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いつかこの恋が終わる瞬間を夢見ている



「あんなの、藤峰先生目当てに決まってるじゃないですか」


並んだ刺身の盛り合わせ、鯵のなめろう、キンキの煮つけに、エイヒレが目の前の机に並んでいる。完璧飲兵衛のメニューである。
居酒屋で、1合の日本酒を分け合いながら、目の前の猫ちゃんは淡々と話した。
がやがやと人が多いいつも行きつけの居酒屋は、サラリーマンが多く、ごった返している。
私は、飲もうとしていた日本酒をこぼしかけると、汚い、と淡々と猫ちゃんに言われる。
仕事でもプライベートでも、猫は厳しいのである。


「ま、さか」
「まだそんなこと言ってるんですか?どうせあの屋上で会ってるんでしょ?先生目当てじゃなかったらわざわざ行かないでしょ」
「いやそれでも、」
「それでも何ですか?あんなイケメンとか、私より年下だからとか、お姉さんのことだとか、そんな下らないこと言い訳にしてるんですか?」
「言い訳ってわけじゃないけど…事実じゃん…」


眼鏡をかけた鋭い猫ちゃんは、かぱかぱとお互いにお猪口を開けているのに、顔色は変わらず平然としている。彼らと同い年で、私より年下であるにも関わらず、態度自体は私と同じかそれ以上の姉御肌感がある。
私がうじうじと言うと、また猫ちゃんは深くため息をついて、お猪口を煽る。


「あんたはあんただって言ってたんでしょう?それが何よりお姉さんのこと気にしてない証拠では?」
「でも……そう言って手のひら返されたことしかない……」
「なんとなく想像はしてましたけど、そんなやばい男ばっかだったんですか」


突っ伏している私を呆れた目でみながら、猫ちゃんは問うた。酔い始めて朦朧とした頭で、私は過去を思い起こした。
確かに、やばいやばいと言いながら、詳しい話は猫ちゃんにしたことは無いかもしれない。


「……中学で告白された先輩は、結局姉目当てでお近付きになりたかっただけですぐ姉に告白してたし、高校で好きになった人に告白して付き合ったら、姉を紹介した途端姉に一目惚れして振られて、他も告白されたと思ったら姉に会いたいとか、姉の代替とか、女優の妹と付き合ったっていうステータスが欲しかったとか言われて、疲れて、大学時代はもうこっちから大分壁作ってたけど、それでも告白してくる人も、結局姉目当てとか、付き合えないって断ったら姉よりブスなくせにとか逆ギレされたりとか、付き合ったら付き合ったでイメージと違うとか、」
「いいです、もう言わなくて。いいです」


つらつらと説明していると、途中で手を挙げて制してくるから、口を綴じた。
珍しく可哀想な目とドン引きした顔で、私を見つめている。


「まじでろくな経験してきてないですね」
「やっぱりそんなやばい?」
「やばいです。やばやばです」
「まじか……いやでもそりゃあ、お姉ちゃんの方が素敵じゃない?私だって付き合うならお姉ちゃんがいいし」
「出たシスコン。そんなこと言ってたらまじで良い人いなくなりますよ」


さらさらと姉とは違う髪の毛が落ちる。姉はふわふわした色素の薄い髪色で、天然でウェーブがかった髪をしているが、私は直毛で色素もそこまで薄くない。日本人としてよくある髪色である。
ふわふわとした頭で、昔の記憶が蘇る。何合目か分からない日本酒が体に回る。

そうだった、私がすごく好きだった人、初めて告白した人、好きだと言ってもらえた人。あの人が悪いわけじゃなかったと思う。付き合っているときはちゃんと私を見てくれていたと思う。
しかし、偶然帰り道、姉に出会ったのだった。あの時の、彼の瞳。私の横で、彼の瞳には、姉しか映っていなかった。
恋人が、別の人に、恋に落ちる瞬間を見てしまった。

だから、とっくの昔に諦めたのだ。恋愛感情として、好きな人に好きだと言って貰えること、好きな人とともに過ごしていくということ、その先も。



「…もう、傷つきたくないんだよね」


ぐい、とお猪口を煽る。美味しい日本酒が、気持ちの良い酩酊を生み出す。周囲の喧噪が聞こえなくなる。


「……先生の幸せはどうなるんですか」


目の前で、彼女が何かを呟いた気がした。私の耳には届かず、彼女もお猪口を煽る。


「ん?」
「何でもないです。ほら、先生今日はじゃんじゃか飲みますよ」
「ばっちこいよ」











「……もしもしー?あ、ちょうど終わる頃。え!?迎え!?今から?えっ、それはやばくない、あ、絶対いける!うん、隣に松田もいるから!ありがと!」
「……は?何言ってんだオマエ」
「はいはい、松田。丁度俺らもいい感じに酣だから抜けるぞ。お先失礼しまーす!」
「は!?なんだよ」


