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もう、全てをおわりにしよう。そう思った。
彼は、ただの私の友達のあおちゃんの幼馴染で、ただのクラスメイトで、ただの、テレビ越しに見る遠い存在で。
あまりにも近づきすぎてしまった。どちらの、彼からも。


漆にかぶれた私は、大阪観光を終え東京に帰った後に疲労が一気に出たかのように高熱を出し寝込んだ。私のかぶれが酷かったのも、体調がいつもと違うからだったのだろうと病院の先生には言われた。
ただただ熱にうなされていただけで、症状は出なくて、私は一人部屋に引きこもって布団を頭からかぶっていた。ちょうどよかった。熱のせいで正常な思考回路はないし、家族もいい具合に放っておいてくれた。
その間は当然のように怪盗さんと夜会うこともなく、私はあの時から一度も、彼に出会うこともなかった。

2日間寝込んだ次の日、私は何も解決策を見いだせないままに、憂鬱な心で納豆をかき混ぜていた。


「もう大丈夫なの?」
「うん……」
「なんでそんな元気ないのよ」
「眠いだけ」


まだ風邪が治っていないのかと、母の心配が内心にしみる。どれだけ寝ても朝は眠いし、何よりも、今日久々に会う彼に、私は何も知らないふりをして出逢えるのだろうか。


「元気ならさっさと行きなさいね。遅れるわよ」
「はあい」


結局、結論は出ていないのに。






結果的に、私は何も、多分何も覚悟が出来ていなかった。
二日ぶりに会うクラスメイト。ただの風邪だったし、友達は心配してくれたものの、私の顔を見て一言二言交わして、私をすぐに日常へと引きずっていった。数学のテストの範囲が出たとか、このドラマが終わってしまって悲しいだとか、彼氏とどこへいっただとか、そんな綺麗な日常にすんなりと溶け込んでいった。


「あー!なまえちゃん!大丈夫?」
「うん。もう大丈夫」
「病み上がりだから無理しないでね」
「ありがとう」


私の顔をのぞきこんでくるあおちゃんに笑顔で返す。あまりにも綺麗な心の持ち主だった。今の私なんて見せられないくらいに。
連絡事項を色々と教えて貰っていたら、ふわりと影になった。びくりとして振り向いてしまったことを気づかれてしまっただろうか。でも、気づかれたとしても理由なんて彼には分からないだろうからいいのか。


「みょーじ、もう大丈夫なのか?」
「あ、うん、ありがとう、黒羽くん」


少し伏し目がちになってへらりと笑った。彼の表情はどうだったか、見れなかった。


「そっか。無理すんなよ」
「うん」


すぐにあおちゃんと黒羽くんが幼馴染の会話をし始めた。
目を合わせそうになって慌てて視線をずらすような、見ているのか見ていないのか分からないくらいの揺れた目線で、私は彼をすれ違って見た。彼が私の方を見ていない隙に、私は彼の顔を見る。何も変わらない、ただの黒羽くんだった。
なんだ、何も気づいていないのか。ほっとしたのと同時に、自然に話しかけてくるものだから、勝手に傷ついていた。
そうか、彼は怪盗さんじゃないんだからと、もう溶けた脳内に言い聞かせるしかなかった。
あんなことをしておいて、彼は平然と、なかったかのように、変わらない黒羽くんを見せられる。
そりゃそうだ、怪盗さんだもの。
彼が好きなのは、別な人。
私が勝手に浮かれてしまったのだから。
何の理由があって彼は怪盗になっていたとしても、もしかしたら逆なのかもしれないけれど、彼は世界に名をとどろかせる怪盗なのだから。
多分もっと、彼が抱えているものは、その軽やかに見える翼には、私が想像もできないようなものが乗っていて、私とのことなんて、些細なものなんだろう。
私みたいなちっぽけな世界で、平凡に生きる私とはまるきり違う。どれだけでも、ポーカーフェイスで、平然と、できてしまうんだろう。
私とは、何もかも違う。

