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天使不在の裏庭より



あれからあっという間に数か月が経った。私は変わらずに病院で働いている。
あの後、萩原さんは退院し、すぐに仕事自体には復帰したものの、リハビリや防護服未着用の謹慎などもあり、暫くは裏方にいるらしい。すでに整形外科や外科内科に担当が移ったにもかかわらず、定期的な経過診断でやってくるたびに、救急に顔を出す萩原さんは、今では顔馴染みになっていて他のスタッフも当然のように挨拶をしている。相変わらず、人脈を広げている彼は、ありとあらゆるスタッフから声をかけられたり、女子に囲まれていたりして、私は白い目でそれを見ている。


「あ、俺の恩人藤峰ちゃん」
「萩原さん、名前呼ばないでください」
「もう照れちゃって」
「照れてません」


カルテをもって反対側に歩き去ろうとする私を目ざとく見つけては声をかけてくる。彼はことあるごとに、恩人だからと、口にする。助けられたのは私も同じである。それに彼は目立つから、ただでさえ敵も多いこの職場で、あまり私は目立ちたくない。
早歩きをしても、身長差のある彼と私では影響はなく、彼はゆうゆうと余裕そうに歩いているものだから、内心いらっとする。


「最近陣平ちゃんに会えてないでしょー?あいつまた事件事件でまとも帰ってなくてさあ。藤峰ちゃんからも言ってやってよ」
「なんで私が」
「だって、陣平ちゃんのお気にだから」
「やめてください、まじで」


思わず足を止めて、彼を見上げた。笑顔を引いてそう言っても、彼はにこにこと私を見つめるばかりである。恐らく私がこの笑顔が偽物で、圧をかけて言っていることに気付いていてもものともしていないんだろう。彼も彼でよく飽きないものである。
ピリリリとPHSが鳴った。呼び出しの合図だ。


「では、これで」
「いってらっしゃい」


会えていない、と萩原さんが言っても、あれから数度彼とは顔を合わせている。ときには、救急車に乗ってきたり、ときには、私が現場で出会ったり、ときには、救急センターの近く硝子越しから、彼の姿を見た覚えがある。それを回数に換算してよいかは分からないが。
これまでも、本当はすれ違っていたのかもしれないが、互いの顔を認識してしまえば、自然と視界で彼を認識してしまう。私は目を瞬いて、その彼の姿から目を逸らす。

ひらひらと手を振る彼を振り返らないまま、私は走って急患のもとへ急ぐ。
その後ろ姿を見て、少しだけ小さく息を吐いた萩原さんを知らないまま。








真昼間から、重度のアルコール依存症のフリーターが商店街で人に絡んだ。その絡んだ相手がチンピラに片足を突っ込んだ人間だったらしく、ヒートアップして大規模な喧嘩になった。警察が出てくる事態となり、負傷者も多数。運び込まれたら運び込まれた状態で喧嘩をし始めるものだから、治療どころではない。一時は一般人の封鎖までされかけた。それに被るように、どこかのコンビニで立てこもり事件が発生し、機動隊が出動したらしい。こちらでも体調不良者や負傷者が数名運び込まれた。
やっと終わった頃には数時間が経っていて、いつもよりも警察関係者が病院にいる。機動隊に組織犯罪対策4課、生活安全課に刑事、立てこもりの犯人は薬物をやっていたようで、マトリまで出入りする始末である。
一段落して私は自分のシフトをみやって溜息をつき、足早に誰にも見られないように職場を後にした。
コンビニで食料を買い込み、さっさといつもの場所に向かった。本当は夜勤が終わって帰れるはずだったのに、案の定朝の残業が終わらず、そのまま昼間のこれらの事件のせいで、退社のタイミングを完全に逃した。あっという間に、次の夜勤の時間は来る。これだったら、帰るよりも職場で仮眠を取った方が早かった。

いつもの屋上の扉を開ける。拝借した鍵を開けて、扉を開けて閉める。屋上にしては狭いが、きちんと柵はあって外を眺められる場所である。既にうっすらと太陽は傾きかけてオレンジ色になりかけていた。ここは本来、休憩所にしようと計画されていたらしいが、そもそも行きづらい立地だということと、敷地も狭く監視の目も届かないことから早々に封鎖された。病院スタッフも普通は、仮眠室やスタッフの休憩室で時間を潰すから、わざわざここまで来る物好きはいない。狭い敷地内の中央に、外側を見られるようにポツンと1脚だけ置かれた木のベンチが滑稽である。そこに座ったところで、柵に阻まれて景色など見えない。

私は、柵のところに凭れて、腕にぶら下げた袋から、シュークリームを取り出して袋を開ける。
口を開けて、かぶりつこうとしたところだった。


「ほんと、シュークリーム好きなのな」


隣から声が聞こえてきて、びっくりして肩が跳ねる。その勢いでシュークリームが手から離れて飛び出した。


「うわっ!えっ!」
「は?!っと、あぶねー。ちゃんと持っとけよ」


ふわっと逃げようとしたシュークリームを、私が持っていた袋ごと腕をひっつかんでキャッチをしてくれた。下からしっかりとつかまれた手は、私の両手を覆ってしまいそうなほど大きく、骨ばっている。


