たたでさえ人が多い廊下は、いつもの制服だけではなく衣装にお客さんの私服にと、カラフルな色がひしめき合う。色酔いしそうだ、と自身も慣れないレースアップのハイヒールを履きながら思った。 看板を持つ黒羽くんのあとを必死でついていく。彼の婦警さん姿は驚くほど似合っていて、化粧も前と同じように殆どしていないのに彼の元来の整った顔立ちを際立たせることにしかならなかった。男の人に無理やり化粧をしているという違和感がない。女の人でさえ嫌がる人もいるハイヒールの歩き方もとても綺麗で、寧ろいつも履いているのではないかと思うほど自然だ。 立て看板を持って宣伝しながら練り歩いた。専ら声を出すのは黒羽くんだが。やはり、コスプレをしているからかお客さんから写真を撮って欲しいと頼まれることがある。その時はいつも、私が困って何かをいう前に、黒羽くんが間に入って上手く対応してくれた。お互いハイヒールを履いているから、目線はいつもと変わらない。私の視界に入る背中にとても安心した。
午前中の持ち時間が終わり、着替えてから私たちは別れた。黒羽くんはメインステージでマジックをするらしい。私はどうしてもそのお昼の時間保健委員の仕事で抜けられない。それを言ったらとても残念そうな顔をしていた。私もとても見たかった。友達にもしできたらビデオをとって欲しい、とこっそり頼んだけれども、体育館に集まる人の多さからみてうまく撮れるかは分からなかった。
思った以上に呆気なく終わった。2回目の学校祭は呆気なく。滑らかに片付けにシフトして、飾り立てた校舎は一つ一つ元に戻されてゆく。 がらんどうとした空き教室、私はなぜか一人色も変わった空間で佇んでいた。 あの言葉に、どれほどの重さがあるのだろう。想像と現実は恐ろしいほどに違った。言われた言葉、受け止めた重み、どれだけ私はきちんと理解しえたのだろう。 突然に呼び出された私は、今思えば、馬鹿みたいに何も考えていなかった。それが、私への告白で、その出来事は私にとって、どこまでも他人事だった。 絞り出した声で、拒絶の言葉を吐いた。その瞬間に私自身が辛くて、辛いと思うことすら許されないのだと気づいた。
相手は体育祭で私の手を引っ張った、江波くんだった。 ずっと前から、好きだったと。
告白をされたら、なんて、女の子が一度は夢みる話だ。空想だ。現実はなんて、甘くないのだろう。夢であるのは自分も好きな相手だったときだけの話で、好意を寄せてもらえるということは、それ相応の責任を負う必要があるのだと。 彼の傷ついた顔を、私は受け止める必要があった。瞳が裂けるようだった。私自身の想いも裂けそうだった。 私と彼は天と地ほどに違う。その重さをぶつけるほどの勇気もなく、今の関係に甘んじている私とは、全然違う。 でも、何もできないと思った。
私には、あの人の言葉を、受け止めることは到底できない。
青子の追走から抜け出し、俺は彼女を探していた。クラスの奴から彼女が呼び出しを受けていたのを聞いた。文化祭の呼び出しなんて、そんなの、用件は決まっている。 いてもたってもいられなくて、教室を見て回る。空き教室、人通りの少ない廊下。オレンジ色が光る床をのっぺらぼうのように舐める。
「いた」
無意識に呟いた。空き教室の教卓近くに、一人で立っていた。他には誰もいなかった。夕日色に染め上がったカーテンが、微かに揺れて教室を波のように染めていた。 ドアに背を向けて立っているから、俺からは表情が見えない。真っ白な夏服さえも、夕日。ぐらぐらと音を立てながら引き戸を開けた。それに気づいて彼女が振り向く。暗く隠れた中で、髪の毛だけがきらきらと細い線が輝く。ふわりと靡いたまま。 俺はそのまま息を飲んだ。曖昧な表情でもわかるほど、彼女の瞳は濡れていた。 何故、呼び出されたはずの彼女が今にも泣きそうになっているのか。何があったのかも、ただの憶測すらぶつけることが出来ず、俺は何も言えなかった。
