その後の記憶をあまり覚えていない。 気づいたらまた喫煙室の中にいた。 蘭ちゃんに顔赤いけど大丈夫?と言われて、慌てて誤魔化したことで正気に戻った。
なんなんだ、今のはなんだったんだ。 え、あれはキスというやつでは、? 頭の中がヒートオーバー、混乱しか生まない。 ぼんやりと空を見つめる。 彼は本当に馬鹿だ。 それを嬉しく思ってしまう私はもっと馬鹿だ。 ぎゅっと赤くなった左腕を掴む。気づけば二の腕まで広がり、肩ほどまで赤みが広がっていた。確実に私は感染しているのだろう。 彼は、何故、私に接触したのだろう。 何故、私を抱きしめて、何故、私にキスしたんだろう。 ぼわり、と顔が熱くなる。 初めてのキスが、好きな人。 なんて幸せな事なんだろう。 もうすぐ死ぬかもしれないのに。
彼が感染していなければいい。 ただそれだけ。 それだけだ。 ぐちゃぐちゃになる心。 幸福と混乱と、祈り。
私は思い上がってもいいのだろうか。
頭がテトリスのゲームオーバーを何度も繰り返しているあいだに、私たちが知らぬ間に問題は解決していたらしい。私たちの感染症はただの漆によるかぶれだと発覚した。私は他の人と比べて酷かったが、体質やその時の体調によるらしかった。それでも暫くしたら綺麗になくなるそうなので一先ず安心である。 安堵で全ての力が抜けそうになる。彼に移していなくてよかった。自分が生きていてよかった。彼も生きていてくれる。その想いだけがぐるぐるとまわる。 これで全てが終わりになると思ったら、そうは問屋が卸さず、また拘束されたり、飛行船が縦になったり大変なことが起きた。これまでにもたくさん大変な事件は怒ったけれど、今回が1番盛り沢山なのではないだろうか。 身動きが取れない私たちを、どこにいたのか分からない怪盗さんが縄を外してくれる。私には目も合わせずに、蘭ちゃんの縄を外していった。いつものように飄々とした口調で、マントを翻し立ち去った。まるで先程のことが幻のようだった。私の頭は警鐘音が鳴る。蘭ちゃんの表情もまた、他人を見る顔ではなかったから。
嫌な予感がした。 結果的には、私の直感は当たっていた。
気づいたら蘭ちゃんが消えていて、私も気づいたら走り出していた。
怪盗さんがいるとしたら、宝石の場所。 それだけは確かだった。 逸る気持ちを背に、屋上へとエレベーターで上がっていく。 彼なら、蘭ちゃんが正体に気づいていたとしても、上手く躱してくれるはずだ。 きっとそうだ。 あおちゃんにさえ、言っていないんだもの。 他人が容易に知っていい事実ではないはずだ。 他人なら。
無限にも思えたエレベーターがやっと屋上に着く。 慌てて駆け出して視界に入った光景は。
呆然と、私一人だけ佇む。 遥か向こうの視界には、月の光に照らされて重なる二人の影が見えた。 私はただの、傍観者でしかなかった。 ぐるぐるとまわっていた感情は、ぴしりと凍りついていく。 現実は、とても単純で、私の無様にあがった感情は氷点下に沈んでいく。 私の、思い違いだったのだ。 あの口付けだって、命をかけたような行動なんて、彼にとっては取るに足らない。 彼にとって、なんてことない、私なんて、ただの。
ただの、なに?
彼の表情はよくわからない。 あまりにも綺麗だった。 二人が重なる影は酷な程にお似合いだった。 視界がだんだんと層に折り重なる。 私の背後でエレベーターがチリンと鳴る音がした。 これ以上は、見てられなかった。
「あのやろっ!」
コナンくんが足元で毒づいた声が辛うじて聞こえた。 駆け出す彼が視界に入る。園子ちゃんが近くに来た気がした。 もう、十分だ。
「……そっか」
私が無意識に放った言葉は、誰にも聞き取られることなく、空に消えた。 彼らと入れ替わるように背を向ける。 エレベーターに向かう私を、後ろから不思議そうに呼び止めた園子ちゃんの声が遠くに聞こえた。 その時の私には、その声に応える余裕はなかった。 明るい塊のエレベーターに一人乗り込んで、扉を閉める。
もう限界だった。 溢れ出した涙はとめどない。 醜く顔をつたい、首をつたい、濡れていく。 嗚咽を押さえつけるせいで喉は掠れるように痛い。 手で乱暴に拭いた肌は引き攣る。
涙よ止まって。 この後だって、皆と顔を合わせなくちゃいけないんだから。 私はエレベーターの壁に凭れてずるずるとしゃがみこんでしまう。
最低だ。 キスまでしておいて、彼にとってはどうでもよかったことなのだ。 最低だ。 彼の傍にいられるのは、私なんかじゃなかった。 最低だ。 私の悲しみも寂しさも盗んでくれるんじゃなかったの。
無様に浮かれた私が酷く滑稽だった。 酷く心臓が痛い。
こんなことなら、好きにならなければよかった。
勝手に傷ついて、彼を責めている私が1番最低だ。
もうたくさんだ。 もう、すべてを終わりにしたい。 さようなら、私、さようなら、彼を好きな私。
20190625 title by 花畑心中
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