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汗ばむ背中は蒸発することがなくて、一旦かいた汗はひたすらに不快感を生み続ける。首元と腕だけがすうすうと気化する。レモンの匂いと謳われたデオドラントウォーターの独特の冷めた匂いが少しする。少し前には、他の子がつけたラズベリーの甘ったるい匂いが違うところでしていた。
冷房はかかっておらず、窓は全面開けられて、蒸し暑い意味のない風が申し訳程度に吹き込む。匂いはすぐに霧散する。ゆらゆらと揺れるカーテンが陽炎のようだ。


「わざわざこんな日に集まらなくてもよくね?」
「仕方ないでしょ?皆が集まれる日が今日しかなかったんだから」


窓際の誰かの机に座って、下敷きで仰ぎながら白い夏服をぱたぱたと上下させる黒羽くんの声と、近くで何やら紙に記入しているあおちゃんの声がした。


「まじあっちー」


気の抜けた声を発しながら扇ぎ続ける。

夏休み。いつの間にか夏休み。
蒸し暑く外に出るのも億劫になるほどの、ぎらついた太陽の下を通ってわざわざ学校にやってきたのは、夏休み明けにすぐにある文化祭の準備のためだ。

私達のクラスは、よくある王道のコスプレ喫茶。
他のクラスは演劇やらダンスやら、普通に屋台を出したりと様々だ。私達のクラスは有難いことに皆が穏やかで、それでいてきちんとリーダーシップの取れる方々が何人かいるから、その子たちを中心に着々と準備は進んでいっている。


「服どうするー?」
「ある程度はドンキと私物持ち込むわ」


食べ物担当、コスプレ担当、とそれぞれが教室で固まり打ち合わせをしている。実際試作品を持ってきてあるらしくそれを着てみるという話も出ているらしい。
コスプレ喫茶、と聞くと王道すぎるが、少し違うのは性別関係なく、というところだ。
女子が女子のコスプレをして、男子が男子のコスプレをするだけでは面白くない、ということになり、クラスの数人がシャッフルすることになった。全員がシャッフルしなかったのは、似合わない人もいるし、無理強いはさせないという至極優しい皆の総意からである。
少しボーイッシュで男子に負けず劣らずイケメンなノリのいい女の子たち数人が男装をして、面白いことが好きで顔も中性的な男子数人が喜んで(というと誤解がありそうだけど)女装をすることになった。他は普通にコスプレする。

結構な人数が教室にいて、皆が動いているとそりゃあ暑い。
白いシャツをスカートの中に入れると暑いから、外に出してゴムで結んでごまかしたり、夏休みだからといって男子は堂々とだらしなくシャツを出したりしている。普通なら教室は冷房をつけることができるのだが、生憎この1週間、エコウィークとかなんとかいって節電週間らしく、すべての教室が冷房を使うことを禁止されている。どうしてもこの日しか最大人数集まることができず、皆が仕方ないと覚悟して集まったのだ。


「なまえー、シャッフルメンバー1回化粧してみるからこっち来て」
「はーい」


皆が片手に下敷きを持って扇ぎながら返事をする。
私は一応コスプレ班だが、衣装関係はあまり役割がないので化粧担当である。ちなみにあおちゃんはこのクラスの文化祭実行委員だ。
コスプレ班長の元に行って指示を仰ぐ。女子はなれているからいいけれど、男子の方が化粧をしたらどうなるか1回試してみるらしい。


「この紙にやるコスプレメモってあるから、それ見ながら雰囲気でやってみて」
「りょーかいです」


私が担当する男子は3人。他の子も担当しているからまだ楽だ。こんな暑い日に初化粧とか男子も大変だな、と思いながらメモを見た。

おう、最初黒羽くんだ。

黒羽くんは満場一致で女装することになった一人だ。そりゃあ、顔は綺麗だし細いし、本人も乗り気だったし。


「黒羽くん」


いつの間にか近くにいたあおちゃんはいなくなっており、窓から外を眺めながら暑そうに扇ぎ続けている黒羽くんを呼んだ。


「おー、みょーじどうした?」
「1回試しで化粧するんだって」
「へーい」


だいぶ暑さにやられているらしくべたりと座ったまま気だるけに返事をした。
私は荷物を持って黒羽くんが座っている前の席に座り、後ろを向く。驚いたように黒羽くんが下敷きを止めた。