たかが、一回のキスくらいで、振り回されてしまうような、私とは全然違う。










ばくばくとした心、何もかも捨てようとしていた自分に驚いていた。
何も言わないまま、俺は、彼女に何をした。
あの瞬間だけは、本当に、世界に二人しかいなかった。
馬鹿だと言って泣きそうに言う彼女を抱きしめたまま、このまま、二人沈み込んでしまえばいいのにと思った。
真っ白な俺の衣装で肌と肌が触れ合うのは、首元だけだった。滑らかな肌が自分の首に当たっていたことも、体温の高い熱がそこから伝わっていたことも、柔らかな髪の毛が触れることも、俺を離そうと躍起になる腕が、折れそうに細いことも、離す気がないと分かった途端、諦めたように、それでいて嬉しそうにふっと体の力が抜けて委ねてくれたことも。
鼓動がやぶれるように早かった。
これから、何があろうとも、どうなろうとも、俺の行動が間違っていることも分かっていたけれど、いてもたってもいられなくて、俺は俺のまま、儚く消えてしまいそうな彼女に気づいたら会いに行っていた。俺を巻き込みたくないと身体で泣いている彼女を、どうして離してやることが出来るのか。あのまま、おちてしまいたかった。
彼女を一人になんかできなかった。
俺が無理だった。
夢のような、幻のような一瞬だった。
彼女は泣いていた。
何かを言おうとしていた。
怖くなった。
気づいたら奪っていた。
彼女の見開いた目を、俺は忘れられない。







どんな顔をして、会えばいいのかとやきもきをしている間に、彼女が風邪をひいて、余計に会えなくなった。
ただただ安堵した。ふわりと可能性として考えていたものの、彼女が感染していなくて本当によかった。
ただそれだけだった。
現実に戻った途端、人間というのはあまりにも単純で、それまでの瀬戸際など忘れてしまって、自分がしたことの愚かさに俺はひどく苛まれていた。
彼女に何の断りもなく、何も伝えていないまま、俺は何をした。
次にどんな顔をして俺は会えばいいのか。
結論が出ないままだ。

嫌でもやってくるのは学校だった。彼女に会えることはめちゃくちゃに嬉しいけれど、どうしてもあの時のことが頭を過ぎる。
でも、彼女は俺だと知らないのだ。
彼女にとって俺はただの友人でしかないのだ。

青子と話している彼女に、ごくごく自然を装って声をかけた。いつもの柔らかさに少しだけぎこちないように見えた。ありがとうという彼女の顔が、どことなくぎこちなかったのは、久々の学校だからか、まだ本調子じゃないからなのか。
違う姿であったなら、彼女の隣で、彼女の名前を呼ぶことができるのに。
早急に解決しなければいけないと思った。















俺のままならない心臓と正反対に、月は変わらずに綺麗で、いつも通りに薄く透き通った三日月を見せていた。ちらほらと雲は浮かんでいても月にかかることはなくて、月だけが遠く遠く隔たれて空にあった。
遠くから彼女の家を眺める。人影がベランダにあるのがみえた。風が顔に刺さる。彼女は黒のワンピースを着ていた。顔だけが白く浮かび上がって見えた。
音を立てずに手摺に降り立つ。
何度も、何度もこうやって逢瀬を重ねてきた。


「こんばんは、お嬢さん」
「こんばんは、怪盗さん」


気取った声で、透き通った声で、挨拶を交わす。いつものように。
手摺に座り、あの時のことを話すために、俺は、口を開こうとした時だった。


「怪盗さん、話したいことがあるの」
「なんでしょう」


胸がざわついた。
いつの間にか風が止んでいた。酷く静かな彼女の声だけが、空になげだされる。既視感を覚えて視界がちかちかする。


「もう、終わりにしよう」
「……何の話ですか」


本当に、何を言われたのかわからなかった。
あまりにも静かな声で、宙に浮かせ、隣の俺に向かい合った。


「もう、会うのやめよう」
「……何故ですか」


俺は今日初めて彼女に向かい合った。同じ地に降り立ってしまえば、彼女は歪に微笑んでいた。それがひどく違和感だった。


「それは、あの時のことが原因ですか」
「違うよ」
「なら何故」


気づいたら少しだけ声が大きくなっていた。一歩体が乗り出していた。その分彼女は保つように俺から離れていた。


「それだけが、理由じゃない」
「……あの時のことは軽率だった、謝るから、なんで」


口調がいつものようにとめどなく入れ替わる。
俺にとっては夢のような記憶が、彼女にとっては悪夢だったならば。その事実に胸が引き裂かれそうになる。
彼女に許されないほどの不快感を与えてしまったのなら、許されざる罪だったならば、俺はあまんじてそれを受け入れる。
だから、どうか、俺を遠ざけないで。
俺の軽率な謝るという言葉が、どれだけ一瞬で彼女を傷つけたのか、俺は気づかないまま。


「だから、それだけじゃないよ」


静かに、しかしはっきりと彼女は俺に言った。
俺は呆然と、黒い彼女の瞳を見つめることしか出来なかった。そして気づいた。彼女の肩が震えていたことを。俺は、そこまで、恐怖心を植え付けてしまったのだ。


