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■ ■ ■


ハルタさんの苗字は、春に田んぼの田で、春田さんだった。春、というだけで、少しだけ惹かれてしまう理由を、私は知ることはない。

春田さんは、本当に風間さんの友人だった。信用していなかったわけではないけど、全て信じていたわけでもなかった。自分の性格は諦めている。
大学であった春田さんは、あの時と同じように、ナチュラルな服装をしていて、人が多い構内では余計に埋もれてしまいそうな人だと思った。

彼は、とても穏やかな人だった。ボーダーにいると、性根は好戦的な人ばかりだから、新鮮だったと思う。例にもれず私も、恐らく好戦的だ。そうではないと、生き抜いてはいけないから。その違う世界が、趣味などで共通点があっても、決定的に違う生活に、思考に、憧れすら、抱いていたのだと思う。
気づいたら、定期的に連絡を取るようになったけど、それすら、流されて心地いいと思うほどに、私はぬるま湯に飢えていた。




迅は、基本的にポーカーフェイスだと思う。その機微を、私の前でくらいは、見せてくれてもいいのに、と我儘なことを思っている。そんなことを言えば、余計に迅は私の前で感情を見せなくなってしまうだろうから、私は何も気づかないふりをして、迅と相対する。

彼の副作用のおかげで、以前の大規模侵攻と同程度ないしそれ以上の、近世界からの侵略があるだろうと伝えられた。
それを伝えられた会議は、例のごとく、上層部と、迅と私、A級第3位までの隊長のみが参加している会議でだった。

淡々と進められる迅の言葉を聞きながら、私は隅の壁に佇んでいた。確度の高い未来、今狼狽えたって仕方ない。それを最善の未来にするために、私たちはできる限りのことをするだけであった。



「ねえ、なまえ」
「迅、どうしたの」


その会議の後、私は家に帰ろうとしていた時だった。迅は私を見つめて、数度瞬きをした。迅が何を考えているのか、私は分からなかった。彼は、何かから逃れるかのように、頭にのせていた水色のサングラスを目にかけた。


「今日は玉狛に泊まれよ」
「ん?」
「もう小南には言ってあるから、今日は玉狛のカレーだよ」
「……理由を聞いたところで教えてくれるあんたじゃないもんね」
「よくわかってるだろ。今日何が起こるってわけじゃないから」


迅は、かろうじて、微かに笑って私の腕をとって、本部の廊下をすり抜けていく。手首を握られた彼の掌が、いつもより少しだけ冷たい気がして、私は何も持たないまま玉狛へ向かった。



迅が言った通り、何も別段起こることはなくて、久々に戻った玉狛は、玉狛第二のメンバーで私がいたときよりも、賑やかに見えた。
雷神丸も陽太郎も、相変わらず可愛いし、桐絵はぎゅうぎゅうと私を抱きしめた後、きゃんきゃん言いながらカレーを作っていた。京介はバイトで今日はいないらしい。


「卵……」
「ほら、あんたの分。わざわざ用意してあげたんだから」


半熟ゆで卵をカレーに入れるのが、好きだと覚えていてくれていたらしい。ぷりぷりと言っていたけれど、置かれた私の皿にはすでに卵が2個も入っていたし、誰でもトッピングできるように別皿にゆで卵が置かれていて、桐絵の優しさに口角が緩む。
千佳ちゃんや修くん、遊真くんの近況も聞きながら、これだけ大人数で食べる夕食は、久々だと感慨深かった。




後片付けを手伝い、夜はあっという間に更ける。


「迅、そろそろ本題」


いつもの屋上にいた。玉狛の屋上は、本部の屋上よりも低くて、街並みが近い。その分、風は柔らかくて吹き飛ばされる心配はない。手すりに寄りかかりながら、私は遠くを見つめた。視界の右端には、本部の無機質な灰色がみえる。
ぼんやりと遠くを見ながら、言葉を落とす。私の隣にいる迅もまた、同じように街を見つめていた。彼が見ている視界が、私と同じものとは限らないけれど。
風が不規則に顔に当たる。おろした髪の毛が顔に当たって不快だった。栞から借りたワンピースの上に、迅の上着を羽織っている。
湯冷めする、と迅は言いながら、話す素振りはなかった。私の肩には、彼の上着越しに、彼の二の腕が振れている。その低い体温で、どれだけ気丈になれるかなんて、知らないだろう。
この人の隣にいられるのならば。
私は、目を閉じる。


「何が視えてるの」


肩にかけた迅の上着が飛んでいかないように、胸の前で手繰り寄せた。迅は、肩を寄せて、そのまま息を吐く。


「次の近界民の侵攻のことなんだけどさ」
「うん」


そうだろうと、思っていた。私は頭を寄せることもなく、静かに世界を見つめる。彼もまた、私の方を剥くこともないまま、世界へと声を向ける。ぽつりぽつりと灯りはあるが、深い夜の街は、酷く静かで、生きていないかのようだった。
迅は、再び息を吐く。風のせいか、少しだけ震えているように感じた。私は気づかないふりをした。


「なまえには、戦闘に参加しないでほしい」


確実に震えていた。彼は未だ、私の方を見ることはなかった。私は、息を吐く。風が顔に打ち付ける。


「それで、町は平気?」


思いのほか、無機質に私の声が世界に響いた。彼は狼狽えたように、私を見つめた。今更、迅の方を向くことはできなかった。
触れていた肩が離れて、代わりに彼の手が私の肩を掴む。私はただ、世界を見ていた。