「だ、れのせいだと!急に声かけないでくださいよ!」


シュークリームを抱え込んで、落とさないようにしながら、隣の人間に声を荒げる。思わず、後ろを振り返ってもそこには人がいない。わたしと同じように柵に寄りかかって、けらけらと笑う彼しかいなくて、私は松田さんを見上げて睨む。


「というか、なんでここに」
「萩原から聞いた」
「なんで、」
「アンタのマブからだって」
「猫ちゃん…!私の憩いの場所を…!」


眼鏡をかけたきりっとした彼女の舌を出した顔が思い浮かぶ。この場所を知っているのは、上司と看護師の彼女だけだ。


「いいとこだな」
「……これからいられない」
「使えばいーじゃねーか」


私をおかしそうに見下ろす彼の瞳がどこか甘やかで、私はそれに気づかないふりをする。気づいてはいけない。最初から、彼と私は他人のままだ。


「そうだ、鍵は」


ここは鍵がかかっていたはずだ。私は開けるときと同時に、しっかりと鍵を閉める。万が一、誰かが入り込んでは大変だからだ。もしかして、私は閉め忘れたのだろうか。私が後ろを振り向いて向かおうとすると、彼が何事もなく言った。


「閉めたぞ」
「…閉めた?鍵は?」
「持ってないけど」
「…?」


はてなが浮かぶ。閉めたというのは、ドアを閉めたという話をしているのか。フリーズして彼を見ていると、彼が言葉を重ねる。


「ピッキングで開けた」
「ぴっきんぐ」
「で、同じようにピッキングで閉めた」


閉めといた方が安全だろ?と言った彼の言葉に、よくわからないまま相槌を打った。とりあえず食べたら、という彼の隣に、渋々と戻る。彼はぼんやりと空を眺めて、缶コーヒーを煽った。
私は、いろんなことを考えるのを諦めて、袋に落ちたシュークリームを半分取り出す。


「ピッキングって閉められもするんですね」
「俺くらいになりゃあな」


そういえば、彼らは爆発物処理班だった。手先は器用なんだろう。警察がその技を使う場所としてはいたたまれないが。
疲れた頭を、さらに無駄なことで酷使する必要はない。私は、シュークリームをやっとかぶりつく。この甘ったるいクリームが、ダイレクトに脳内に届く気がする。言っていることがやばいことは分かってる。


「うまそうに食うな」


柔らかいクリームに舌鼓を打っていたら、隣から声がしてはっと表情を締めた。いつの間にか、こちらを再び見つめている彼に、耳が赤くなる。


「見ないでください」
「やだ」
「てか、ほんと、構わないでください」
「……なんで?」


少しだけ、声が低くなって彼がこちらを見遣る。私はその鋭い瞳に、少しだけ息を呑んだ。
じっと私を見つめる彼の綺麗な鋭利な顔に怯みそうになりながらも、私は負けじと言葉を吐き出す。


「あなたからしたら、友人を助けた人間かなんだかかもしれませんが、それはお互い様ですし、ただの他人の、医者の一人ですから」


これ以上、距離が近くなってはいけない。関わりを持ってはいけない。そう思ったのは、今思えば、既に私の中でも色づいていたからかもしれない。
彼は目を眇めて、私をじっと見つめていた。私は、うまく言葉にできないまま、自意識過剰なことを言ったのではないかと汗が伝う。でも、彼にそう思われたところで、私は彼と距離を開けたかったのだから、と諦念を抱く。臆病なことは分かっていた。


「確かに、あんたは、萩原の恩人だ。でも、それだけで俺は…」


そこまで、彼は話して口を噤んだ。私は何も言えずに、彼を見上げる。その瞳には何が浮かんでいるのだろう。サングラスで隠されたその瞳を、私は光越しで見ることはできない。


「クリームついてる」
「…は!?」
「あっははは、子どもかよ」


先程の空気が嘘のようだ。私はかっと恥ずかしくて慌てて口回りに手をやるが、クリームがつくことはない。


「こっち」


突然、自分ではない手が顎に触れて口元に親指が来る。すっと触れたと思えば、手は離れて、彼が自身の口元に指を持っていった。


「あま、」
「っな、は、えっ!?」
「すっげー顔してる」


けらけらと笑う彼に反して、私の顔は真っ赤だろう。体の血液を全部持ってきたかのような熱を発している。
何が起こったのか、一瞬分からなかった。クリームを舐める彼の顔の一挙手一投足がスローモーションで見えた。


「まあ、気長にやるわ。覚悟しといて」
「は、あ?!?」


戸惑う私を見て、またけらけらと笑う年下のこいつは、本当に年下かと思うほど物怖じしない。
そろそろ帰るか、と缶コーヒーを扇いだ。


「じゃ、またな、ナマエセンセ」
「もう来なくていいですから!てか名前!」


にかり、と余裕そうな笑みを浮かべて帰っていく彼の後ろ姿を私は見ることしか出来なかった。
彼が出ていくのを確認した途端、へにゃり、としゃがみこむ。


「……ほんと、なんで私なんかに構うのよ……心臓に悪い……」


手で覆った顔は真っ赤になっているだろう。だって、伝わる体温は熱い。
私は長く息を吐いた。


20221023
title by Bacca