名前を呼んだ。機械ごしに焦った彼女の声が聞こえた。
何も整理できないまま、彼女に話した。見てしまったもの。私の感情。止められなかったこと。彼に知られてしまったこと。忘れなくちゃいけないこと。誰にも言えなくて、もう自分でもどうすればいいのかわからないこと。
彼女は、私の話を、静かに聞いてくれた。帰ってきた言葉は、決して甘い言葉ではなかった。


「あなたの感情が、彼の秘密に何の関係があるの?それで、あなたは救われるの?」


言葉を失う。彼女のその静かな声は、心臓を抉る。
彼女は、私に返事など、答えなど何も求めなかった。ただ淡々と簡潔に言葉少なに投げかけるだけだった。


「あとは、あなたが決めることよ」


彼女の最後の声は、酷く優しかった。それが反対に沁みた。私だってわかってた。自分で簡潔して、自分で勝手に考えて自己完結してるだけだ。何も解決していないし、ただ逃げていただけで、私の感情は悲鳴を上げている。甘えられる人の前では、勝手に泣いてしまうくらいに、何も落ち着いてなどない。
彼女との電話が終わって、私はベッドに倒れこむ。








目を覚ませば、部屋はとうに暗くなっていて、ご飯の時間も過ぎていた。多分見かねた家族は寝ている私をそのままにしたのだろう。
もうそろそろで、深夜になる頃。
明かりのつけられていない部屋には、窓から月明りが差し込んでいた。私は、籠った空気から逃れたくて、その白い一筋の光に惹かれるままに、窓を少し開けた。夜の風が部屋に入り込み、レースのカーテンを大きく膨らませた。月の光に照らされて、ふわふわとレースが浮いた。それをぼんやりとみて、息を吐く。真っ暗な部屋の中で、月の光に照らされたその一点の空間だけが浮かび上がっていた。
そこに、一筋の白がひらりひらりと風に乗せられてやってくる。私は思わず目を瞬かせて、部屋の中に落ちたそれを拾う。
その白いカードは、何度も見たことがあって、息を呑む。
一際強い風が、窓から入り込み、レースのカーテンとともに私の髪の毛も舞い上がらせる。

今日は、満月だ。


20200302
title by リラン
- 42 -