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嫌というほど知っていた。彼女の名前なんて。ただの固有名詞が、自身の口から出ていく度、麻薬のように自分を蝕む。
名前は呼んだことはなかった、呼んだとしても苗字だけ、それも最後はいつだったろうかなど、考えても仕方のないこと。自分ではない声で、偽りの姿で彼女の名前を我儘に呼ぶ。

大きな窓ガラスが一面に外に向けられたこの部屋は、彼女の後ろ姿を堂々と映し出していた。その背はか細い。黒々とした長髪が背を隠していた。






「煙草、吸われるんですね」


煙が細く立ち上る腕の横に、気配なく彼は存在していた。


「やめろだなんて言う権利は貴方にはないわよ」


彼は煙草が駄目なのだろうか。
手摺に置いていた手を口元にやる。短くなった煙草は、いつか消えてしまうだろう。
マナーとして外に出て吸っているのだから、彼に何か言われる筋合いはないと考えを改める。


「いいえ、ただ吸われるのが意外で」
「女性は吸うべきでないとかそういう主義?」
「まさか。独り身の女性には何も言いませんよ」
「それ、セクハラよ」


やる気のない言葉を吐いた。


「なんとなく、貴女に煙草は似合いませんから」
「煙草なんて嫌いなの」
「矛盾していますね」
「脳が拒否しても、身体が欲するんだから仕方ないわ」


ただ嫌いという概念だけがこびりつき、麻痺した舌に曖昧な煙が染み込む。
じっと見つめる視線に耐えきれず、私は彼の方を向いた。


「吸いたいの」
「いえ」
「だったら、何。」
「珍しい銘柄だと思いまして」
「ああ。日本では珍しいのかしら」


私もあまりよくは知らない。あてつけのように置いてあった、一箱のその銘柄しか、私は知らない。


「女性が選ぶには、苦い」
「さあ。私はこれしか知らないから、」


苦いも甘いもない。
淡々と返したその言葉。何もかも見透かしたような薄い瞳。嫌で仕方ないそれが、どこか切なく悲しく映るのは何故。片言と散らばる思考は、押し込めた感情で蓋をした。



title by 東の僕とサーカス
20160411