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「車を貸して」


そう手を差し出した彼女は、あいも変わらず平然としていた。
何も無かった。いや、何もできなかったというべきか。ただ、キスをした。それだけ。二人とも無言で、何事も無かったかのようにその夜は終わった。初めてだった。自分のことを聞くのは。好きか嫌いかの次元にいたわけではなかったから、いなくてはならないもの、そんな曖昧な定義の中で泳いでいたのかもしれない。
少なくとも、彼女は俺を忘れられず、当然のごとく嫌悪があり、それでもなお、全てを捨てて諦めていた。
そんな表情をさせている原因が自分だと思うと、心苦しくなると同時に酷く優越感が湧き上がる。
馬鹿な男だと、自分を嘲笑った。いつまで彼女が忘れずにいるかもしらずに。


「なぜです」
「少し行きたい場所があるから」
「私が送っていきましょう」
「別にいいわ。あなたとドライブする気分じゃないの」


変わらない素っ気なさが余計に沁みた。


「そもそもあなたは運転出来るのですか?」
「当たり前じゃな……」


彼女の言葉が止まった。
確かに彼女は運転できるが、自身の記憶を辿る限り、おそらく日本免許はすでに失効しているはずである。


「合衆国の免許を持っているからといって、日本で有効なわけじゃないですよ」
「っ、分かってるわよ!今思い出しただけ」
「で、結局どうするんですか。私個人としては、あれは少々乗りこなすのは難儀ですよ」


敢えて免許のことは触れずに言うと、彼女は苦虫を潰したような顔をして目を背けた。


「私が運転しましょう」
「そんなにしたいのならどうぞ」


畳み掛けるように強引にいえば、そう目を逸らしたままそう吐き捨てた。











「スーパー、寄って」
「そのためにわざわざ車貸して欲しいなんて言ったのですか」
「そんな訳ないじゃない」


彼女は口を閉じた。助手席は嫌だと言ったが、煙草を吸うなら前の方が良い、といえば渋々後部座席を諦めて隣に乗った。早々と、慣れた手つきで火をつけ始める。食生活が戻ったとしても、煙草はやめる気配がなかった。平然と自身の前で吸うようになったそれに、俺は何も言わない。眉を上げて見るだけで、彼女は五月蝿いと一蹴した。けして軽いものではなかったのに、吸えなかったはずの彼女は不味そうに顔を顰めて煙を吸った。そもそも俺が吸っていたものだから、匂いなんてよく分からない。確実についているだろうこの銘柄の匂いは分からず、ただ彼女の甘やかな匂いは変わらない、など思う自分に呆れた。


「何を買うんですか」
「お酒」


スーパーでかごを持とうとする自分に声をかけて、彼女は颯爽と目的へと向かう。ドライフルーツとワインに目もくれず、瓶がごろごろ並んだブースの前に立ち止まる。そして、目を走らせたかと思えば慣れたように目的のものを手にとって俺が持つカゴに入れた。乱暴に入れられたそれはとても聞きなれてしまった、二本。

会計を済ませ車に戻る。すでに分かりきったように隣に乗った彼女は、どんどん言葉少なになっていく。俺を気にするどころか、目に入っていないかのように窓をぼんやりと見つめたまま。その日は雲が立ち込めていた。目的地を単語で放ったまま、彼女は窓に頬杖をつき空を見た。目的地を聞いた今となっては、俺からは何も言えることはない。


「つきましたよ」


すでに暗くなっていた。太陽も沈み、橙色した紫から深い黒と青に変わる。車が止まった途端、流れるように外に出た彼女のコートが、風に吹かれた。それが妙に遅く目についた。空気が動いているのを知った。長い髪も揺れる。片手にバーボンを握ってドアを閉める。その音で目を覚まし自分もキーを抜いて外に出た。
低いガードレールは頼りなく、簡単に底に落ちてしまう。彼女はまっすぐ立ちながら遠くの山を見つめる。一つも目立つものはなく、ただの道路として存在している。


「寂しいところね」


何も感情は乗っていなかった。その無機質さが見下しているように肩を下ろした。彼女は蓋を開けてその蓋を谷底に投げ込んだ。それがマナーの悪い行為だと思う前に、自然な動きがそれを制した。重症だった。微かに酒の匂いが辺りに漂う。ガードレール下、黒いコンクリートの上に躊躇なく降り注ぐ。少し跳ねる琥珀色の液体は、濃厚な香りの下で闇を濃くさせた。
半分ほど注いだ頃だろうか、辺り一面噎せ返るような香りに表情を変えることなく、彼女は注ぐのをやめた。コートに片手を突っ込んだまま、真っ黒なハイヒールがごりと地面に削られる。そのまま、自身の目線まで瓶をあげて中身を確認したら、振りかぶってそれも底に投げた。綺麗な婉曲線を描いて底へと堕ちていく。


「捨てるのは、良くない」
「野暮ね」


最後くらい、目を瞑って。

そう唇が、動いた気がした。
それから彼女は、その男のことを言わなくなった。


20160821
title by 東の僕とサーカス