「目が重い、体だるい、頭いたい」
そう気だるげな声で放ったら、部屋に紙屑みたいにいい加減に転がった。 寝られないと思ったけれど、人間なんだかんだ寝れるものでいつの間にか寝ていたらしい。携帯を見たらもう昼だった。それでも眠いものは眠い。
「なまえー!まだ寝てるのー?」
下からお母さんの遠い声と、掃除機の音が聞こえた。返事を求めていないのんびりした声。
「………とりあえず動くか」
せっかくの土曜日なのに、体も心も何もかも、下向きだった。
朝とも昼とも判別がつかないまま、グラノーラをがさつに器に入れて牛乳をどばどばかけた。テレビを何とはなしにつけたら、お昼のニュース番組をしていた。スプーンで混ぜながら少し置く。政治の収賄疑惑から白い画面に切り替わった。鈴木財閥のおじさん。 がり、とスプーンが底を引っ掻いて心臓が気持ち悪くなる音がした。 どうやら今夜、白い怪盗は鈴木財閥の挑戦状に受けてたったらしい。心なしかそれを伝えているアナウンサーの声が弾んでいる気がした。
文化祭が終わったばかりなのに、彼はもう働いているんだ、なんてそんなことを平然と思うように強がる。働くという言葉すら良くないかもしれないけれど。 私が、昨日と今日、泣きながら、ぶつぶついいながら、諦めながら、八つ当たりしながら、嘆きながら、戸惑いながら、寝ながら、事実だろうことを整理し結論づけたこと。
ひとつ、黒羽くんと怪盗さんは同一人物。 ふたつ、あおちゃんはおそらく知らないだろうということ。 みっつ、私が気づいたことに多分気づいていないだろうということ。 よっつ、彼はその事実を知られたくなくて隠しているということ。
そして、最後。 私は気づいてはいけなかったということ。
夜になった。空は晴れやかで雲がないからこそ、真っ暗に冴え渡り闇が広がる。窓辺に寄り添い、私は残った蒸し暑さに肌を晒していた。
「こんばんは。なまえ嬢」 「こんばんは」
昨日今日と大変だね、黒羽くん、なんて動きそうになる喉を抑えるのに必死だった。思えば、当たり前だったけど、彼はこの姿では私の名前を読んでくれるんだ。耳が痒い。平然と、さも久しぶりかのように話しかける彼に、倒錯しそうだ。
「今日は随分と早いね」 「有難いことにあの坊主が早々と追いかけ回してくれたもんでね……」
うんざり言いながら、もたれかかっている私の横の手すりに器用に腰掛けた。真っ白なマントに真っ白な手袋。シルクハットで隠れた横の髪が少し顔を出していた。それに目を逸らして道路を見下ろす。
「コナンくん?」 「あいつ本当容赦ねえのな!!」
よっぽど今回は酷かったらしい。彼はぐっと腕を伸ばして、盗んだ宝石を空に掲げた。微かに射し込む月の光が透き通った。きらりと、切なげに見つめたその横顔。どこか諦めたような、その顔を私は盗み見た。いつも、彼は空に掲げる。彼の瞳には何が映っているのか。
「何、見てるの」 「え?」 「宝石、いつも、見てるでしょう」
彼はそれを見つめて、いつも、持ち主に返すのだから。
「綺麗だなって、見てるんだよ」
目を伏せて彼はその宝石をどこかにしまった。何かに触れてしまったようだった。私はまた、いけないことをしてしまったのか。もう、何も、分からない。
「そういえば、昨日文化祭だったんだってな」 「え、なんで知ってるの」 「天下の怪盗に知らないことなんてないんですよ、お嬢さん」 「どうせ新一くんにでも聞いたんでしょう」
必死だった。あからさまに話を変えた彼に、気づかないふりをして明るく返すことに、精一杯だった。心は叫ぶ。あなたも昨日文化祭だったんでしょう、って。 朗らかに笑いながら、新一くんのことを肯定して聞いてきた。それは、どこまでも世間話で。私は馬鹿みたいに話した。学校のこと、新一くんのこと、クラスの出し物のこと。さも、知らない人に話すみたいに。
「それではまた、月が照らす光の下に」
恭しくお辞儀をして彼は真っ白な背を向けた。一瞬で闇に紛れ、忽然と白は消えた。 私も空に背を向けた。ぐらりと、腰が抜けたようにしゃがみ込む。壁を背に私は夜から逃げる。 散々だった。ざわつき続ける心のまま、私は上手くいつものように過ごしていただろうか。彼は何も変わらないから。私だけが、重心を揺らしている。酷く心臓が痛い。 彼が小さな仕方ない嘘を吐く度、私は喉に傷をつける。笑って、笑って、そして私も嘘を吐く。私の方が性質が悪い。被害者面して傷ついて、私も彼を突き放せずに笑ってこの関係を離せずにいるんだから。 ずっと、私はこれから、黒羽くんと怪盗さんに、嘘を吐き続けていくのだ。 顔を覆って息を飲んだ。
20160523 title by 降伏
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