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「#幼馴染」のBL小説を読む
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※よそ見がヘタなふたりです



一目惚れだったのだ、と思う。人生で初めてした一目惚れは、その人に出会うたび、何度もするものだと知った。

最初は、無線越しの声だった。あの緊迫した空気の中で、澄んだ水が流れ落ちるように、彼女の鋭い声が体に染み渡った。あれが、最初の一目惚れ、一耳惚れだったのだと思う。
その後、初めて彼女の姿を見たのは、頭を包帯とネットでぐるぐる巻きにされて、コンビニのシュークリームを前に大口を開けていた時だった。この瞬間に立ち会うとは思っていなかったから、目を瞬いたのを覚えている。彼女もまた、同じようにこんな姿を、他人に晒すつもりはなかっただろう。お互いに目を見開いて固まっていた。少し間抜けな状況だったけれど、それでも、彼女の驚いたそのまんまるとした瞳や、真っ赤になった耳や、大口を開けているところとか、なんだかすごくいとおしく感じてしまって、ああ、戻れないな、と人知れず腹落ちしてしまったのだ。

それから何度か、彼女のことを見かけたり話したりする機会があった。大抵見かける場合は、彼女は仕事をしていて、当然だがこちらのことは気づいていない。一つに結んだ髪が背中に当たって跳ねるくらい動き回り、重病人にてきぱきと指示を送り、時に先輩に鋭く𠮟られながらも、強い瞳は消えないまま動き続ける彼女をみて、俺はまた、一つ感情が増えていった。
彼女が気づいたときは、俺を見て目を瞬いてすぐ目を逸らす。その瞳が綺麗だと思うのと同時に、いつも他人に向けているその笑みを引き剥がしてやりたいと、相反する感情を抱く。それなりに執着が出てきていて笑ってしまう。

彼女と話すときは、大抵あの人気のない錆びれた狭い屋上だった。普通に彼女に会わない日も、あの場所は使っていた。努力義務で殆ど病院内に喫煙所がなくなった今、患者もいない、寂れた棟で、下に副流煙も霧散していくだろうと高をくくり、一服をしている。晴れやかな空だけは良く見えて、息ができる。
相変わらず、構わないでといいながら、話には付き合ってくれる彼女は人が良くて、無防備だなと思う。そこにつけこんでいるのは俺だけど、年上の女の癖に、時々子どもかと思うくらい幼い表情を見せて、そんな表情すら、他の奴に気付かれなければいいのにと思う。


「あの、前から素敵だと思っていてっ、好きなんです…っ」
「あー」


人が少ないといっても、スタッフが通るかもしれない廊下で、どこの科と知れない看護師につかまっている。後ろには連れなのかなんなのか、もう一人看護師を連れていて、どこに行っても、こういう女は複数名連れてくるんだと辟易する。俺も下手を打ったと、内心舌打ちをしているくらいだ。


「そういうのは、間に合ってっから」


早く適当にいなして、この場を去りたい。俺がここにきているのは、あいつにあわよくば会えればという下心のみであって、他の人間に用はない。
きちんと目の前の女の姿すら見ていなかった。そのまま去ろうとしたところで、服に縋ってくる。引っ張られたジャケットに、眉を顰めた。


「っ、松田さん、」
「離せよ」


低い声でそういえば、一瞬怯んだものの、女は離すことはなしなかった。いよいよ舌打ちが大きくなる。


「っ、離しません。やっぱり藤峰先生が好きなんですか!?あんなお高く止まってるだけの、女優の姉の落ちこぼれじゃない…!顔だったら私の方がよっぽど、っ!」
「言いたいことはそれだけか」


腸が煮えくり返りそうだった。男だったら手を出していた。ジャケットから女の手を離す。流石に女は怯んだように、俺の表情を見て後ずさった。
きちんと初めて女の顔を見た。歪んだ表情をしていた。


「人蹴落として告る女なんか、こっちから願い下げだ。二度と顔見せんな」


女は涙をためてこっちを見ていたが、きっと睨んで去っていった。この感じだと、俺の悪口で済めばいいが、あいつにまで飛び火しないと限らない。くそ、学生時代にこの振り方は逆効果だと萩原に言われていたことを思い出した。
髪の毛をくしゃくしゃと苛立たし気にひっかく。ニコチンを摂取しないとやってられない、と舌打ちをして廊下を後にした。









ぷかぷかと、さめきった青空に白の煙を吐き出してわっかを作る。今日は先輩の付き添いできたが、彼女の姿は見えなかった。今日は会えないかもしれない、と寂れた屋上で新しい煙草に火をつける。
あいつに会えるかもしれない、と口実を見つけてはこの病院に訪れている俺は、なんて女々しい奴だと自身を笑った。


「さぼりすぎでは、お巡りさん」
「……んだよ」


ふわりと消毒液の匂いが漂って、俺の隣に人のぬくもりが落ちる。まさか、今日は会えるとは思わなかった。諦めかけていた自身の心がぶわりとあがる。会えただけで、ここまで感情が募ってしまうのなら、もう重症だ。
珍しく、彼女の方から声をかけてきた。いつものようにぶら下げた袋から、野菜生活のパックを取り出してストローを刺す。


