今日は、体育祭だ。 まだまだ夏の暑さが残る中、休みの期間はすぐに終わり学祭に向けててんてこ舞いの日々を過ごした。
ここの高校は、体育祭文化祭を合わせて江古田祭として、一日目に体育祭、二日目三日目が文化祭となりそれで終了する。 なんとなく普通逆の順序じゃないか、とはちまきを巻いて日焼け止めを塗りながら思う。 照りつける日の下、幾らテントがあるといっても紫外線は容赦なく肌に突き刺さる。
「なまえちゃん、私仕事行ってくるねー」
あおちゃんがそう声をかけてくれてテントを出ていった。それに、いってらっしゃいと声をかける。 体育祭というものは、常に誰かが働いていて出入りが忙しい。私の仕事はまだまだ先だから、今は気楽に応援するだけだ。スポドリをついでに飲んで、私はもといたテントへと着地した。
足をぶらぶらさせながら私は係テントの中で椅子に座っていた。保健委員である私は机に救急箱を置いて待機するのが仕事だ。時々怪我や熱中症の生徒が診てもらうためにくる。私だけではなく、隣には基本的に保健の先生も待機しているので私はお手伝いだ。
「今年は熱中症の子が少なくて良かったわ」 「晴れててもめちゃくちゃ暑いわけじゃないですもんね、今日」
そんなぼんやりした話を砂埃があがる運動場を見ながらしていた。お茶を啜る先生ものんびりしている。
「あ、」 「あら派手にこけたわねえ、あの子」
さして慌てる風でもなく、先生はそれを見ながら救急箱に手を伸ばした。 ちょうど私達の学年の男子の競技だった。相当派手に、漫画みたいに転んだ男子生徒は暫く蹲っていたが立ち上がり、誰かに支えられてこちらの方にやってくる。視界が悪くてよく見えないが、どことなくその状態は怪我だけですんでいないように見えた。
「せんせー!伊藤みてやってよ」 「あらあら酷いわねえ」 「なんか足抉いたっぽい」
伊藤くんに手を貸してきたのは黒羽くんだった。真っ白な体操服が眩しい。伊藤くんは痛がっているが慣れているようで、かばっている足を先生に見せていた。
「本当ねえ。これは捻挫ね」
とりあえず湿布貼って今日はもう安静ね、という先生の言葉に少し悲しそうだ。 湿布を取り出しテープを用意し、わたしは先生があてた湿布の上から固定していく。
「痛くない?」 「ああ。ありがとうみょーじ」 「いえいえ、これが仕事なんで。黒羽くんも」 「っあ、おう」 「手貸してくれてありがとう」 「いや全然これくらい」
そうにかっと笑う彼はいつも通りだった。
「せんせー、お茶欲しいー」 「仕方ないわねえ」
伊藤くんが椅子に座ったまま運動場をみやった。自分のテントにいるよりもこちらのテントにいた方が快適だ。人は少ないし椅子にも座れる。ついでに俺も、と黒羽くんも居座った。
「黒羽くんあと何か競技残ってる?」 「もう最後のリレーだけかな。みょーじは?」 「私はもうないかな」
麦茶をぐい、と私の隣で飲み干した。 黒羽くんは足が早い。体育会系の部活の人たちを制して帰宅部の彼が代表になった。
「リレーかあ」 「、あのさ」 「うん?」
こちらの方をちらりと見たように思って、黒羽くんの方を見たら、もうすでに顔は運動場の方に戻っていて、横顔だけが私の視界に映る。テントの白い影が、それを暗く隠す。
「……応援、してほしいんだけど」 「え?」
彼の言葉に首を傾げた。
「だから、リレーの応援、俺に向けて、してほしい」
私の方を見ない彼の横顔はどこか白く、暗さで瞳の色までは見えない。耳だけが、どことなく日の光を集めて熱を持っているようにみえた。珍しく歯切れの悪い彼に、私までが吃る。
「勿論、そのつもり、だけど」 「そっか。なら、いいんだ」
彼が目を逸らした。最初から私の方を向いていた訳では無いけど、完璧に黒羽くんの瞳は見えなくなった。 一瞬、わざわざ何を言ってるんだろうと思った。同じクラスの、ましてや黒羽くんなのに、私が応援しない訳がない。敢えて私に確認する必要はあったのだろうか。そんな疑問を、私は砂埃に紛れ込ませた。
