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いつの間にか消えていた工藤くん、もとい怪盗さんは今回は何しに来たのだろうか。同様に劇場から消えていた本物の新一くんは何故か数駅離れた場所から電話をかけてきた。大変ご立腹だった。また出し抜かれたらしい。


「あいつに今度あんなことしたら助けてやんねえって言っといて」


辟易した口調でそう言い置いていった彼にも、思うことはあったらしい。
二人の関係性は相も変わらず不思議だ。
家に帰ったあと、少しだけ涼しくなった夜の外、お風呂上がりに風に当たるためにベランダに出ていた。半分は彼を待っていた。すると案の定、怪盗さんは時を見計らったかのようにするすると舞い降りた。白い羽は月の光に照らされて黒く塗り潰された。


「お前、いいもん持ってるな」
「暑いんだもん」


お風呂上がりのご褒美として、ソーダの缶を持っていた。ぷしゅりとプルタブを開けてちびちびと舌を刺激させながら飲む。いつも飲んでいるわけではない。時々だからいいのだ。


「怪盗さんはさ、夏でもその格好で暑くないの」
「暑いに決まってんだろ」


きちりとした白の正装に白の手袋をつけた手をぱたぱたと申し訳程度に仰いだ。


「……ジュース、飲む?」


ちょっと、思い切って差し出してみる。横で手すりに座っている彼の手袋の上に缶を置いた。
ちらりと目をやって、逸らした。


「……毒味済みだよ」
「……そこまで言うなら飲んでやらんこともねえ」
「やなやつ」


互いに笑っていた。


「北海道行きてえ」
「藪から棒に。涼しいから?」
「そう」
「そういえば、もしかしたら行くかも」
「また鈴木財閥?」
「いや、今回は違うと思う」


今夜の舞台の主演女優は樹里さんという人らしい。その人が皆を招待していた。蘭ちゃんのお父さんに対する御礼らしく、全て宿泊費交通費が無料らしい。世界が違う。


「羨ましい」


そうぶつぶつと拗ねる彼を見ていたら、面白くて笑ってしまった。それに、何笑ってんだよと、じとりと目線をこちらに向ける。


「だって、世知辛くて」


神出鬼没で変幻自在と謳われる怪盗さんが、無料でいける北海道旅行を羨んでいる。人間だとわかっているけれど、世界が違う人だと、どこか夢のような空間の人だったから、同じ立場で感情を発露させるのが興味深かった。


「怪盗さんも人間なんだね」
「当たり前だろ」


俺をなんだと思ってたんだよ、と未だ片手をぱたぱたさせながら、もう片方の手には缶の銀色が光を集めていた。

そうだ、人間なのだ。月を背にして空を飛び、白い翼をはためかせている、義賊でもない世紀の大泥棒であるのに、ファンも多い怪盗さん。煌びやかな世界を魅せてくれる、奇術師。謎に包まれて軽々と世界を舞っている、白き罪人。その翼はとても柔く、自由に見える。だが、もしかしたら、その翼は脆く、枷なのかもしれない。
況してや私は、彼を知ってしまった。何も知らない他人ではない。彼なのだ。私と同じ、高校生なのだ。それが子供と大人という意味ではなく、私の生きる狭い世界の中に存在している人だったから、どこか信じられなくて、未だ夢かと錯覚する。私の同級生が、好きな人が、誰もが知っている大怪盗なのだ。くらくらする。
そして今更気づいてしまった。何故私は気づかなかったのだろう。警察に捕まってしまうという危険性も、罪人という危険性も勿論ある。そして、当然のように、それには命の危険も伴うということを。
前の大阪の時もそうだったじゃないか。実際に銃に狙われていた。あの時の感情は忘れることはないだろう。でも、あの時は彼が私にとって何者であるか知らなかった。もし、今目の前にいる彼を喪えば。


「……どうした」


思わず、隣にいる彼の腕を掴んでしまった。さらりとした白の素材は瞬く間に私の手からすり抜けていってしまいそうだった。


「気を、つけてね」
「どうしたんだよ、急に」


彼は私の雰囲気に戸惑ったのを隠すかのように、からからと笑っていた。
喉は様々な言葉を浮かばせるのに、炭酸水のように抜けていく。


「心配、させないで、って、話」


口は重く、喉は狭く、心臓は痛い。
何も言えない、言ってはいけない、その境界線はとても難しい。

彼は、そんな私を見て何を思ったのか。
私の掴んだ手からするりと抜けてしまう。そして彼の手は私の手持ち無沙汰になった手を取った。


「お嬢さん、私は怪盗ですよ?」


一瞬にして空気が変わる。
彼が誰なのかわからなくなる。
シルクハットを目深に被り、こちらに目を合わせている筈なのに表情は読み取れない。いつの間にか缶はなくて、もう片方の手が頬に軽く近づけられた。それでも私は彼から目を離すことは出来なかった。近い距離だけが、彼が消えないただ一つの証明のようだった。


「それが貴女の悲しみなら、私はそれを望まない」


言外に、心を揺らすなと、境界線を引き直された気がした。


「貴女は、時として眩しすぎる」


ふわりと微笑まれた。
柔らかく取られた彼の手の温度を、私が知ることは無いのだろう。
もう何も言えなかった。
数多の言葉は喉から消えた。


「それではまた、いつかの柔らかく照らす月の下で」


瞬きをしたら、彼はもう、消えていた。



20170519
title by 降伏
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