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馬鹿馬鹿しく他人のことを気にしている余裕がないくらいに、怒涛に出来事が起こってしまった。
殺人バクテリアにハイジャック。怪盗さんのおかげで警察の人ははたくさん乗っていたはずなのに、それでも強行してしまう犯人達は余程自信があるのか。
まず藤岡さんが感染した。その後に女性のスタッフさん。
思わず藤岡さんに触られたところに手をやった。まだ赤くなってはないが、どことなくヒリヒリ感じるのは気のせいか。
今日のワイドショーで感染経路は飛沫感染だと言っていた。殆ど話していないけれど、不安だけが残る。いざと言う時は。自分自身の体調もくしゃみだけだったものが、少しだけ咳も出てきていた。
私は皆から分からないように一歩離れる。





コナンくんたちの姿が見えなかったから、上手く裏でやっているのだと思っていたら、余計な一言のおかげで白昼に連れ戻されてしまった。
皆の顰めた顔をものともせずにテロリストは威圧するし、コナンくんも自分の小さな体を忘れたように対等に声を煽る。やりすぎじゃないかと、多分誰もが思った途端、窓から放り投げられた。
思わずひゅっと心臓が縮んだ。
一瞬の遅れが全てを悟る。
足が一歩出ても、隣の蘭ちゃんはその先に出ていて、そしてそのさらに先を行っていたのが、スタッフの男の人だった。
窓からそのまま飛び降りていってしまう彼らを、見つめることしか出来なくて、その小さな小さな姿が、一緒になって、白い鳥になるのを見て、やっと息の存在を知った。
良かった。本当によかった。そして怪盗さんがいなかったらと思うと本当に怖くなった。
新一くんにはもうちょっと反省をしてもらわないと困る。
怪盗さんがいてくれて本当によかった。
段々と安堵する気持ちがじわじわと浸食していくうちに、一つのことに気づいてしまう。
彼は、数少ない男性のスタッフさんに紛れていた。蘭ちゃんがランチの時に見つめていて、園子ちゃんに指摘されていた時の人だった。
蘭ちゃんはあの人が怪盗さんだと知っていたのだ。
愕然とした。
またもやもやと心臓が灰色になる。
当たり前のことなのに、私が知らない怪盗さんを目の当たりにする度、私は馬鹿みたいに軋んでしまう。







「なあ、名探偵」
「なんだよ」
「なまえが喫煙所入ったかどうか知ってるか」
「んなこた知るわけねーだろ。なんでだよ」


警視庁のヘリを待つ間、二度目の工藤新一に扮してぼんやりと待っていた時だった。


「あいつずっと浮かない顔してんだよな」


特に藤岡さんが感染した時だった。皆だって多少の恐怖から後ずさったり、表情が強ばったりするが、彼女のそれは少しだけ違和感があったのだ。


「藤岡さんに触られたとかか」
「それはセクハラだろ」
「キッドも大概セクハラしてんじゃねーか」
「俺は怪盗紳士だからいいの」
「それは加害者の言い訳だからな。とにかく気をつけて見てみるけど、今はどうしようも出来ないしな」
「……そーだな」


そう言うと、隣にいた名探偵が不思議な顔をしてこちらを見た。


「なんだよ」
「いや、そんな顔もできんだなと思って」
「どんな顔だよ」
「あ、来た」
「すぐ話逸らす」










どれくらい経ったろうか。気づいた時には発疹が腕全体に薄く広がっていて、もう駄目だと、自己申告すれば喫煙所に放り込まれた。
痒みはどんどん腕全体に広がって、薄かったピンク色はどんどん濃く赤みを帯びてきていた。
喫煙所の椅子に座りながらぼんやりとする。
最初からいた水上さんはずっと五月蝿くて、泣いたり叫んだり歩き回ったりして自分の潔白を訴えていたけれど、外に人はいないようで鍵はかかっているし、疲れたのか隅に座り込んで頭を抱えていた。
その後しばらくして、蘭ちゃんも連れられてきた。その時を見計らって突然ドアに突進していった水上さんが怖かったけど、あっさりとテロリストの人に弾き飛ばされていた。連れられてきた蘭ちゃんは、自分がどんな状況か知っているはずなのに、私の顔を見て笑ってくれて、何も諦めてないような強い意志を持った瞳をしていた。

私はぼんやりと座っていた。
何も実感はわかなかった。くしゃみもするし咳もする。それはいつもの花粉症のような軽い風邪のようなもので、これ以上体の内面から悪くなる気配も今はしない。発疹だけが、痛々しく今や触られたところ以外の部分にまで浸食していた。

呆気なく、自分が理解しないまま死んでしまうのだろうか。
そのことが怖かった。
何も分からないまま死ぬことが怖かった。
家族に会ったのも朝が最後になるのだろうか。あまりにもありきたりな日だった。お兄ちゃんなんて全然最近会えてないし。ゲーム借りて返してないし。
友達にだってテスト期間始まる前にカラオケ行こうって誘ったばかりだったのに。まだ出てない新刊。完結するまで死ねないと思ってた本のシリーズ。行ってみたいと思っていた場所、国。高校卒業して、なんとなく大学行きたいなとか思ってたのに。私はこんな年で死ぬんだろうか。
致死率80パーセントって実質死ぬってことだよな。
死ぬのかな。
嫌だなあ。
涙は出てこなかった。こんなところで泣きたくないと思っているのかもしれなかった。
こんなことになるなら、ちゃんといえば良かった。
こんなことになったから、後先考えずに言えるのかもしれないけど。
あおちゃんが、とか、蘭ちゃんが、とか。
いつも、言い訳ばかりしていた。
いつも、自分のことばかりで、自分を守ることに必死で、逃げていた。
言っておけばよかった。
何度も言える時があったはずだ。
たった一言、
彼が誰なのかとか、あの人が誰なのかとか、
関係なかったのだ。
あの人は、あの人なのだから。
彼が何をしていようと、何を求めていようと、私に何も、言えなかろうと。
私の前から、消えてしまうとしても。
私は、
あなたを、あなた自身を、