「リレー、頑張って」 「、おう」
苦し紛れに言った最後の言葉に、やっと彼はこちらを向いて笑ってくれた。
「あら、こちらに走ってくる人がいるわよ」
暑さの篭った空気に、先生の言葉がのんびりと響いた。一気に全ての喧騒が戻ってくる。
そういえば今は借り物競争だっただろうか。学年混合のそれは至るところで入ろんな人が走り回っている。 運動場に視線を戻せば、紙を握りしめて一直線にこちらに走ってくる男子がいた。何かものでも探しているのだろうか。 どんどんこちらに近づいてくる彼は、何故か私の元に走ってきているようなくらい、まっすぐこちらを向いて。
「みょーじ!」 「……へ?」
机を挟んで彼は一直線にこちらまで来た。本当に私の真ん前に。息を切らして肩を上下させている彼の顔は真っ赤だ。
「お願い、来て!」
そう言って手を取られる。近くで見てやっと分かった彼は隣のクラスの男子だった。
「え、ちょっと」
そういいながら私は流れに任せて立たされ机を摺り抜ける。 後ろを振り向くと、先生がにこやかに送り出す傍ら、黒羽くんは驚いたように目をまんまるくさせている。 そりゃあそうだ、本人も驚いてるのだから。
引っ張られるままに、私は視線を前の男子に移して無我夢中に走った。 手はしっかりと握られていた。それだけが私の目印だった。熱くて、強い手だった。
「突然ごめんな」
トラックを半周走り切った後もはあはあと息を切らし続ける私に声をかける。 ああそうだ、彼の名は江波くんだった。
「いいの。私の、体力不足のせいで」 「いや、俺がみょーじのこともっと気にかけるべきだった」 「競争なんだから、それでいいんだよ。寧ろ私の方が足でまといでごめん」 「そんなことないよ。いい順位入れたし」 「なら良かった。そういえばさ、なんて紙に書いてあったの」
大分元に戻ってきた私は、正常な頭で思った。私と江波くんは去年同じクラスメイトだったというくらいでそんな接点はないはず。
「あー、それは」
なんとなく歯切れの悪い彼に違和感だ。 私が選ばれた理由って何なのだろう。隣のクラスの女子、とか去年のクラスの女子、とかそんな条件くらいしか思いつかない。
「あ、もしかして保健委員とか」
ふと頭に浮かんだフレーズが思わず口から出た。でもそれが一番しっくりくる気がする。期待するような瞳で私は彼を見た。
「あ、うん、そんな感じ」 「そっかそっかー。それだとあのテントには確実に誰かはいるからね」
クラスのテント行くより早いよね、と私は自己完結して笑った。それに対する彼の笑みの曖昧さに、私はその時気づかなかった。
動けなかった。 ただただ、呆然として、俺から離れていく彼女の姿を見つめることしか。 手を握られて、しっかりと握られて、違う男に連れられていく。それがたかが競技だといっても、自分に背を向けて、彼女が小さくなっていく姿はとてつもなく心臓に悪かった。 今日はそこそこ暑いのに、自分の頭と心臓は氷で包まれたように衝撃ががつんと胸焼けする。
いつか、いつか彼女は、俺の傍から離れていってしまうのだろうか。
そんな臆病な考えがもたげた。 分かっていたことだ。ずっとずっと昔から、彼女のことが特別になってからその塊は奥深くあって、ただ自分が向き合っていなかっただけなのだ。
そもそも、彼女は俺のものですら、ないのに。
怖くなった。 こんなぬるま湯に居続けられると、どこかで思っていた自分が馬鹿だったのだ。 簡単に彼女はすり抜けていく。 微笑んだ彼女がいつ消えてしまっても、俺は何も言えないのだと、突きつけられた。
20160125 title by 降伏
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