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新一くんの活躍で、諸々のからくりを突破でき、綺麗な一回り大きな深紅のエッグと、なぜか白鳥さんが持っていたエメラルド色したエッグによって、鮮やかな思い出が浮かび上がった。何十年も前に作られたものなのに、色褪せない素晴らしさがあった。
皆が一様に余韻に浸る中、新一くんだけがどこか納得していないような顔をしていたが、何かに気づいたように突如焦ったようになった。


「危ない!」


新一くんが叫んで、懐中電灯を投げつける。その方向には蘭ちゃんのお父さんがいて、避けて倒れ込むと同時に、数秒までおじさんの顔があったところを何か耳障りな音がして通り過ぎた。

何が起きたのかわからないまま新一くんを見るも、おじさんの怒号が聞こえていないかのように彼が見ている方向には蘭ちゃんがいて。


「拾うな!蘭!!」


切羽詰った声。
懐中電灯を拾おうとする蘭ちゃんが振り向くと、白い肌に人工的な赤い点が見えた。


「蘭ちゃん!」


何も知らない私でも、とてつもなく嫌な予感がして叫んだ。

新一くんが走って、起き上がろうとする蘭ちゃんを倒す。
ひゅん、と再び音がして何かが過ぎ去る。


「皆伏せろ!」


コナンくんの鋭い声に、無意識に体が反応する、と同時に誰かに腕を引っ張られた。
ぐい、と強い力で引き寄せられ、受け止められながら下に伏せられる。
床と寸でのところで止められ背中に腕が回されていた。抱きしめられるように私は床を背にして顔はスーツに密着する。


「静かに」


片方の腕でバランスを取りながら、私の上に覆い被さる白鳥さんの横顔が近くにあった。
皆が驚いて逃げ惑う中、からんと何かが転がる音がして、新一くんが逃がすか!と叫んで追い始める。


「コナンくん!」


蘭ちゃんが呼び止める声がする。
私を静かに床におろして、あっさりと離れた白鳥さんはおじさんに皆のことを託して新一くんを追った。


「……なんで、」


何がなんだかわからないくせに、ただ頭にあるのは、これほどまでに彼と距離が近づいたのは初めてのはずなのに、その力は、その優しさは、その微かな匂いは、見知ったものに思えてならなかった。








土砂降りの雨が降る中で、傘も刺さずに立っていると当たり前のように青色の制服は濡れて前髪から雫が滴る。


「……なまえに顔出しとけよ」


渋々と言い放った名探偵の声に少し鼻で笑った。


「珍しく素直じゃねえか」
「うっせえな」


ぶっきらぼうな声に、俺は何も言わない。背中を向けたまま鳩を留め続ける俺に、眉を潜めた声で言った。


「まさか何も言わねえつもりじゃねえだろうな」
「さあね」
「てめえ、」
「あいつは、心配してない、って言ったんだ」


腕を上げてその上にも鳩がとまる。
廊下を歩く道すがら、前を向いたまま淡々と言った彼女の横顔が忘れられなかった。
彼女には彼女なりの、キッドに対しての感情を持っているのはわかったけれども、それがなんなのか掴めなかった。

怖かった。
跪いて焦がれたあの夜から、再び会うことが。

タイミングが悪かった。彼女が俺から離れようとして、俺が辛うじて引き止めて、そのあとのこれだ。いないことが別段彼女にとってマイナスではなく、むしろプラスに捉えられてしまったら。

今度こそ、俺は遠ざけられる。


「お前は馬鹿か」
「は?」
「下らねーこと考えてる暇あるんならさっさと俺の前から姿を消しやがれ」


酷い捨て台詞を吐かれる。
後ろから名探偵の幼馴染の声が聞こえた。
ぱちんと指を鳴らして、鳩に紛れて消えた。



見慣れた風景。物音一つさせずにベランダに降り立つ。相変わらず雨は降り続け、濡れた白いスーツは色は変わらなくても重く肌にのしかかる。ベランダに屋根がついているといっても、斜めに降り注ぐ雨に大して効果はなかった。掠れたモノクル越しに見えるのは、カーテンが引かれた窓。
どうしようか。窓を叩いてもいいが、わざわざそこまでして彼女に会うほど、今の俺は強くなかった。意味の成さない手袋を嵌めた手を、窓に伸ばして下ろす。
時間は真夜中に近くて、今日の出来事を考えれば疲れて寝ていてもなんらおかしくない。そんな彼女を起こすのも、といくらでも開けられる鍵に対する言い訳をつらつらと考えた。
その間にも濡れていく自分。それに比例してますます感情が重くなっていくようだった。