がちゃりと鍵の音がした。
皆がドアを注視する。流石に水上さんは逃げ出す気力も失ったらしい。
今度は何かと身構えたら、ガスマスクをしたスタッフの人だった。マスクで顔がよく見えない。
くぐもった声で言った。


「テロリストの方々が、みょーじさんを連れてこいと」
「……私?」
「はい」


皆が私を見つめていたが、戸惑う心は同じだった。今更私が出て行ったところで感染拡大を促したとしても、自分にメリットが生まれる訳が無い。
それでも、行かねばならないのだろう。このテロリスト達は容赦なく人を切り捨てると、コナンくんの時に身にしみて分かったはずだ。
他の人に迷惑をかけない為にも、指示に従う他ない。
返事をして彼の後に続いて部屋をでる。かちり、と鍵を閉めた。私はぼんやりとこれから何を要求されるのだろうと思っていた。
ついて歩きだそうと思ったら、そのまま手を強くひかれて横の壁の間の小さな隙間に引きずり込まれた。すぐには見つかることの無い死角だった。
何が起こったか分からなくて目を白黒させていると、目の前の男は私の方を振り向いてガスマスクをしている顔に手をやったと思った瞬間、一瞬で全ての装いが変わる。
真っ白で、不可思議な、いつもの、彼。


「な、んで!」


思わず口走った私が咄嗟にとった行動はすぐに離れようとしたことだった。片手で手を覆い、もう一方の手は伸ばして跳ね除けようとした。
その手を呆気なく抑えて、逆に腕を引かれてしまう。あっさりと体は彼の中に包み込まれてしまった。
なんとかして逃げ出そうと思っても、凄い力でびくともしない。


「お願い、ねえ、離して、!」


彼に移すわけにいかなかった。お願いだから離して欲しかった。そんな気持ちなど全然届かなくて、必死に体を離そうとしても叩いても彼はてこでも動かなくて、寧ろ更に強い力で抱きしめられてしまう。
泣きそうだった。


「ねえ、お願いだから、近づかないで、」


最後は懇願だった。
強くても優しい体に泣きそうだった。
全てを投げ打って縋りついてしまいそうだった。
頭をきつく肩に埋められて、彼の顔は見えなかった。


「離してなんかやらねえよ」
「なんで、!」
「おまえを1人になんかさせるかよ」


ぎゅうぎゅうと強く抱きしめられている中で、彼の声が耳元で囁く。彼自身もまた、懇願するように、縋り付くように聞こえて、私は一瞬息を止めた。


「そん、なだって、私、巻き込みたくない」
「馬鹿だな、言ったろ?」


彼は、やっと力を緩めて埋まっていた私の顔を上げて目線を合わす。
酷い顔をしていたと思う。
彼の顔はモノクルに隠れて見えないけれども、半分見える綺麗な顔は、もう、彼にしか見えなくて。
酷く優しく片瞳が微笑むから、私は見つめることしか出来ない。
声音が変わる。
魔法が囁く。


「あなたの苦しみも、寂しさも、私が盗んであげましょう」


目を瞬かせる。あの時の、言葉。


「あなたを一人になんかさせない。どこにいたって、いつだって、私はあなたの傍にいますよ」


ひたすらに優しい声だった。慈愛に満ちていた。
頬に純白の手が添えられた。


「だから、安心してください」


にかり、と口角があがる。
声音が変わる。


「ずっと、一緒だぜ」


またぎゅっと引き寄せられ、今度は私の肩に彼の顔が埋められる。
私は涙が溢れていた。
それが、何を意味するかなんて、分かっていた。
それでも、そう言ってくれる事実に嬉しさを殺すことは出来なかった。
きつく抱きしめられたまま、速い心臓が互いに重なる。


「ねえ、」


もう、ここしかないと思った。
顔をあげ、彼を見つめる。
片瞳だけが、私を見つめる。
口をはくはくと、開いた時だった。
彼に伝えるのは、ここしかないと思ったから。

口を開いた途端、視界が真っ白になる。
目を見開いたまま、知らぬ間に首の後ろに手をやられて、彼の顔が触れる程に近い。
程どころではない。
唇に柔らかい、
何が起こったのかわからなかった。
あまりにも優しく、あまりにも柔らかく、呆気なかった。

触れたと思った途端、一瞬で顔は遠ざかる。
彼の瞳は何を考えているのかわからなかった。
綺麗に口角を上げた。
綺麗な薄い唇だった。
ちりちりと脳内が爆ぜる。
彼は私の唇に今度は綺麗な人差し指を当てる。

何も言わせなかった。
彼の瞳は何を考えているのか、わからなかった。
きらきらとした宝石のように波打っていた。
綺麗だった。
ただただ綺麗だった。
わかったことは。
私には何も言葉を言わせてはくれなかったこと。
口付けを、私に与えたこと。






暗転。
20190430
title by リラン
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