今日は職場の飲み会だった。適当にいつものごとく居酒屋で騒いで、勝手知ったる人間たちと酒を飲む。そろそろ終盤かと、人によっては終電を気にし始める頃、萩原宛に誰かから電話がかかってきた。それについては特に何も思わなかったが、何故、俺も一緒に腕を引っ張られ、抜けているのかは分からない。

外に引っ張られるままに出てくる。真冬に近い季節の夜は、外に出た途端酷く寒くて、つきり、と冷たい空気が脳に届いて、若干酔いを醒ます。


「んで、なんだよ」
「まあまあ、ちょうど近くだったし、慈善事業を頼まれちゃったのよ」
「はあ?オマエだけでやってろ」
「まあまあまあまあ、猫ちゃんから電話かかってきてね、お迎えいかがですかって」
「はあ?猫?」
「そう。猫ちゃん。今陣平ちゃんがお熱の子の友達」
「気色悪い言い方してんじゃねえよ」


反射で飛び出た腕を、軽々と躱してけらけらと笑う隣の男は、紛れもなく俺の連れである。


「近くで日本酒かぱかぱ開けたから、送られてやってもいいですよってさ」
「猫って、あの看護師の」
「そう。意外とノリが良いのよ。俺らと同い年」


いつの間に連絡先を交換したんだ、という野暮な質問は出なかった。


「……二人で飲んでるのかよ」
「そうらしいよー。行きつけが近くだったらしくて」


たわいもない話をしながら、あっという間にその居酒屋に着くと、既にその居酒屋の入り口近くに女二人が見えた。ダウンを着こんだ二人は、顔がほんのり赤くて、お会計は彼女の方がしているようだった。
先に暖簾をくぐり、外に出てきたのは猫だった。


「あ!猫ちゃん!」
「ほんとに来た」
「そりゃ来るでしょー。あんなメール来たらさ。てか、この時間女の子二人で帰るつもりだったの?結構危なくない?」
「これくらいならいつも全然二人で帰りますよ。」
「えー?危ないでしょ。これからは全然俺ら呼んでよ」
「気が向いたら。というか、本当にこの人連れてきたんですね」
「そりゃ、松田いないと始まらないでしょ」


そう猫は言って、俺を横目で見た。まるで値踏みをされているようだった。
きちんと、こいつと向き合った記憶がなく、俺は意味が分からなくて、そいつを見る。すると、俺の方に足を踏み出し、猫が言う。


「いいですか。今回は、私の餞別です。だけど、ただ送るだけですよ。狼になれっていってんじゃないですから。据え膳食わないのが男の誇り。いいですか?もし、これって誘われてんじゃね?とか据え膳?とか思っても、全部それは勘違いですから。酔っ払いの戯言ですからね。もし手ぇ出したら、まじで今後病院の敷地跨がせませんからね」
「やっべえじゃん。猫ちゃん」
「…お、おう、え?」


凄みの効いた声で、俺に詰め寄る猫は、同い年とは思えない貫禄があり、俺は頷くことしかできなかった。というか、こいつまじでこれで酔っぱらってるのだろうか。
すると、暖簾をくぐって、彼女が出てきた。


「お待たせ、猫ちゃんー。え?なんでここに松田さんたちがいるの?」


ファー付きのダウンを羽織って、出てきた彼女は、髪の毛を下ろしていて、いつにもましてさらさらと髪がなびく。少しだけ火照った頬に、息が白くて、ほわほわと空気が柔らかくなる。
いつもより、言葉尻が緩やかに聞こえた。


「ああ、近くにいたんですって。だから藤峰先生は、この人と帰ってください。私はこの女たらしと帰るんで」
「酷い猫ちゃん!」
「じゃ、先生。明日午後からですからね」
「え?え!あ、分かったー、お疲れー…?」
「…は?」