「俺が、なんでこんなことを言ってるのかは分かってるんだろう」


泣いているよりかは、怒ったような口調で言った。私は、肩の手をそのままに、迅の方を向いた。迅は、縋るような眼の中には、すでに諦めが漂っていた。かわいそうな人だと思う。未来が視えるばかりに、この展開も知っていただろうに。それでも、彼が選んだ未来は、迅の感情のために、必要だったのだと思いたい。


「迅こそ、分かっているんでしょう」


子どもを諭すように言った。互いに分かっているのだ。無意味な言葉だった。


「私が参加しないことで、世界も救えて、誰も死なないのであれば、私は迅の言葉を聞くよ」


彼の言い方で、瞳で、そんなことはないと、分かり切っている。Ifの言葉を、私は紡ぐ。
本当に、世界を救うために必要なことであったのなら、恐らく迅は、誰にも悟らせないまま、私にも何も言わないまま、私を遠ざけるだろう。でもそれをしないのは、それが最善の未来ではないと、他ならぬ迅が、一番分かっているからだ。
ぎゅっと、肩を掴んだ手に力がこもった。彼は、口を歪めて、目を瞬かせた。また一つ、未来は変わったのだろうか。


「……俺を置いていかないでよ」


私は目を瞬かせて、彼を見つめる。気持ちは、思っていたよりも凪いでいた。寧ろ嬉しくも感じてしまった。迅にとって、私は必要な人間なんだと、こんなところで思ってしまった。それだけで幸せだった。思わず、頬が緩む。彼は目敏くそれを見つけて、眉根をあげる。


「なんで笑うんだよ」
「いや、有り難いなと思って」
「なまえ、」


本格的に怒りそうになった迅をなだめる。彼は、身内には短気だ。迅は意識していないかもしれないが。
聴きたいこと、言いたいことは、沢山あった。そのすべてを一度広げて、閉まっていく。


「未来は、確定しないんでしょう」


その言葉を吐き出して、私は、それが間違いだったと知った。いつまでたっても、私は最適解を選べない。どの言葉を選べば、目の前の彼は、そんな顔をしないでくれるのだろう。

目の前の彼が、一番願っていることだろう。目の前の人間が死ぬ未来を、私が目の前にいる限り、見続けている。その副作用について、私たちが言えることは、既に何もない。

未来は数多ある中で、そもそも最善の未来とは何だろう。
その最善の定義ですら、彼の肩にかかっている。

彼は鉛を吐き出すように、言葉を吐き出す。

彼が言う、最善の未来で、私は死ぬ確度が高いらしい。必ず死ぬといわず、確度が高いといった彼の言葉を、どれだけ私は信じてよいのだろう。私が言ったように、未来は確定しないのだ。たった0.1%でも、不確定要素があったなら、「確度が高い」と言えてしまう。私はそこまでの数字をきくことはしなかった。
私が誰にも関わらず死ぬだけなら、この街から遠ざければよいだけのことだった。それが出来ないから、今、迅は私の目の前にいるのだろう。

私が死ねば、助かる命がある。裏を返せば、私が生きれば、見捨てる命がある。

迅が本気で私を遠ざけるつもりがないことは知っていた。彼は、いくら近しい人間が死ぬといえど、その代わりに掌から零れる命を捨てられるような人間ではなかった。だからこそ、彼はボーダーにいる。その底抜けな優しさは、時として、彼自身の首を絞めるだろう。

彼は分かっていて、言ったのだ。
私が、自分の代わりに誰かが死ぬ未来を知りながら、生きられるような人間ではないと分かっていた。
そんなことをして、苦しむのは、私よりも迅だ。
彼のそばにいられる資格がなくなるだろう。


「悠一、私が死ねば、何人生きられる?」


私が死ぬ未来までにも、様々な分岐があると分かっていた。
人の命は数ではないことも分かっている。
たった一人の命の価値が、上回ることもないと知っている。

迅は、私が言葉を発するたび、傷ついていた。
どれだけ擦り傷をつけてしまうだろう。私が死んだら、どれだけ、傷をつけるだろう。
どちらにしろ、救えなかった人間を数えて、彼は傷つくだろう。
どうすれば、傷つけずに死ねるだろう。


「……多くて7人」
「7人かあ。多いね」


たった一つの、命に比べれば、どれだけの人生を掬えるのだろう。
いよいよ迅は、泣きそうな顔で私を見た。
私は、穏やかに笑って見せた。


「なまえ、お願いだから、この町から逃げてよ」
「うん」
「ねえ、俺を、ひとりにしないで」


腕を引っ張られて、そのまま身体を引き寄せられる。彼の体温に溜息をつく。覆いかぶさるように、私の肩に頭を埋める。かさかさと迅の髪の毛が頬に当たってくすぐったかった。
なんて、幸せ、なんだろう。


「大丈夫だよ、悠一」
「なまえ、」
「大丈夫だよ。最後までそばにいるから、大丈夫」


胸の前に置いた腕すら、動かすことはできず、私は彼のことを抱きしめられない。
抱きしめる資格もない。

目の前の人間ほど、私の言葉が、気休めでしかないことを知る人はいないだろう。


「私も生きて、他の人も助けられたら、それが最上級の未来でしょう」


私の言葉に何もいうことはなく、ただ彼は腕の力を強めるだけだった。
その未来が、どれだけ遠いものか知る人間は、この世界で、私を抱きしめるその人しかいなかった。


20200609
title by リラン