「みょーじ、」
呟くように私を呼んだ。神様はなんで、こんな時に限って彼と会わせるのだろう。酷い顔をしているのはわかっていた。彼に会って平然を装えるほど、私は余裕が無かった。あの告白というよりも、もう、あなたのせいで余裕が無い私が、何もできるはずがなかった。 ゆっくりと近づく彼に、私は離れなければと思うのに、足は動いてくれなかった。二人だけの教室は驚くほど広くて、ぽっかりとしている。
「マジック、」 「え?」 「マジック、見てなかっただろ」
私と彼は机を挟んで、夕日に当たった。七分にまくり上げられた袖に、いつの間にか白手袋までして、緩みきった瞳をそのままに彼を見ると、悪戯っぽくきらきらと輝いていた。
「それでは、お嬢さん。マジックショーのはじまりだ」
嬉々と言った言葉に、煤けた脳内に何かが掠めた。
きらきらと彼から溢れ出る魔法。真正面から見るのはこれが三度目。その言葉を覚えていたのかいないのか、それともただ、私の今の状態をみて気を遣ってくれたのか。おそらく両方だろう。わざわざここに辿り着くのに、見せるためだけなんて、ありえない。
瞳に映るそれらは、眩しかった。でも脳内のどこかで既視感を覚えた。初めて見るはずのそれらなのに、この感覚は知っていた。どこで、私は経験したのか。ぼやけた脳内でも分かるほど、それをどこかで気づかないふりをしようとも、もうふりすらできないほど明らかだった。
きらきら。
白い手袋。 真っ白な夏服。 影になる、顔。 何度も、みた魔法。 お嬢さん、と呼びなれた声。
もう、言い逃れはできなかった。 頭の中にある現実から。 皮肉なものだった。 初めてきちんと見せてもらったマジックで確信してしまうなんて。
涙が急速に引っ込んでいった。血の気さえも。
「やべっ、みょーじ、こっち!」
ぼんやりと見ていた手がこちらに伸びた。現実に戻れば教室の外から聞こえる急いた足音。 手を引っ張られるままに隠れたのは教卓の下だった。
「快斗ー!!片付け終わってないし委員会から呼び出されてたわよ!!!出てきなさい!!」
大きなあおちゃんの声。狭くてごめんな、という黒羽くんの声が耳を掠めた。狭い狭い教卓の下、呼吸と体温がお互いの熱を伝えていた。いくら秋といっても夏休み明け、半袖真っ盛りのこの時期に密着したまま息を殺すのはじわりと、汗が滲む。彼に頭を抱えられて、視界に入るのは彼のシャツだけ。 それすら。 ぎゅっと目を瞑った。彼は外のあおちゃんに気をとられているらしい。私はただ、顔が隠れていることに心底感謝した。頭はぐるぐると回る。呼吸すら分かるこの空間で、お互いの匂いさえも、質感さえも、伝わり続けるこの空間で、私の頭は走馬灯のように当てはめ続けていた。だって、私は、どれだけあの人に助けられたというのか。不可抗力だといえども、抱きしめられた感触、あの香り、無意識にも人間の脳は覚えているらしい。
よく考えてみれば、欠片は沢山あった。
私の名前を知っていたのも。 あの彼の肩を持つのも。 マジックが上手いのも。 時々、顔にかすり傷を作っているのも。 新一くんにちょっかいをかけるのも。 女顔負けの、姿勢の自然さも。
私が、彼を重ねたのだって。
「……やっとどっか行ったみたいだな」
まだ体勢はそのまま、彼はほっと一息ついたようだった。 私はそれに反応できなかった。 床についた手を強く握った。
ねえ、ごめん。 ごめんね、黒羽くん。 気づいてしまって、ごめん。
20160508 title by メルヘン
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