すると、突然カチリと音がする。新緑色のカーテンが開けられ白いレースだけになる。
あまりにも突然で、ぼやけた右目と相まって何も動けなかった。
滑らかに窓が開けられ、明らかになった場所には彼女が真ん前に立っていて。
俺に負けず劣らず、彼女も固まっていて目を見開いていた。
白のレースが風になびき、部屋へ雫を誘い込む。ぱたぱたと彼女の顔に雨が当たる。


「お嬢さん、」


ただ出てきた言葉は当たり障りのない、呼びかけるだけの単語。
瞳を見開いたままの彼女は、掠れた声で呟いた。


「キッド、」


開けた窓にかけたままの手をぎゅっと握ったと思うと、離して濡れることも厭わず一歩足を踏み出す。近くまで来た俺の顔を、眉根を寄せて見つめる。姿を隠していた間、険しい顔なんて見たことがなくて、強いその黒に俺は目を逸らすことが出来なかった。


「……ほんとに、キッド?」
「ええ」
「生きてるの」
「はい」


確信か疑問か、憤りか。
ないまぜになった複雑な声に、俺はただ最低限の言葉を発する。

する、と雨ではない雫が彼女の顔を伝った。それを皮切りに雨と混ざって滴っていく。


「よかった、」
「え?」
「本当に、よかった……っ」


そう言ってしゃがみこんだ。頭を垂れて顕になった綺麗な髪の毛に雨が降り注ぐ。
頭がついていかないまま、今の光景が信じられないまま、ただ自身もしゃがみこんで膝をつき彼女を隠す。
お互いにどうしようもなく濡れていく。
背中を震わせて顔を隠し続けるその手を、静かに取り払った。それでも下を向いたまま、俺の方を見ようとしない。


「なまえ」


雨に霞んでしまうくらい、掠れた声で彼女を呼んだ。
顔を上げさせようとしても、嫌だというように首を振る。それに合わせてまた雫が滴った。薄い彼女のTシャツが濡れていく。まっさらな白い細い腕を握る。冷たい。


「なまえ」


もう一度、名前を呼んだ。この姿でしか、呼んだことのない名前。
お願いだから、俺を見て。
震えたままの彼女の手をしっかり握って頭を撫でる。濡れた手袋が鬱陶しい。
すると、ゆっくりと彼女の顔が上がった。互いに視界が悪い状態で、それでも至近距離の彼女の顔は、雨かどうか判別がつかなくても、瞳は確かに赤くて、すぐに伏せた瞼がうち震える。

ざーざーと、雨が降る。

頭が真っ白になる。
ただ彼女の手を引っ張って後頭部に手を回し、自分の胸に押し付けた。彼女の体勢が崩れて膝をつく。固まった体も、離す気がないと伝わったのか、手を巻き込んだまま抱きしめたせいで彼女は手を俺の肩にかけた。
いまだしゃくりあげる体を強く抱きしめる。


「ごめんな」
「謝ることじゃないでしょう」


背中を摩ろうとしても、濡れた手袋のまま彼女に触るのは躊躇われて、見えないようにさらりと素手に戻る。若干湿った自分の手も、外さないよりはましだろうと。
震える声で紡がれたそれは、突き放すようでいて愛おしい。


「泣かないでください」


雨か、彼女の涙か、自身の肩を濡らしていく。その感覚すらないけれど、震えて置かれたその手が温かい。


「泣いてなんかいない」


嗚咽混じりに抵抗した声は、熱く息を吐き出す。


「そうですね」


頭を彼女の頭にもたげて、俺はそっと背中を撫ぜる。不規則に跳ね続ける背中は細い。


「白鳥刑事に化けてたの」
「わかってたんですか」
「……初めて会った気がしなかったから」


彼女の言葉に目を見開く。ふっと口角があがった。確かに異様に彼女にかまっていたのは自覚しているが、彼女にとっても初対面だったからわからないだろうと高を括っていた。


「……心配してなかったんじゃねえの」


口調を戻せば、自分の感情さえも滲むような気がする。


「あ……ってことは」
「大切な、マジシャンなのに、か?」


からかうように言ってみたら、腕の中でじたばたと暴れようとする。赤ちゃんを宥めるようによしよしと背中をさすれば、ばたん、と肩を叩かれて静かになる。


「心配なんか、してない」


泣きながら言われるその言葉に、説得力なんて皆無だ。抱きしめていても、彼女は頑なに全てを預けきることなんてしなくて、どこか一線境界を引かれている。


「そっか」


それでもいい。今は、それで。
全てを預けきらなくても、全てを拒絶しない、腕の中にいる彼女の背中だけに今は縋れればいい。

降り注ぐ水滴にぐちゃぐちゃになりながら、ただ俺は、泣き続ける彼女を隠し続けた。



20150513
title by 降伏
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