「もしかして、化粧すんのみょーじ?」
「そうだけど」


もしかして嫌なのかな、と黒羽くんの方を見ると戸惑ったように目を泳がせる彼がいた。


「俺自分でっ」
「自分で?」
「いや!なんでもねー!」


手をわたわたとさせる彼が珍しくて思わず首をかしげた。


「あ、私じゃない方がいいかな」
「いや!そういう訳じゃねーから!」


立ち上がりかける私を引っ張って座らせた。思いのほか必死で驚く。


「みょーじがいいから!」


思わず、用意していた手を止めて彼を見る。彼も自分の発言に気づいたようでさらに慌てながら私を見た。


「黒羽くん」
「って、そういう意味じゃなくて!」
「私そんな化粧上手じゃないけど、ふざけたりはしないからそこんとこは安心して」


他の化粧担当の子は若干遊ぶ雰囲気を醸し出していたからそのことなのだろう。実際、チーク真っ赤にしてもいいかな、とうきうきして用意している子もいた。


「普通のメイクだから!」


たぶん大丈夫!と意気込むと、何か消沈したように彼は肩の力を落とした。



ヘアバンドをして、化粧水と下地をつけてもらう。ちゃんとそこは百均で買った新しいヘアバンドだし、化粧水と下地も安いものだけど一応文化祭用にドラッグストアで新しく買ったものだ。
百均で買ったブラシを持って一旦腕を組んだ。
じっと見つめると、相手もぱちくりと目を瞬かせる。改めて見ると本当に黒羽くんって綺麗な顔立ちしてるな。睫毛長いし、肌綺麗だし、綺麗な二重だし。うわ、女子の敵だ、なんて下らないことを考えながら、とりあえずアイシャドウを取り出した。


「ファンデ塗らねーの?」
「黒羽くん肌綺麗だから、あとでチーク入れるだけにする」


透明のラメと、青いシャドウを取り出す。


「目、つむって」


言われたように目を瞑る黒羽くんの顔をブラシを近づける。
机一つ分挟む距離は思いのほか近くて、緊張する。男子じゃなくても、ここまで真正面から他人の化粧をすることもない。
少し頬に左手を添えて右手で引いていく。初めてこんな距離で、頬なんて触れて。

これ、恥ずかしい。

手は震えていないだろうか。たぶん震えているだろう。黒羽くんが目を閉じていて良かった。今の私の顔は、おそらく真っ赤だろうから。


「もう、目開けていいよ」


肩から力を抜いて、ゆっくりと黒羽くんから離れる。まだアイシャドウだけなのに大変だ。初めて化粧をする割には落ち着いている黒羽くんにならって、私も平静を保とうと深呼吸する。


「今度は目伏せて」
「おっけ」
「マスカラ付けるから」


ビューラーを手に持ち、椅子を机にくっつける。
若干伏せるその目が男子に思えなくて、切ない女の人みたいだ。


「もうちょっとこっち寄ってくれる?」
「、こうか?」


顔が前に出されて、顎に私の手が添えられる。
若干、本当に若干だが慣れてきた気がする。黒羽くんのことを、今は人形みたいな綺麗な女の人だと思い込もう。
ビューラーで睫毛を掬う。長いから全然苦労しないで挟むことができる。本当に羨ましい限りだ。


「痛くない?」
「大丈夫」


ゆっくりと力を入れながら丁寧に数回あげていく。
くるりと、女の子みたいなまつげができる。


「ほんと、綺麗な顔してるね」
「……そう言われても嬉しくねえんだけど」


拗ねたように言う黒羽くんとブルーのアイシャドウがアンバランスだ。
少し笑って右目に移る。


「黒羽くんは十分かっこいいよ」


ビューラーで挟みかけた右目の睫毛が少し揺れた。


「っ、お前さ」
「あ、黒羽くんちょっと動かないでね」


じゃないと睫毛抜けちゃう、と言うとおとなしくなった。やっぱり男子でも睫毛は大事なのかな。
あげおわった睫毛にマスカラを塗る。


「今度は目開けてていいよ」
「おう」


マスカラを持っていざ塗ろうと身構えるも、フリーズした。
真正面から目をお互い開けて、しかも睫毛だからさらに近づいて至近距離でのぞき込むなんて。
逃げ出したくなるのをこらえて、仕事なんだからと自分に言い聞かせる。よし、と内心喝を入れて、瞼を左手で若干持ち上げてつけようとする。


「っ、ちょっとタンマ」


つけようとした瞬間、黒羽くんの顔が離れた。
彼の顔を見ると、片手で目元を隠してため息をついている。


「大丈夫?」
「ん、おっけ、たぶん」


もう一度深呼吸をして、黒羽くんの顔が戻ってきた。私も深呼吸をしてマスカラを付ける。綺麗な茶色の瞳をのぞき込もうとしつつ、見ないようにする。吸い込まれてしまいそうに透明だから。睫毛というタンパク質だけに集中しながら塗っていると、黒羽くんが目を動かさずに器用に口を開いた。


「なあ、」
「なに?」
「俺の他にも化粧すんの」
「するよ」


後二人、と言いながら少しだけはみ出た部分を拭って、右目に移ろうと少しだけ重心を移動させた。
左手を固定させて、塗り始めようとしたときまた黒羽くんが口を開く。


「やっぱ、無理」
「え?」


そういった途端、私の右手を掴んで引っ張られる。と同時に立ち上がった黒羽くんはそのまま走り出した。


「え!ちょっとまって!」


手をはなされることもなく、ただただ私も足が動く。
私の言葉に止まることはなく、真っ白な背中を見つめながら教室を飛び出す。


「どこ行くの!」
「いいとこ!」


後ろを振り向いたが足を止めない彼は、夏が似合う爽やかな笑顔を浮かべて言い放った。
人がいない廊下を駆けていく。
窓から見えた空は真っ青で、前を駆ける彼の白さが眩しかった。


20150515
title by メルヘン
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