あっという間に、俺と彼女だけが取り残される。二人分の白い息が、居酒屋の明かりに照らされて光る。


「……じゃあ、帰るか」
「はい、」
「家は」
「あっちです。歩いて帰れますよ」


ほわほわと柔らかく微笑んで指さす彼女を見て、なるほどと、ゆるゆる事態を飲み込み始める。
これは、やばい。

彼女が指さして言った方向は、徒歩15分程で、なるほど確かに、帰ろうと思えば十分帰れる距離で、しかし、危険なことには変わり無かった。


「松田さんも飲んでたんですか?」
「まあ」
「そうなんですかー。あんまり顔赤くならないんですね」
「……あんたこそ」


酔いはすっかり冷めている。彼女の足取りはしっかりしているが、ほわほわと話す口調は、仕事とはうってかわり、いつもよりも柔らかくて境界が曖昧になる。
どことなく距離も近くて、時々触れる肩が熱いと感じているのは、俺だけなんだろう。
餓鬼かよ。
こっちの気も知らないで、彼女はたわいもない話を続ける。
仕事のこと。猫のこと。甥っ子のこと。ご飯のこと。姉のこと。
それに、相槌をうっていると、あっという間に彼女の家に着いて、俺は目を瞬く。
ある意味無防備だ。いくら知り合いと言えど、ただの知り合いの男に送られて、当の本人は危機感などまるでない。


「ありがとうございましたー。松田さん。私だけ送られちゃっていいんですかね」
「いいんだよ。さっさと部屋入って寝ろよ。鍵閉めて」
「分かってますう。松田さんも温かくして寝てくださいね」


一言一言に、俺はジャブをうけている。
ひらひらと、アパートの部屋の前まで彼女は送られた。
あまりにも自然に鍵を開けて、こちらに手を振る。いつもの本人を知らなければ、酔っているか分からなくなってしまうくらいに。


「……なあ」
「なに?」
「いつも、こんな簡単に送られるの?アンタ」
「ん?」
「…他の男にも送って貰うことあんのかよ」


餓鬼みたいな質問だった。
このまま、簡単に彼女の部屋に押しかけることができてしまう。
開いた鍵を持つ彼女と、部屋と、自分の吐息が白い。
彼女の部屋の扉の前で、俺たち二人だけが、生きている。
首を傾げて、彼女はきょとんと目を瞬いた。


「ないですよ。松田さんだから」
「……は」


喉がひゅう、と鳴った。星がきらきらと瞬いていた。冬の夜空には大三角形。
にこにこと笑う彼女の顔は、緩やかで、温かい。
こんな、無防備に、笑うな。


「おれは、アンタが、」
「松田さんにも、いつか姉のこと、紹介しますね」
「……は」
「私なんかより、よっぽど素敵だから」


ひらりとかわされたその笑み、その掌を思わず掴んだ。
彼女の手は冷たくて、白くて、細い。
このまま力を入れてしまったら、折れてしまいそうだった。
無防備な彼女が憎い。ダウンの隙間から見える白い喉が憎い。
何よりも、そんな顔で、俺をみるな。
まるで諦めたように、寂しげに、俺を通して誰かを、見るな。


「……俺は、お前がいいんだよ!」
「……へ?」


きょとん、とした顔。見開いた瞳。
なぜ、こいつには伝わらない。
俺が、惚れたのは、好きなのは、


「とにかく、携帯出せ」
「え、」


彼女の携帯をとりあげて、素早く自分の電話番号を登録する。
こんな状態の女に、何を言っても、説得力がないのは分かっていた。


「いいか、覚悟しておけよ」
「なにを、」
「とりあえず、今日は寝ろ。ちゃんと鍵閉めろよ。おやすみ」
「お、おやすみなさい」


勢いで彼女を部屋の中に入れ、鍵を締めさせる。それを確認して、俺は部屋を後にした。
エレベーターから降りて、アパートを出たあと、思わず溜息をついて、しゃがみこむ。

これがあの猫の言っていた据え膳か、と気持ちが沈む。結局何も出来なかった。いや、あの状態でなし崩しにしたところで、先は見えない。これが最善だ、と自分に言い聞かせる。

ふと、自分の携帯に、萩原からメールが届いているのがみえた。


『今日の状態だと、あの人明日記憶ないんで。ざまあ。by猫ちゃん』


それをみて、頭をくしゃくしゃにかきむしる。


「くそっ、そういうことかよ!」










「え、結構しっかりしてたのに、藤峰ちゃん明日記憶ないの?」
「多分会ったことは覚えてても、何話したかは覚えてないでしょうね」
「まじか」
「ちゃんと帰れるし、鍵も閉められるんですけど、あの人顔に出てないだけで大分酔ってるんで。綺麗さっぱりないですよ」
「え、ならなんでそんな状態で松田を……」
「あの人、酔うと魔性の女なんで。ふわふわしてほわほわしてて、いつもより素直だし。そんな状態で据え膳食えないの、まじざまあ」
「……へえ、意外」
「なんですか」
「なんだかんだ、陣平ちゃんのこと信頼してるんだ」
「……」
「信用してないと、そんな好きな藤峰ちゃんのこと預けられないでしょ」
「うるさい。萩原さんの女たらし」
「ひどい!それは悪口」
「事実でしょ」


20221024
title by Bacca