「あんたこそ、甘いもん食いすぎ」


ビニール袋から、案の定いつものシュークリームが見えた。


「糖尿病になんぞ」
「甘いもの食べてないとやってらんないの。それ言ったら、松田さんも吸い過ぎですからねー」


一応ここ、病院なんで。と言われ、気まずげに目を逸らすが煙草の火を消すことはしなかった。隣でそれを見て呆れるようにからからと笑う彼女の声が聞こえる。なんだかんだ、彼女も甘い。俺に対して。それに、一喜一憂してしまう自分がいる。


「松田さん、女の子間に合ってるんですか?」
「……あ゛?」


突拍子もないことを、こともなげに聞かれて思わず彼女の方をぐるりと向く。彼女は平然とサンドイッチを食べ始めていた。


「なんでんなこと、」
「だって、松田さん、この病院で有名なの分かってます?まあ、それは萩原さんもだけど」
「……もしかして」


先程のことがフラッシュバックする。ああいうことはこれまでもあったが、あそこまでこっぴどく振ったのはこの病院では初めてだった。


「もう噂になってますよ。皮膚科の可愛い子振ったって噂。まあ、あの感じだと多分本人が言いふらしてる感じですけど」
「…くそ、めんどくせえな」
「狭い組織だから」


淡々と言う彼女が、何を考えているかは分からない。何も感じていないのも、男として意識していないことを表していてそれも切ない。


「…好きな女じゃなかったら煩わしさしかねえ」


ぷかぷかと煙草をふかした。丸いドーナツにはならずに煙となって消える。
視線を感じて、俺は横目でそちらを見た。


「…なんだよ」
「……てっきり女の子とっかえひっかえしてるんだと」
「は!?あいつと一緒にすんな!」
「萩原さんはそうなんだ…」


彼女は納得したように、サンドイッチをほおばる。最近は、萩原も落ち着いたみたいだったが、それよりも、俺は、こいつに萩原と同類と思われていたことに対して、早く誤解を解かなければと必死だった。


「……俺は、」
「そうか、可愛い子だったのに」
「は、え?」
「あそこ、結構スタッフ通るから、気を付けた方がいいですよ」
「アンタ、見てたのかよ…」
「たまたま出くわしたの!全部聞かずに立ち去ったけど!」


彼女はいつの間にか、シュークリームに移っていて、俺たちと同様職業柄なのか早食いである。


「なら、」
「私が、藤峰有希子の妹ってことは知ってたんですね。そりゃ、そうよね。苗字も珍しいし」


そういう彼女の声が、どこか空々しくて、ああ、この人はいつもこうやって言われてきたのかと悟ってしまった。それが、どこか過去の自分と重なって目を瞠る。
俺が思っている以上に、彼女はそれに傷ついてきたのかもしれない。でも、それを慮るのは他人の範疇ではない。


「…それがどうしたんだよ。アンタには関係ないだろ。アンタはアンタだし。姉は関係ねえ」


短くなった煙草から灰が落ちる。俺は手すりに寄りかかりながら、反対方向に煙を吐き出した。あれを、好きな女に聞かれていた、見られていた気まずさたるや。酷い振り方をした。
微かに、彼女がこちらを見ている気がした。表情は分からなかった。


「そっか…」
「俺にとっちゃ、アンタがお高く止まってるのも理解できねえんだけど。どっちかというと抜けてる方じゃね?」
「はあ?先輩に向かって生意気な」
「どこに先輩がいんだよ」
「ここにいるでしょうが」


目を吊り上げてきゃんきゃん言っている彼女をみて、内心こちらの方が良いと思う。それと同時に、俺だけが知っていればいいとも思う。


「はあ、もう、ちょっと見直したと思ったのに」
「…は?」
「ちょっとだけ、すっきりしたの。ああいってくれて。女の子の振り方としてはどうかと思うけど」
「おい、」
「だからね、若者には、これをあげようと思うのです」
「は?」


突然、口調が変わってごそごそ袋をしていたと思ったら、中からイチゴオレを出して俺の手に押し付ける。


「は?」
「若人よ、ニコチンより糖分だよ」
「じゃなくて、」
「萩原さんから聞いたよ、甘いもの意外と好きって」
「いや、甘いものは嫌いじゃねえけど、」
「じゃ、私は帰るんで」


さっさと後ろを振り向いて扉に向かう彼女を、俺は動けずに見つめた。


「おい、」
「ありがとね、嬉しかった」


そう言って駆けていく彼女の髪の毛が風で靡く。
その姿を呆然と見つめて、一人佇む。掌にはいちごオレのパックだけが残った。
俺はくしゃくしゃと自分の髪の毛をかきむしる。


「くっそ、あんな顔で言われたらなんも言えねえだろ」


真っ赤な耳をしてはにかんだ彼女の表情が目に焼き付いて消えなかった。


20221024
title by Bacca