「言ってくれねえと分からねえよ」
「言ってくれって何を?」


彼女は喉を震わせて俺を見つめた。その瞳はゆらゆらと波のように揺れていた。
恐怖心でなかった。怒りだった。


「何を、って」
「あなたが私にキスしたこと?そんなことどうでもいいんでしょう?」


彼女は段々と声が硬く、俺をみやる。
俺は咎めるように口調が尖る。


「どうでもいいことなわけ、」
「そうだよ!わたしはどうでもいいことじゃなかったよ。でも、怪盗さんにとっては些細なことだったじゃない」
「は?何を言ってんだよ」
「もう疲れたの。勝手に一喜一憂する自分に。勝手に浮かれて、勝手に特別な存在だって思い込んで、そんなことなかったって現実突きつけられて」


彼女が何を言っているのか分からなかった。いつもなら迸るように出てくる言葉が、何も出てこない。
彼女は瞳から涙を溢れさせて、それを頬につたらせていた。
何度も、彼女の泣き顔は見てきたけれども、酷く苦しくて、酷く綺麗で、俺は何も出来ない。
この涙に、俺は何も出来ない。
ただひたすらに、感情を顕にしてぶつけてくる彼女を、俺は、初めて見たのだ。
そっと、無意識に彼女の頬に手を伸ばしていた。
その手を、彼女は払い除けた。


「触らないで」


思ってもみなかった行動に呆然とした。
した本人自身も驚いているようだった。


「もうやだ。辛いの。好きでもない相手にそんなことしないで」


彼女は声を震わせて、俺を見た。


「な、にを言って」
「あなたが蘭ちゃんにキスしたとこを見たの」


一瞬、なんの事だか分からなかった。
それくらい、俺にとっては些末なことだった。
その感覚こそが、彼女を傷つけていた。


「いや、あれは何もしてない!」
「別にしててもいい。そんなに否定しなくたっていいよ」
「違うから、」
「あなたは怪盗さんだもの。神出鬼没で大胆不敵な紳士の怪盗だもの」


スキンシップのひとつなんでしょう?なんて、全く思ってないような顔で歪ませて笑った。


「でも私はそうじゃない」


俺だってそうだ。キスをしたのはなまえが初めてだ。それを言えればいいのに。
そう、いえば良かったのに。


「私は、抱きしめられたら緊張するし、話すだけでも緊張するの!」


ちりちりと脳内が焦げる。
彼女はへらりと不器用に笑って俺を見た。
その目は潤んでぼやけたまま俺の方を見ていた。


「黒羽くんからキスをされれば、思い上がるの」


どこか諦めたような声で言った。
俺は全ての物音が消えた。

俺の聞き間違いではないか。
歓喜の雄叫びを上げたいのに、俺が心の底から叫ぶことが出来ないのは、彼女が泣いているからなのか、それとも俺を前にして呼んだ呼び名の問題なのか。


「な、にを言って、私は、」


怪盗ですよ、という言葉は喉に消えた。俺の乾ききった掠れた声に彼女は自分の言葉に気づいたらしい。
はっと、息を飲んで両手で自分の口を塞ぐ。
その仕草が何よりも、彼女の言い間違いではないことを表していた。
彼女は、俺の事を知っていたのだ。
さあ、と白くなっていく彼女の顔と、俺の顔はどちらが白かったろう。


「いつから、」
「ごめんなさい、私が勘違いしただけで違うの」


彼女は俺の言葉を遮るように、早口で捲し立てて俺から目を逸らして後ろに向いた。


「ごめん、今日は帰って」


そう背中越しに震えた声が聞こえて、そのまま彼女は硝子の中に消えようとする。その手をぱしりと取って引っ張った。
彼女はその手を振りほどこうとする。


「おい、待てって」
「離して!」


俺は焦っていた。何もかもに焦っていた。
言葉を吐き出した途端、彼女が向いている方向の奥の扉から音がする。
ぴくり、と、一瞬手が緩んだ先に、彼女はするりと俺の手から逃れてしまう。


「おい、どうした?なんかあったのか?」


ノックと、若い男の声がした。


「大丈夫だから!」


そう奥に叫んで、彼女は硝子の中に入ってしまう。我に返り手を伸ばそうとしても、もう遅かった。


「おい、」


硝子が閉められ、鍵がかけられる。
彼女はちらり、と呆然とたった俺の方をみて、口を開いた。
ざっと引かれた分厚いカーテンでそれはすぐに見えなくなる。
俺は何も言えなかった。いくらでも、鍵を開けようと思えば開けられる。だが、何も分からないまま、あからさまな拒絶だけが事実として落ちていた。

ごめんなさい、と口を開いた、何に謝っているのかすらも分からない彼女の歪んだ顔が網膜に焼き付いて動けなかった。


20190901
title by メルヘン
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