きらきら、きらきら。
灰色の雲が立ち込めた空は低く、その下には敷き詰められた石畳が、湿気のせいで鈍い音を立てる。
きらきら、きらきら。
毎年きっかり、訪れるその場所は、いつもその場の一番綺麗な時ではない。世界中からそのきらびやかな光景を見るために観光客が後を立たないのに、その日の姿はどこにでもある、日常の空。
きらきら、きらきら。
それでも綺麗だと思うのは、この街の元来の魅力か、それとも隣にいる彼女のせいか。
濃いグレーのレースワンピースをはためかせて、手摺に寄りかかり街を見下ろしている。一面を展望できるこの場所はこの弱々しい空の日には人は少ない。湿ったどこから来るのかわからない潮風が髪をべたつかせる。日本ではない、知らぬ人ばかりが生きる外の世界が、酷く夢心地にさせた。
赤煉瓦が敷き詰められたその屋根だけが、くっきりと浮かび上がる。
「相変わらず、いつも灰色ね」
返事を求めていないように呟いた。その瞳は街に向けられたまま、俺の方には向けられることは無い。
「もうそろそろ、いいんじゃねーの」
ねえ、名前さん。そう心の中で呼んだ。声が出なかった。
「随分と直球で言ってくるのね」
ようやっとこちらを振り向いた彼女は、とてもおかしそうな顔をして笑った。
だって、考えてもみろよ。結婚してたった3日の、ただの政略結婚相手が、不慮の事故で死んで、たかがそのためだけに、名前さんが一生を捧げる必要性なんて、どこにある。
「好きでもなかった奴のために、」
「言ってくれるじゃない」
「今更だろ、何度ここに来てると思ってんだよ」
彼女は絶対に、彼が死んだ日本で命日を迎えない。三日間だけ、必ず彼女はここにくる。俺を連れて。
「分かった。もうこんなおばさんに付き合うの嫌になったんでしょう」
「あんたはっ!」
そう心にもないことを平気で言うのが嫌いだ。狡くて、馬鹿みたいに俺を遠ざける。
足を踏み出せばすぐに届く位置にいた。腕を掴んで無理やりこちらに振り向かせる。彼女は険しい顔をして、見上げた。
「そうやって、いつも俺を餓鬼みたいに扱う」
「あなたには何もできない」
「そうやってできないように見せかけてるのは澄さんだろ!」
ぐい、と引き寄せた。強い力で抵抗されるが所詮、男と女だ。こんな簡単にいくことなのに、余りにも遠い。腕の中に無理やり閉じ込めた彼女は抜け出そうとするが、それを俺は許さない。痛いだろうな、と他人事のように思う。動けないほど、こちらも力を入れているのだから。細く柔い肩が悲鳴をあげる。
「なあ、名前さん、いい加減俺を選べよ……」
肩に無理やり埋めて、吐き出した声は惨めな懇願だった。
あんただって、分かってるんだろ、認めろよ、なあ。
俺が、好きだって。
「お願いだから……やめて……新一くん……」
「なんでだよ!なあ!もう十分じゃねえか!」
「それだけじゃない!」
埋めた顔を上げた。近い距離を保ったまま、俺を見上げる彼女の瞳は揺れていた。透き通る目に、髪に、肌に、場違いに酷く興奮する。
「あなたは私より年下で、将来が無限に広がっていて、そんな眩しいあなたが、未亡人の私に執着する必要が無いわ」
「世間体なんか」
「私が気にするのよ」
そう息に溶かして言われた。その顔にはっとする。諦めたように、彼女は俺に伝える。その弱さを晒けだして、寧ろそれを盾にするように、逃げる。彼女が逃げる理由に、俺は無闇に追いかけることなど出来やしない。
「俺の気持ちは、どうなるんだよ」
「いずれ忘れるわ」
残酷な言葉を投げる彼女は、いつまでも遠いままで。
「俺は、好きだよ」
振り絞った言葉は、彼女の微笑に吸い込まれる。
「私も、好きよ」
重さのない笑みを浮かべて俺を見つめる彼女の瞳には、俺が揺れていた。
20160718
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